考察

社会的な力の解除について

こちらのエントリーを読んで考えたこと。http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060327/p1 僕らは今まさに他者を見殺しにしながら、毎日たのしく暮らしてる。この問いを問うのがおかしいとは言わないけれども、今・ここでまさに見殺しにしていることそのものも、…

パーリアとは誰か

先日紹介した齎藤純一著『公共性』という本のなかに、「表象の暴力」という言葉が出てきた。 「表象」というのは、ぼくにはすごく分かりにくい言葉だが、それについては、次のように書いてある。 「表象」とは, 他者の行為や言論を「何」という位相, すなわ…

『共感の回路』再考

うつぼ公園での行政代執行のときに感じたことを書いた『共感の回路』というエントリーについて、最近、複数の方からじつに丁寧な感想を寄せていただいた。 ほんとうにありがたいと思う。 いまあのエントリーを読み直すと、たしかにあの時自分が感じたこと、…

共感の回路

昨日、1月30日に行われた靭(うつぼ)公園での行政代執行に関することを書いた。 あの日の抵抗については、自分がほとんど参加しなかったということもあり、客観的なコメントはしづらい。 それを目にするなかで自分が実感した一番大きな事柄が、「共感」…

嫉妬について

勝手な話だが、先日書いたようなわけで、かなりの間他の方のブログをあまり見ない日が続いた。 年明けからこれではイカンと思って、少しずつ以前よく読ませてもらっていたサイトを覗いているのだが、この間に本を出版された方があったり、事情があって休止状…

アートと表現と物語

先日も書いた『群像』5月号では、「Art/物語」と題された特集が組まれていた。 このなかで面白いところがあったので、少し紹介と感想を。

テリトリーと言語の問題

先日、「反日デモ」に関する文章のなかで触れた、テリトリーということについて、もう少し書いてみたい。 この一連のエントリーを書いたことでぼく自身が実感したが、自分を包み込んでいるさまざまな政治的・権力的なテリトリー(勢力圏)の存在は、普段は実感…

属性と意味づけ・ルール変更

滅多にトラックバックはしないのだが、「記識の外」さんのこちらの記事の内容がたいへん面白かったので、書かれていることを糸口にして自分なりに少しかんがえてみたい。 まず、ここのところ。 そもそもフリーターや派遣労働者などの非正規雇用労働力の存在…

言語の多数性と「解離」

先日の文章のなかで、「林立する小さな共同体」への主体の複数帰属がはらむ「解離的」な性格について、これを言語が本来有している性格(多数性)と関連付けて書いたが、そこでいう言語の多数性というのが、どういうことを指しているのか分かりにくかったとお…

続・NHKの問題に触れて

本筋と脚注 この話が中途半端になっていたので、続きを書いておきたい。 ご存知の方も多いとおもうが、今回問題になった番組がなんらかの政治的圧力のために改変されて放送されたのではないかということは、この番組が放送された2001年当時から議論・告発さ…

『オールド・ボーイ』と「強者」の報復

上の文章でナルシズム的な心の状態、ということにふれた。 これに関連して、少しおもうところがあるので書いておきたい。 それは、かんがえる糸口としては、去年の暮れに見た韓国映画『オールド・ボーイ』*1に関することである。 *1:オールド・ボーイ プレミ…

暴力性を考え直す その3

『「運命のように彼らはやってくる、原因も理由もなく、遠慮会釈も口実もなく、・・・・。」』 『千のプラトー』*1の第12章、「遊牧論あるいは戦争機械」と題された章に引用されているこの一文は、カフカのテキスト「一枚の古文書」の一節ではないかとおもっ…

「暴力性」を考え直す その2

ベンヤミン論、やりなおします! きのうの文章で、ベンヤミンの論文『暴力批判論』の要旨を紹介・検討したが、あらためてかんがえてみると、ベンヤミンがこのなかでのべている「神話的暴力」と「神的暴力」という暴力の両義性の分析は、たいへん重要で現代的…

「暴力性」を考え直す

このブログの最初のところで、ぼくは自分のこれまでの生き方や生活態度が根本的に暴力的・権力的(この二つの語をとりあえず並置した)だということを書き、その暴力性や権力性は「周囲の社会」が有する暴力性にぼくが「従属・同調」しているために生じる、い…

ダブル・バインド理論とは

ところで話は変わりますが、9日の文章の最後にダブル・バインド理論のことを書きましたが、キーワード説明が出ない(残念!)。 ぼくが理解してる範囲で簡単に言うと、母親が子どもに対して言葉と表情で矛盾するメッセージを送ることを繰り返すと、精神障害の…

否定性や内向性のポジティブな位置づけ

ここまでは、ぼく自身をモデルケースにしたせいもあって、現代の人々の「自己否定的」であったり、非社会的と(ときには反社会的とさえ)みなされる内向的な傾向が持つ、ネガティブな側面、価値判断として「否定的な」部分だけに注目してきた。 しかし、実の…

否定的なメッセージの内面化について

昨日書いたことについて、何点か補足しておきたい。 当面、話の大枠を見極めていくために、一般的で大雑把なことばかり書き連ねることになるのを、お許し願いたい。正直、こんな抽象的なことしか書けないのが恥ずかしい。 経済のグローバル化と否定的な感情…

否定的な感情と暴力性

最初に何を書いたものかと考えたのだが、今までと現在のぼくの生活に鑑みて、自分のなかにある否定的な感情とか暴力性という話から始めるのが、妥当ではないかと思う。 ぼくが思うのは、若者に限らず、現代の特に日本の社会に生きる多くの人たちが、自己や他…