『10代に届けたい5つの“授業”』

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 この本は7人の書き手が、それぞれ深く関わる社会問題の分野に関して、10代の人たちを対象に語りかける内容。収められた文章はいずれも、ラディカルな問いかけを含んでいて、ハッとさせられる。

 例えば、障害者問題に関して、相模原事件を「自分ごと」として考えることを私たちに迫る野崎泰伸の文章。ここでは、障害児の中絶(選択的中絶)ということについて、次のように述べられている。現在では出生前診断によって生まれてくる子どもの障害のあるなしがわかるようになり、その結果、障害があると分かった胎児の中絶を選ぶ場合が極めて多い(約9割)。人々は、かつてのように国家の介入(強制)によってではなく、いわば「自由」意思によって、そういう優生学的な行動を選択しているのだ。

 では、なぜ障害のある子は中絶されるのか。一般には経済的理由ということが言われるが、十分に周知されていないとはいえ、それに関しては行政による支援制度も存在する。それでも、これほど圧倒的な選択の偏りが生じる理由について、野崎はこう書いている。

 

 

『障害児の中絶を考えてしまう最も大きな理由は、「この子が生きていても不幸になる」というものではないでしょうか。しかし、ダウン症の場合では、「毎日、幸せと思うか?」という質問に対し、7割の当事者本人が「はい」、2割が「ほとんどそう」と答えているアンケートの紹介が日本テレビのニュースでありました。こうしたこともよく知られずに、ただただ我が子の不幸を嘆いてしまうなら、それはとんだ勘ちがいなのではないでしょうか。たしかに、障害があれば不幸だと感じやすいとはいえるかもしれません。しかし、その多くは社会的なものであり、これもあとで述べますが、社会こそが障害者を不幸にしているのです。このことを棚に上げて障害があれば中絶をするという考え自体が、障害者に不寛容な社会であることをよく示しているのだと思います。(p158~159)』

 

 

 障害者を排除し、その生存さえ否定しているのは、不平等な価値観で充たされた社会を疑うことを忘れ、その価値観を内面化してしまった私たち自身ではないのか。相模原事件を自分ごととして考えるということの意味は、この問いかけであると言えるだろう。

 僕自身、自分がこうした選択を迫られる立場になった場合を想像すると、つい「難しい選択だ」という逃げ口上を口にしたくなるが、それは、この価値観を内面化し縛られている自分自身というものを直視したくないからだろう。つまり、差別的な社会に同化することで自分を縛り、他人を抑圧し、ときには他者の生存を否定しさえする「不寛容な」自分を認めたくないのだ。この、(「自由」という言葉の裏に隠された)本質的な不自由さへの否認の心理を、野崎の文章は暴いていると言える。

 では、不寛容・不平等な現行の社会を疑い、そこから離脱すること、あるいは変革するとはどういうことか。それを考えるひとつの手がかりとなるのは、野崎が語る、地域での生活を目指した1970年代初頭の障害者たちの闘いのあり様と、その底にあった思いだろう。

 

 

『それでもあえて、親元や施設を蹴飛ばしてでも街のなかという地域での生活を選んで暮らすのは、そこに自由があるからなのです。「くそまみれでも自由がある」というのは、わたしの尊敬する障害者の先達の言葉なのですが、何日か介助する人が来ずに、寝たままで糞便垂れ流し状態であったとしても、そこには自由がある、という意味です。裏を返せば、それぐらい親元や入所施設には自由がない、そこには「自分で選んで切り開いていく自由がない」ということなのです。(p164~165)』

 

 

 どれほどの困難があっても、とりわけ社会や家族との齟齬があったとしても、なお希求される(体制からの)自由(Free)。それは、言葉の上では「(新)自由」(いったい誰にとってのか?)を標榜する今の社会において、私たちが最も遠ざけられている価値ではないだろうか。

 論はここからさらに、現行の社会のあり方に対するラディカルな問いへと進んでいく。

 

 

『根本的には、「労働の対価として賃金を得る」ということを疑っていかなければ、何らかの理由で労働できない(したくない、働く場所がない、なども同じ問題を含みます)人たちは、生きていけないことになります。(p166)』

 

 

『優生思想に反対し、障害者の立場から、障害者のいのちをないがしろにする社会への批判は、もちろん障害者運動では重要な課題です。そのうえで、日常的な「できなさ」に対して、じっくりとつきあうこと、そして、そうしたことを許容する社会のありようを、障害者たちは求めていったのであると、わたしは考えます。「できないこと」は、不便や不幸につながったり、あるいは、すぐに「できるようになること」を求められたりしてしまいます。こうした社会のあり方は、「できない」当人のありようを否定し、さらには当人の存在そのものも否定してしまいます。障害者運動は、こうした「できなさ」をめぐる社会の不寛容と、いまだに闘っているのです。(p171~172)』

 

 

 障害者運動が問うたもの、そして今も闘い続けているものは、このような社会の(人の存在までも否定する)根本的な価値観であり構造であると、野崎は語るのだ。

 こうしたラディカルな視点や姿勢は、「不登校から学校の意味を考える」と題された山下耕平の文章にも、はっきり示されている。

 自身は不登校経験のなかった山下は、不登校をする子どもたちに出会った時の衝撃(そして、以降の取り組みにおける思い)を、次のように書いている(ここで、1970年代前半からこの行為を実践していた先駆者としての回想を挟んでおくと、その頃は「登校拒否」という立派な呼び名すらまだなく、「ずる休み」という、いっそう不穏な呼称を付されていたものだ。)。

 

 

『なんで、学校を休むとか、行かないとか、考えすらしなかったんだろう?それは、自分の足元がぐらぐら揺れる問いでしたし、自分だけではなく、この社会のあり方をぐらぐらと揺さぶるもののように思えました。(中略)「支援」というと、自分はだいじょうぶな側にいて、だいじょうぶじゃない側にいて、だいじょうぶじゃない人をだいじょうぶになるように支援するという構図になると思いますが、わたしは、自分の状況がだいじょうぶだとも、この社会がだいじょうぶだとも思えませんし、むしろ不登校から、一緒に学校のあり方とか、社会のあり方を考えていきたいと思ってやってきました。(p97~98)』

 

 

 そして、不登校という行為(あるいは非行為?)が提起する現行の社会への批判を、次のようなものとして読みとっている。

 

 

『むしろ、不登校を否定するまなざしの奥にある、人を評価選別するまなざしこそ、問い直す必要があるのではないでしょうか。(中略)今、子ども若者がなぜ苦しいのかと考えたときに、ひとつには、この「いる・ある」を受けとめる土壌がどんどん痩せてしまって、「する・できる」ことばかりが求められ、肥大化してしまっているという問題があるように思います。ただ存在していていいわけではなくて、がんばっていないと、自分の存在が認めてもらえない。(後略)(p114~115)』

 

 

 この言葉は、社会から周縁化され排除されている者の側から社会のあり方に光を当て直すものとして、上述の野崎の文章と共に、貴戸理恵の次のような文章とも重なっていると言えるだろう。

 

 

不登校の<その後>研究の課題は、不登校が一般的なキャリア形成のさまざまなリスクのひとつとされていく時代において、「不登校でもきちんと社会に出ていける」と主張するのではなく、「そもそも社会とつながるとは何か」と根本から問うていくことです。生きづらさや弱さを抱える人が、生きづらさや弱さを抱えたそのままで、他者や社会とどのようにつながれるだろうかと、問いつづけていきたいのです。(p143~144)』

 

 

 これらの言葉(野崎、山下、貴戸の、そしてこの本全体に流れている思想を表してもいる)が示唆しているのは、僕から見ると、存在よりも生産力を重視する考え方に対する批判ということだと思えるのだが、どうであろうか。生産力という発想には、存在や生存を忘れさせる魔力のようなものがあるのかもしれない。

  個々の人間の存在や生存を犠牲にし、それらを道具(手段)としてのみ扱ってでも生産を連続させようとする志向は、必ずしも資本主義社会特有のものではなく、家父長制システム全般を存続させてきた論理だとも考えられよう(そのことは、天皇制のもとに生きているわれわれには、とりわけ実感されるところだ。)。

 「ジェンダー」に関するパートとは、その点でも深くつながっていることになる。またもちろん、「貧困」や「動物と人との関係」というテーマともつながる。とりわけ、「畜産動物」や「実験動物」の存在は、個々の動物の生命ばかりでなく、「いのち」そのものの手段化、道具化という、われわれの社会の実像を照らし出す。そこから、遺伝子操作(ゲノム編集)のような人間の生存の手段化も自明なものと見なされる感覚が生まれているように思えるのである。

 

 

 ところで、この本の全体に見られる、もう一つの共通した観点は、社会において周縁化された存在の不可視な姿、そして声なき言葉に耳を傾けることの大切さということだろう。

 それに関して、「ジェンダー」に関するパートのなかで、松岡千紘は、フェミニズムの歴史について述べ、ある時期までの運動においては女性のなかの「特定の視点」のみが取り上げられる傾向があったと語っている。その視野から外れてしまった(例えば障害女性や、非白人女性といった)存在へ目を向け、耳を傾けるべきだという主張が(第三波フェミニズムにおける)「インターセクショナリティ」という考えの根底にはあったのだ、ということである。そして、こう書いている。

 

 

『この問題について考えるとき、わたしは、「真に変革的な運動はホームのなかでは起こりえない」という、シンガーであり活動家でもあるバーニス・ジョンソン・リーゴンの言葉を思い浮かべます。「ホーム」とは文字通り「家」のことであり、(現実がどうであるかはさておき)「安らぎの場」の比喩です。運動体を「ホーム」としておきたいという欲求にかられると、内部の矛盾や利害の対立を無視し、一部の人々―そのなかで最も抑圧の少ない人々―の利益を追求することにつながります。ですが、それらは「公正」という社会正義の実現とはほど遠いものです。立場のちがいを承認し、内部からの批判にも開かれた運動は、居心地のよいものではないかもしれません。ですが、個々人がその居心地の悪さを引き受けることこそが、真に変革的な運動につながるのだと思います。(p20~21)』

 

 

 示唆に富む文章だと思う。

 ところで、僕が思い浮かべる、声なき他者の範型は、死者である(これは、人によって違うだろう)。僕が思うに、死者とは、「過去においてのみ存在する者」だ。死者は存在するのだが、それは現在においてではない。だから、時間のなかに生きている私たちに、決してその声が聞こえることはなく、姿が見えることもない(また、死者とは、究極の「できない」存在であるかもしれない)。だが、その者は存在している。絶対に現前しえない他者として。死者を現前する者のように語る制度宗教や神秘主義は、むしろこの死者の他者性の抑圧なのかもしれない。そして、抑圧された者は必ず回帰する、すなわち歴史の中のわれわれを規定するのだ。