ダブル・バインド理論とは

ところで話は変わりますが、9日の文章の最後にダブル・バインド理論のことを書きましたが、キーワード説明が出ない(残念!)。
ぼくが理解してる範囲で簡単に言うと、母親が子どもに対して言葉と表情で矛盾するメッセージを送ることを繰り返すと、精神障害の原因となりやすい、という理論です。たとえば母親が、「お行儀を気にしないで食べていいわよ」と口では言いながら、表情や素振りでは逆の(とがめるような)態度を見せる。子どもは、言葉だけではなくて、むしろ母親の表情とか素振りを見て生活のなかで育っていくわけですから、一体どちらを信じていいのか分からなくなる。言語によるメッセージと非言語的なメッセージとが矛盾して子どもに届き、この二つの間で板ばさみになり混乱を抱えながら育っていく。幼少時の親との関係という逃げ出せない状況のなかで、こうした経験を繰り返していくことで、コミュニケーション能力に障害のある、心理的に不安定な子どもが育ちやすいと、ベイトソンは考えた。

これは、日常的なコミュニケーションの困難を考える上で、ぼくにとって非常に参考になる学説です。あるタイプの人(ぼくがそうなんですが)は、相手と話しているときなどに、言葉と言葉のあいまの相手の表情の微細な変化を過剰に気にする。これは、相手に対する繊細な気配りといったこととは違います。むしろ、相手との関係を信じきれないという不安感が根底にある。言語によるメッセージを全面的に信頼できないという不安が心の底にあるのだと思います。これは、他人とのコミュニケーションをすごく難しくしてしまう可能性がある。それはどうも、小さいときからの生活上の体験(ベイトソンは母親との関係だと言っている)に原因があるのではないか。ダブル・バインド理論というのは、そういうことを考えさせるんですね。
この相手の「表情」を、言葉とは切り離して見てしまうということは、ぼくにとっては結構リアルな問題です。

それから、ここははっきり分からないんですけど、ベイトソンは、コミュニケーションの場において受け手の中に、表情などによる非言語的なメッセージが、言語によるメッセージの現実性を支え保証するような構造が確立されることが重要なのだと考えていたと思う。
つまり、言語的メッセージと非言語的メッセージとが、受け手にとって階層の異なる相関的なものとして認識されることが大切で、この階層構造がうまく機能することによって(二種類のメッセージの結びつきがしっくりいくことによって)、人は他人とのコミュニケーションに対する信頼(現実感)を獲得し、社会生活を円滑に進められる。ダブル・バインドの状況というのは、この階層構造を作り出す能力の発達を阻害し、コミュニケーションの現実性(リアリティ)を信じにくくさせてしまうものだ、ということだと思います。
上に書いた、ぼくが「表情」と「言葉」とを分離して捉えがちだというのは、そのことに関係してるんでしょうね。