『金時鐘 ずれの存在論』

 

 

 

本書は、韓国の哲学者であり運動家の李珍景が、詩人金時鐘が生涯にわたってつくってきた数多くの詩を読み解きながら、思想を展開したものである。眼目はあくまで金時鐘の個々の詩の綿密な読解であって、著者の思想はその工程のなかで形成されていったものだといえよう。だからこれはまず、詩論として読まれるべき本だ。

しかし、筆者である私の力量不足のため、ここでは思想の展開のみを(それも、数多い論点の中から、特に私の関心をひいたものだけに限定して)追う形になるであろうことを、あらかじめことわっておきたい。

だが、そうはいっても、著者にとって金時鐘の詩を読み解くことは、次のような行為であったという。

 

『このような経験のなかでわたしは知ることとなった。詩を読むということは詩に巻きこまれることであり、詩人の霊魂に捉えられることである、と。それは詩人が投げかける謎に巻きこまれ、詩人の言葉に導かれ、闇のなかに入りこむことだ。その闇のなかで道を失い、手で見て鼻で聞き、手探りで出口を探すことだ。自分が生きてきた親しみのある世界の外へと出ていく門を探しもとめることだ。詩とともに、詩のなかで、自分の他者になることだ。(序 p008)』

 

著者は、金時鐘の詩と格闘しながら読み解くことのなかで、自身の生をこの詩人の生と響き合わせて、思想を深めていったのではないかと思う。

たとえば、「詩人にやってくる詩はどこからくるのか?」と題された第一章の初めのところでは、有名な作品「化石の夏」が引かれたあと、次のように語られるのだ。

 

『でもだれか諦念した人が一人いたということが、諦念するなにかがあったことを知らせてくれる最小の痕跡なのであれば、その諦念のなかになんとか残った望みは、その諦念によってなにかを呼びだしうる最小の磁力のようなものだ。それは存在を持続できる最小値であるがゆえに、最大値へと昇ってただちに消えてしまう声とは逆に、ひょっとすれば最大の時間を、「化石」をめぐる地質学的時間を耐えて存在を持続するというような時間ではないか?わたしもそのようにもうひとつの石になりうるならば、石のなかに隠れてだれかを待つ小さな秘密でありえたならば・・・・。(p028)』

 

この最後のセンテンスで、著者は自分の生の切実な願いを、金時鐘の詩に込められた(と著者が捉えた)詩人の生の姿勢にそっと重ねているが、その仕草は、この本全体の成り立ちを暗示するものでもあるだろう。

 

続く第二章で語られるのは、その詩人の「生の姿勢」についてだ。

 

『かれの生を少しでも覗いたことのある人であれば、かれが書いたもの以上にかれが生きぬいたものが詩であったことを簡単に首肯できる。私にとってそれは実に驚嘆すべき詩であった。この驚嘆が、時代精神に逆らい、詩に対して「真実性」を述べ、詩を述べねばならないと要求する田舎者の愚行を行なわさせる。真摯に聞いたとしても過去の時間のなかに押しやってしまいがちな馬鹿みたいな要求を、この軽々しく足早なシミュラークルの時代に繰り返させる。ひとり、心のなかで繰り返させる。(p83)』

 

著者は、このような詩人の生の姿勢を「生の真実性」と呼ぶのだが、さらに、生の真実性とは「存在を賭けること」に他ならないと断言する。そして、こう述べる。

 

『存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。(p084~085)』

 

このことについては、最後にややくわしく論じることにしたい。

 

長編詩『新潟』を論じた第三章では、存在論という著者の最も重要なテーマが、姿を現わしてくる。

ここで著者が構想する存在論における「存在」は、ハイデガーのそれとは全く違う。

李珍景の考える「存在」は、規定されることに抵抗し、同一性への包摂を不可能にするような「力」として存在者にやって来るものである。それについて、ファノンを引きながらこのように述べられる。

 

『かれが述べる存在論という言葉を深刻に受け止めるならば、存在論とは黒人という規定に対して、「そこにはわたしがいない!」と言うことから開始する抗議として始まる。存在とはこのようにして或る対象的規定性を消しさる力であるという点で未規定性であり、それと異なる規定性に向かって開いておかせる力であるという点で無数の規定可能性だ。(p101~102)』

 

『ファノンだけであろうか?皇国少年という存在規定、在日朝鮮人という存在規定、共産党員や総連活動家という存在規定について金時鐘もまた「そこにはいつも私がいないのである」と言ったのではないだろうか?存在はつねに或る規定に抵抗する「そこに-いない」を通して、ひとつの規定のなかに閉じこめる同一性に対する拒絶の沈黙を通して述べる。このような点で存在論はあらゆる規定に対する抵抗であり、あらゆる「そこ」を抜けでる離脱であり、あらゆる同一性を横断する運動だ。(p102)』

 

そして、こう宣言される。

 

『存在者たちの世界から存在自体に向かって目をむけ、自分の生を変えていこうとする思惟を存在論だというならば、存在論とは拒絶された者たちのものだ。(p153)』

 

この一節は、本書を読み進めていくうえでの鍵となるものだろう。

 

続く第四章では『猪飼野詩集』が論じられるが、そこではまさに、支配的な外部の集団から差別や同情の対象として眼差しを向けられ規定されることを拒絶する、「猪飼野」の人々の抵抗する生の在り様が表現されていると思われる。

ただ、この抵抗の力は、金時鐘の詩においては、ある独特の積極的な形態をとって現われていることを、著者は強調する。それは、(「傷」に対比されるものとしての)「痣」という形においてである。「これらの詩では人々の傷が表現されている」と言う代わりに、「これらは痣の記録だ」と、著者は言うわけである。

 

『『猪飼野詩集』は笑いながら書いたいくつもの痣の記録だ。(中略)痣と傷の差異は心との関係にある。傷は心に貼りつき剥がれないものであり、痣は心に貼りつかないものだ。傷が心に貼りつく衝撃であれば、痣は身体に沁みこんだ衝突だ。傷は感情や心を引きこんで離してくれない。自分の心も、他人の心も、フロイトが述べたように、自分の傷に捕えられるとき、心の動きはその傷に固着する。固着した心は症状的行為を生みだす。(中略)傷とは外部とのぶつかりや衝突を、「かれら」がわたしに加えた「加害」としてのみ表象する被害者の言語であり、そのぶつかりのなかで自分をつねに一方的に「被害」の身体的無力性のなかに閉じこめる感情の記憶だ。(p234~p235)』

 

『傷と痣が異なるように、傷が心に貼りつくように、怨恨や憎悪は対象に貼りつく。(中略)怨恨と憎悪は対象に貼りつくだけに、私自身にも貼りつく。対象とわたし、「かれら」とわたしが相異なる関係のなかで再び出会う可能性を極小化し、わたしの存在理由を「かれら」の否定と同一視することになる。(p237)』

 

つまり、「傷」というメタファは「怨恨」や「憎悪」と同様に、心に結びつくことで、わたしの身体的な力能を(「被害者化」等の仕方によって)「無力化」し、また「極小化」(アトム化)する(著者がネット社会の現状を頭に置いていることは明らかだろう)。「傷」や「トラウマ」「被害者(化)」といったロジックがもたらす、こうした危険への(「アンチ・オイディプス」的ともいえる)批判は、本書の他の箇所でも繰り返される。

それに対して、(『猪飼野詩集』に描かれた)「痣」というものが開示してくれるのは、以下のような事実であり道筋なのである。

 

『自らを肯定する者がどうして自分をたんに無力な被害者としてのみ考えることができるというのか。一方的に行使された権力によるものであれ、避けえないままのしかかってきたものによるのであれ、痣はたんに一方的に受けた傷ではない。それはわたしがいなかったらありえない、わたしの存在がかれらにぶつかっていった出来事の痕跡でもある。痣はそのように覆いかぶさってきたものに対してわたしもまたぶつかってやるのだと、その力を耐えぬいて、それをもってその力に対して或る摩擦力を、意図があろうがなかろうが、ある抵抗の力を行使した結果だ。そのような抵抗の力がないならば、ぶつかることもなく、痣もない。痣はかれらがわたしに押しはいってきた力の痕跡であるが、それと同時にわたしがかれらにぶつかって耐えぬいた、あるいはぶつかっていった力の痕跡だ。(p241~242)』

 

著者の言う「痣」や「笑い」が、差別や無力化の陥穽をはねのけ、生を肯定する力の表現であることは明白だろう。

 

第五章における『光州詩片』の読解と論述は、本書の白眉とおもえるほどに見事なものだ。

そこでは、『光州詩片』の構成に沿って、まず出来事以前の「事態」としての光州事態の表現、次いで詩人のきわめて特異なやり方によるその「出来事化」が、綿密な読解によって論じられた末に、流れゆく「褪せる時間」のなかに詩人によって凝結されて「襞」のように埋め込まれたその出来事が、政治的・軍事的暴力による抑圧と、日々の忘却の力に抗して、いかにして『こともなげな』私たちの日常を、いや、この「世界」を揺さぶろうとするかが語られる。

 

『そこから始めるのだ。すべて消してしまっても消しえない或るもの、褪せた時間のなかに消されないまま隠れているもの、闇のなかの影、そのすべてを率いる凝結された感応、おそらくそれは「花弁/一つ」のように小さい、或るものだろう。消せば消すほど凝縮され小さくなった、しかしそれであるだけに鮮明で赤い花弁であろう。それを捉えるくもの巣を「にびいろの眼におそい朝をにじませて/ゆれるともなくたわ」ませる、或る力が始まる小さな点なのだろう。(p325)』

 

『光州事態を出来事化するということは、その関係を切らずに持続するためだ。新しい関係をつくりだすためだ。死者たちによって生者たちが新しい生を生きねばならない。そうすることをもって死者たちは生者たちの生のなかで生きつづけることになるだろう。生者も死者も「生かされた」生ではない「生きる」生、あるいは「生きぬく」生を生きるためのものだ。

 (中略)その出来事化の結び目は、このように冥福を祈らず、死者を冥界に送るなということだ。敢えて冤鬼にして彷徨わせようということだ。「生者」たちが闊歩するこの都市のなかを彷徨わせ、かれらをして忘れられなくさせ、そうすることをもって忘却の平穏な秩序を絶えず威嚇する、国じゅうあふれて彷徨う大気になさしめよ、それのみが冤鬼をきちんと解きほぐす方法であり、死者たちをきちんと送りだす方法だということだ。(p337)』

 

『そうすることをもって詩人は出来事にのせられてきたその闇の力を、その世界が耐えうるのかを問う。出来事のそこに隠されている石のように凝縮された悲鳴と、刀のように凝縮された怨恨を、こともなくみえるその世界が耐えうるのかを問う。かの冤鬼たちの悲鳴を、その世界が耐えうるのかを問うのだ。こともないように平和な世界とは、じっさいそれを隠し抑圧することで維持されているとあらわにするのだ。ある意味では幽霊のようで、ある意味では石のような事態の重みで安定した意味の地平を壊し、断固かつ猛烈な沈黙で、容易くつくられた平穏を壊すのだ。(p351)』

 

 

詩集『化石の夏』をとりあげた第六章では、本書の表題である「ずれの存在論」の輪郭が、よりはっきりと示される。

 

存在論は拒絶された者たちの思惟だ。拒絶されたが去りえない者たちが、その拒絶と去りえなさの間隙の困惑で、その困惑を耐えて存在せねばならない場所で、抱えることになる思惟だ。拒絶の距離を置いて見ている他人たちの視線にたいして、「知られていなかった者」としての自分を見る視線であり、かれらの視線がつくりだす「対象」と、その視線が見ることのできない自分の「存在」のあいだの間隙を見る視線だ。(p356)』

 

『ふたつの世界のずれを受け入れるということは、ふたつの世界すべてが簡単に投げ捨てることのできない自分の一部であることを受けいれるという意味だ。(中略)ずれはあちこちにあるが、ずれに対する存在論的思惟はそうではない。その思惟とは、そのずれを耐えて存在しようとする者の思惟だ。(p363)』

 

 

『失くした季節』を論じる最後の第七章では、とくに時間というテーマに重点が置かれる。

著者は、この詩集の作品に書きこまれた、流れ去る「この世界」の時間に抵抗するように詩人を(そして読者を)見守りつづける「沈んだ時間」の重要性について論じる。

 

『沈んだ時間はその光り輝く時間の陰で口を開いたまま存在を持続している。きっと沈めた者を見守っているのだ。だからといって特別な目的や期待を持って見守っているのではない。そこに存在しつつ、ただ見守っているのだ。沈めておいた者の視線とぶつかる「いつか」を待って、口を大きく広げて。(p449)』

 

ここでいう「沈んだ時間」とは、日常の「この世界」を生きるわたしたちの外部に存在するものだ。こちらを「見守っている」その眼差しは、『ただ凝視しているだけの言葉なき受動性』(p460)とも書かれるが、私には、それは死者の目線のように思える。それは常に「沈めた者」を、つまりこの世界の日常を「こともなげに」生きるわたしたちを見守っている。

ただし、その「受動性」は、決して消極的なものでも無力なものでもないことが重要だ。

著者は、靖国神社の祭祀によって呼びだされるものが、『現働の現実を変える過去ではなく、それを強化し保存する過去』(p468)だと批判した後、次のように書いている。

 

金時鐘のように止まった時間を持った者たちは、これと反対に「過去的な」理由によって現実へ戻ってくることのできない者たちだ。止まった過去によって現実を生きても別の現実を生きるしかない者たちだ。止まった時間はそのように現在を変える過去であり、現実を変えるやり方で割りこむ過去だ。(p468~469)』

 

この時間(過去)は、トラウマのように人を過去へと縛りつけるものではなく、現在に介入し、現在(この世界)の変革を促す、いわば関与的で積極的な過去なのだ。それを死者に結びつけるなら、われわれの現実に変革的に関わってくる活力ある幽霊たち、とでも呼べばよいか。

 

 

最後に、先に述べたように、第二章での「存在を賭けること」の議論について、私見を記しておきたい。

もう一度引用する。

 

『存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。(p084~085)』

 

また、こうも書かれている。

 

『「存在を賭ける」ということは、命を賭けるのではなく最善を尽くして生きることだ。死にむかって先駆するのではなく、むしろ死んだほうが楽なような状況のなかでも最善を尽くして「生きる」ことだ。生きるために甘受せねばならない苦痛を耐えぬき、生きつづけることであり、行動しつづけることであり、存在を持続しつづけることだ。(p89)』

 

このような著者の言葉の背後には、1980年代初めからの著者の運動圏での体験が濃い影を落としていることは、訳者のあとがきで述べられている通りなのであろう(そもそもこの作品が書かれた背景には、訳者をはじめとする人々による金時鐘の詩の翻訳という困難な作業のあったことを、ここで付言しておきたい)。

そのうえで私が思うのは、著者の立場は「生命」に原理的な価値を置き、いかなる場合でも「死」という生の行為を否定するというところには無いはずだ、ということである。著者の真意は、あくまでも「生を否定しようとする多くの反動的な力」への抵抗ということであって、何らかの「弱さ」(あえて、こう言うのだが)ゆえに死を選ぶということまで否定することにはないだろう。実際、著者が大きな影響を受けているというジル・ドゥルーズ自死を選んだことを、私は想起している。

上記の文章は、「耐えぬく」強さへの称賛ではなく、「耐えぬく」ことを貶めたり困難にする諸力への怒りの表明として読みたいのである。

『ビジネス化する性暴力』

 

 

 

この本は、近年の韓国の状況について書かれたものではあるが、性暴力・性差別と、ネオリベ化という、いずれも(韓国社会にのみならず)現代社会にとって喫緊の二つのテーマの関連が論じられている。

例えば、告訴された性暴力加害者による「逆告訴」(被害者への法的な報復)のようなことが、MeToo運動が始まった2018年より前から、既に韓国では猖獗を極めていたのだが、その大きな原因・背景として、社会全体のネオリベ化(韓国では、IMF危機から始まっている)があることを指摘。

いま生じていることは、性暴力やジェンダーをめぐる問題の(司法化や医療化による)個人問題化、経済化、そして脱政治化であり、競争の中で孤立した「個人」という枠の中に人々を閉じこめて、連帯による社会構造の変革に向かわせないようにしようとする、ネオリベ的な統治の仕組みの中で起きている流れだ、という視点が示されるのである。

 

 

第一章では、司法制度のネオリベ的改革によって競争を余儀なくされた法律事務所のビジネス志向(金儲け主義)、要するに誇大広告や顧客への煽りといった行為によって、加害者たちの「逆告訴」の頻発のような現象が生じていることが浮き彫りにされる。

だが、その背景にあるのは、やはりネオリベ的な統治の論理であるであることが強調される。

 

『なによりも性犯罪専門法律事務所のような、いわゆる性暴力加害者支援産業が拡張されている背景には、ネオリベラリズム的な国家の管理政策が存在する。国家は性暴力を厳重に処罰するというメッセージを伝播し、被害者の告訴を督励する一方で、加害者中心的な弁護士業界の市場化を放任しながら、双方すべての法律市場を拡大することをもって、性暴力事件の解決の法への依存度を高める効果を創出している。(p058)』

 

それによってもたらされる(ことが目論まれる)のは、法的争いを勝ち抜けるような有能なネオリベ的「個人」の形成と、性暴力が生じ続ける土壌と構造を改変しようとする集団的な意志の発生への抑圧だろう。

 

『いまや女性に対する暴力に関するシステムは公共政策ではなく国家の統治体制として個人化されたネオリベラリズム市民を再建する重要な場所となっており、性暴力は政治的論争の対象から、個別化された法的課題へと移動しているのだ。(p060~061)』

 

 

第二章は、とりわけリアルな内容だ。

なかでも、告発を受けた性犯罪加害者たちによる相互補助的なコミュニティが、資本や政治の力を借りて大きな広がりを見せている実態の詳述は、衝撃的なものである。章末のまとめの部分から引いておこう。

 

『 第二に、性犯罪専門法律事務所が運営するオンライン加害者コミュニティは、加害者たちの共感と連帯を基盤に「脱犯罪化された加害者男性性」をつくりだしている。(中略)つまり犯罪者としての性暴力加害者ではなく、男性たちの経験と悔しさを中心として、反省、復讐、哀訴、無力、自責、合理性などが交差する地点で、加害行為の意味を再構成する男性性が登場しているのだ。個人として存在していた加害者が集団化され、かれらの状況と文脈にそったナラティブが共感の言語を獲得し、省察と罪責感が応援と支持で呼応される時、性暴力被害者の経験は委曲されたり排除されたりする可能性が高くなるしかない。

(p118~119)』

 

こうしたことについては、トランプが勝利した先の大統領選挙でも非常に注目されたし、さらに広く考えれば、兵庫県知事選でパワハラ「加害者」として告発された候補の街頭演説に集まった多くの人々の心の内に何があったかを想像させるところもある。

ネオリベラリズムの論理が要請するものでもある「有責性の否認」(有責性の是認は、連帯の形成に不可欠だから)という欲望が、時として攻撃的な集団性をつくり出すという事態は、いまや現実の脅威として現われていると言えるだろう。

 

 

第三章では、ネオリベ化された社会において性暴力が、自立した個人である被害者自身によって予防され、対処され、自己決定されるべき事柄と捉えられることで、「個人(自己責任)化」され、「脱ジェンダー(脱政治)化」されるという問題や、被害者の「苦痛」だけが強調されて病理的存在(治療の対象)として扱われることで、社会が押しつける「被害者」像に被害者自身が自らを押しこめざるをえなくなり、社会的な問題の解決(連帯と闘争による)から遠ざけられてしまう、といった重要な論点が語られているが、一番怖いのはやはり、加害者による「逆告訴」、つまり、告発・告訴した被害者に対する法的な報復・攻撃についてのくだりだ。

MeToo運動の起きた2018年以後の韓国社会の情勢について、次のように述べられる。

 

『しかし法の限界が現れるまさにその地点において、加害者たちがむしろ「被害者処罰」を行い、最上の攻撃戦略を活用できる法的土台が準備されていたのだ。「企業家的自我」として自分を経営しなければならない加害者たちにとって逆告訴は、評判を管理し、被害者の語りを中断させ、被害者を社会的支持のネットワークから孤立させるだけでなく、公的なやり方の報復を実行しながら被害者の立場を奪還する効果をもたらす。そして逆差別言説の強化と、正義を実現するのだという一部男性たちの活動から力を得て、最悪の場合「加害者は日常へ、被害者は監獄へ」行くことになる逆説に直面することにもなるのだ。(p172~173)

 

「被害者の立場を奪還する」とは、加害者の方が(被害者による)虚偽告訴や名誉棄損の「被害者」と認定されて、立場が逆転してしまうという意味である。

「加害者は日常へ、被害者は監獄へ」というのは、MeToo運動の時のスローガンを転倒させたレトリックの表現だそうだが、とりわけ韓国と比べて被害者(また告発者)を守る対抗的な力が微弱な日本社会では、それがレトリックでなく現実のものになる危険性は極めて高い、いや既にそうなっている(「加害者に称賛を、被害(告発)者に侮蔑と中傷を」)と言うべきだろう。

 

 

こうした状況の背景にあるのは、ネオリベラリズムを推進しつつ、それに合致するような仕方で「個人」を形成し、その枠組みに閉じ込めることで、人々から社会的・政治的な改変に向かう集合的な力を剥奪しようとする統治の論理であろう。

その論理に対抗するため、第四章と第五章では、司法や医療の場に局在化されない、性暴力問題の真の「解決」とはいかなるものかが模索され、それを可能にする社会や集団、組織を構築するための具体的な提案が示されることになる。

著者は特に、アイリス・マリオン・ヤングの思想に大きな示唆を受けながら、次のように述べている。

 

『性暴力は、被害者たちがなんらかの行動を選択したからではなく、被害を受けるしかなかった条件のなかで発生し、この時共同体は性暴力事件の解決を、個人に対する非難ではない社会構造と条件に対する互いのあいだの実質的責任の問題として、つまり個人の選択と同意の問題から抜けだして互いに対する義務と責任の問題としてとらえなければならない。これは社会の不正義を構造的問題ととらえるために社会的連結モデルを提案するヤングの議論と繋がる。(p278)』

 

性暴力被害者が「被害者」という個人化(ネオリベ化)された枠組みから脱却し、不正義に対して共に闘う他者と連帯することこそが、被害者自身の回復と社会的な力の奪回をもたらすものであるということ。そして、それが可能であるような条件を社会のなかに築き上げていく責任を、(加害者はとりわけであろうが)誰もが負っていることを、ここで著者は主張しているのだと思う。

 

 

エピローグから、特に忘れがたい一節を引用して、この文を終わりたい。

本書は、多くの被害者や活動家、弁護士へのインタビューを含んで構成されているのだが、インタビュー過程で多くの性暴力被害者が、その甚大な苦難にも関わらず、「わたしは運が良かった」と語ったことの意味を、著者はずっと測りかねていた。

 

『出会いなおしたあとになってやっと、さまざまな問題提起によって自分が属した空間と社会を変えようとしたインタビュイーたちにとって、その「運」はすでにかのじょたちが内面にもっていた力の別名であったということがわかった。またその「運」が集まって連帯という名で実践され、繋がっていく時、さらに強力になった「運」がつくられたということを理解した。そのような面で「運」のよい人たちとともにあれたわたしこそが運の良い人なのかもしれない。(p312)』

『ジェイムズ・ボールドウィンのアメリカ』

 

 

 

ジェイムズ・ボールドウィンについては、元々作家としての存在は知っており、映画『私はあなたの二グロではない』によって、米国の黒人解放運動の中での位置についてもある程度は知っていた。ただ、作品を含めてボールドウィンの文章を読んだことはなかった。

本書は、近年米国で再び関心を集めているボールドウィンの生涯と思想について、著者のエディ・S・グロード・ジュニアが自身の内省と苦悩を重ねながら探究したものである。

以下、特に印象に残った箇所を引いておく。

 

 

『「皆で前例のないことをしたいと思っている」とボールドウィンは一九六七年に書いた。「敵をつくり出す必要を感じることなく自分自身をつくり出すことである」。(p130)』

 

 

本書で特に注目されているのは、公民権運動を経ても根本的には変わろうとしなかった米国の白人中心社会(「ホワイト・アメリカ」)の姿に直面した時の、ボールドウィンの思想の変容である。その変容とは、表面的・相互的な外側への働きかけ以前に、暴力を被ってきた自分自身の内奥に向き合い、それを通して米国という社会のあり方を問う、という態度への転換だ。

 

 

ボールドウィンはもはや白人の魂を救うことや、白人が変わらなければどうなるかについて警告することは気にかけていなかった。「この眠れる者を起こすことはできない。あれだけ起こそうと試みたが」とボールドウィンは言い切った。「私たちはできることをして、互いを支えて救わなければならない」(p136)』

 

 

この時期にボールドウィンが言っている、「皆」とか「私たち」という主語が指しているのは、黒人への差別・迫害によって被害を受けてきた「私たち」ということである。これは分離主義ではなく、暴力による被害という生存(実存)の最も根本的な所から目を背けずに社会性を構築していこうという意志の表われと見るべきだろう。つまり彼は、ここに至って本気で米国の社会を変えようとしたのである。

公民権運動が内実としては挫折し、「ホワイト・アメリカ」がその反動性を露骨にしはじめた1960年代の末期、各都市で頻発していた若い黒人たちの暴動についての意見を聞かれて、ボールドウィンはこう答えたという。

 

 

『「街を破壊しまくる」用意のある人にどんな話をするかと尋ねられると、ボールドウィンは自分にとって何が本当に重要かを明かした。

 

 その人に言える唯一のことは、支持しているよということ、それがどんな意味を持つにせよ。その人に言えないことはこれです。屈服し、惨殺されるままになれとは言えない。武装しないほうがいいとも言えない。白人が武装しているから。・・・・その人に伝えようとするのは、人の頭を吹き飛ばす用意があるのなら―そうなる可能性もあるので―その人を憎まないようにしてくれということ。そうするのは君の魂の救済のためで、他にどんな理由もない。でも、よりよい人間であろうと努力しよう、努力して―どんなに高くついても―相手よりもよい人間でいようと。私たちは自由にならなければならないけれども、相手を憎む必要はない。憎むのは時間の無駄。

                                (p153)』

 

 

ボールドウィンは、暴力を否定するのではなく、憎悪をこそ否定する。憎悪とは、差別的な社会体制が主体の中に装填する操作の為の装置に他ならないと知っていたからだろう。

不要な装置を排除して、ボールドウィンは自己の内奥を掘り下げ、そこから言葉を紡いでいった。

 

 

『事実、ボールドウィンは最初から、自身の苦悩や弱さやもろさを徹底して掘り下げることを通じてアメリカや人間一般についての自分なりのより広い結論に達していた。生涯で何度もあった精神と心の崩壊は、ボールドウィンが何をどう書くかの中心にあった。継父につけられた傷、貧しい黒人として育ったつらさ、クイアである黒人男性としての孤独感が(先行者がいないので自分をつくり出さなければならなかったと言っていた)、深い孤独感と並んでボールドウィンが世界をどう見てどう経験するかに影響した。(p168)』

 

 

このような内省を可能にしたのは、この時期にボールドウィンが滞在したトルコという「異郷」での日々だったという。著者は、そうした言わば「安息所」の重要さを強調する。

 

 

『私たちは愛の共同体を見つけ、そこで休息をとらなければならない。(中略)ボールドウィンは、彼の名声や政治的地位には関心がないけれど、彼の傷を癒す養生の場所と創意をもって考えるための知的な空間を差し出した人たちのあいだに安息所を求めた。その人たちはボールドウィンに、料理することや酒や話し相手がいることの喜びを享受する場、自分の激しい怒りやもろさを表現する場をくれた。彼らはボールドウィンを愛した。愛は仮面を脱がせ、それを深く経験することで魂を強くし、私たちの共存を患わせるものへの対処法を示してくれる。(p194)』

 

 

本書の後半のピークは、著者がアラバマ州モントゴメリーにある、黒人差別の歴史を記録するレガシー博物館とリンチ殺人の犠牲者たちを追悼する記念碑とを訪れながら、ボールドウィンについて再考する所だ。この博物館とモニュメントは、南部連合の旗が林立するような白人中心主義的な土地の真ん中にあるのだそうだ。

 

 

『より重要かもしれないこととして、見学者がその暴力に直面するうちに起きていたのは、アメリカという国の体験の核心にあるトラウマに声を与えようとする試み―黒人が耐えた傷や痛手を描写しようとするだけではなく、その暴力が白人アメリカ人の魂にどんなことをしたかを示そうとする試みであるという印象を私は受けた。(p249~250)』

 

 

ボールドウィンにとっても、著者にとっても、黒人差別の本質は米国において白人であるということ、つまり差別する側に自分を置くこと、そして置いたままにするということにこそあったのだと言えよう。

 

 

『(前略)なぜなら白人になるとはつまり他者を支配下に置くこと、他者の中に自分を見、自分の中に他者を見る能力を封じることによって魂を損なう行為であるからだ。私たちのするべきことは、そのような魂の損傷がどのように起きたかの経緯を理解し、そうすることを通じて、それまでとは異なる類の創造物になる―世界においてそれまでとは異なる存在になるために、白人でいることの見えない呪縛から自分や国を解放することだ、とボールドウィンは断言した。(p258)』

 

 

上の一節は、本書の中でも特に大事なものだと思う。

さらに、ボールドウィン墓所を訪ねた最終部では、次のように書かれる。

 

 

『しかしボールドウィンは最後には、アイデンティティとしての白人性は心の選択であり、醜悪なものに基づく世界に対する一つの態度であることを理解してほしかった。人は、そうしたければ、よりよいあり方を選ぶことができる。私たちは単に、その選択が比較的容易にできるような世界をつくり上げればいい。(p273)』

 

 

ボールドウィンが闘った相手は、白人中心主義という過酷な現実から目を背け、「リンカーン公民権運動を通して、そして黒人初の大統領を通して、米国はその理想を一歩ずつ実現してきた」と吹聴する「アメリカの嘘」の支配力である。トランプが最悪なのはもちろんだが、この嘘が支配し続ける限り、黒人差別の現実も、米国の社会のあり方も、誰が大統領になろうと決して変わることはない。それが、著者の主張だ。

 

 

ボールドウィンは、挫折して諦め、今のままの世界を受け入れるべきだという結論は退ける。(中略)ボールドウィンは困難―恐怖と不安―のほうに向って走った。それに正直に向き合うことが救済に至る唯一の可能性であることを理解していたからである。「死ぬほど怖いなら、それに向かって歩きなさい」とボールドウィンは言った。

 アメリカ人は残骸の中を恐怖と不安に向かって歩き、私たち皆が抱えるトラウマをさらけ出さなければならない。(p275~276)』

 

 

最後に、次の著者の言葉を読むとき、ここで語られているのはあくまで米国の話であって、私たち日本の現状とは無縁であると(形だけでも共和政体をとっている米国と、こちらの国とでは根本的な違いがあるとは言っても)、果たして言えるだろうか?

 

 

『私の想像では、この地は黒人の子供が生まれながらにして国外追放されない国、彼らの心を傷つけ、親が子の魂を守るために日々応急手当をするように強いる無数の切り傷や深い傷に耐えなくてもいい国になる。価値の格差とのつながりの切れた新しいアメリカは、私も含めた何百万もの黒人がついに、この国の矛盾によって頭がおかしくなっても不思議はないという懸念なしに安心してここにいることができるようになる。この国に「いるが属してはいない」という落ち着かない気持ちがなくなる。自分たちの罪を隠すために嘘をつかなくくてもよくなるので、誰もがしばらく休むことができる。これが、私の想像の中で生まれてくるアメリカである。(中略)私はアメリカがまたもや安全を選ばないことを祈る。(p277)』

『目的への抵抗』

 

 

 

私事だが、僕が常々自分のことを恵まれていると思うのは、A「自分がやるべきだと思うこと」とB「自分がしたいこと」とが、ほぼ合致していることである。

しかも、これに加えて、しばしばC「やっていて楽しいこと」も上記二つに合致しているのだ。これは非常に幸運なことだと思う。

これは、社会運動に関して言っているのだが、政治哲学を論じたこの本では、このうち特にCについて掘り下げて考えられていると言えよう。この点をどう位置づけるかは、僕自身少し気になってたので、その意味でも面白く読めた。

 

 

さて、本書では、2020年10月と2022年8月という、「コロナ禍」をはさんだ二つの時点で行なわれた「講話」と質疑応答の内容が収められているのだが、その1回目の方では、イタリアの哲学者アガンベンが、同国の厳しいコロナ対策に対して向けた批判の発言が取り上げられている。

アガンベンの批判は、コロナ禍において進行していた主に次の二つの事柄を問題としているようだ。

① 死者が葬儀されることなく埋葬されていく、「死者の権利」の侵害。

② 「移動の自由」の制限。

 

アガンベンにとっては、この二つは、いずれも人間が人間であることの根幹に関わる事柄だと考えられたようである。そのことは、巻頭に掲げられた「生存以外にいかなる価値をももたない社会とはいったい何なのか?」というアガンベンの言葉に示されている。

だが僕からすると、ここである疑問が生じる。

①は、人文主義的、あるいは人間中心主義的な主張だと思える。動物は、葬儀や埋葬をしないからである。つまり、人間(文化・社会を持つ者)の生存と、そうではない生存との間に、ここでは強い線引きがされている。それは、文化という秩序を重視する考え方に思える。

一方、②は、僕にはアナーキーな、つまり反秩序的な自由の価値の主張であるように思える。

①と②、秩序(文化)と反秩序、この両者がアガンベンのなかでどう接合しているのか、ちょっと不思議なのだ。

このうち①に関して、著者の国分は質疑応答の中で、『(アガンベンは)なぜ「死者の権利」と言うのか?「死者に対する敬意」では駄目なのか?』という風に問うている。また、硫黄島の戦闘で生き残った人が戦友の死の様子を語った様子に触れて、「追悼」とは異なる「供養」という言葉、死者に寄り添うかのような姿勢について述べる。それらは、キリスト教的・人文主義的・人間中心主義的ではない、死者との関係性を示唆するものかもしれない。

ただ、それが本当に人間中心主義のようなものを脱しているのかどうかは分からないが。

 

 

②のアナーキズム的な自由の主題の方は、2回目の「講話」のテーマにつながっていく。

ここでは、ベンヤミンの「暴力批判論」が参照されている。この論考ではどうしても「神話的暴力」と「神的暴力」の有名な区別を思い浮かべがちだが、国分はここで、それよりも手前のところの、「政治的ゼネスト」と「プロレタリア的ゼネスト」の区別に着目する。

何らかの(政治的)な「目的」のための「手段」として行われる前者に対して、そうではなく「純粋な手段」、「目的なき手段」としての後者を言挙げしたベンヤミンアナーキスト的な(国分はこの言葉は使っていない)発想に注目するのである。

そしてこれを、アーレントの公共的な「自由」の議論に結びつけていく。こうした論の展開の結論として、次のように言われているが、素晴らしい言葉だと思う。

 

『しかし、重要なのは人間の活動には目的に奉仕する以上の要素があり、活動が目的によって駆動されるとしても、その目的を超え出ることを経験できるところに人間の自由があるということです。それは政治においても、食事においても変わりません。

 目的のために手段や犠牲を正当化するという論理から離れることができる限りで、人間は自由である。人間の自由は、必要を超え出たり、目的からはみ出たりすることを求める。その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だと言ってもよいかもしれません。そこに人間が人間らしく生きる喜びと楽しみがあるのだと思います。(p195~196)』

 

 

ただ、ここで文頭に戻るのだが、僕は自分が確かに感じている「楽しさ」に、ある留保を付け加えたい気もする。というのは、この「楽しさ」は、なるほど「自由」というものに近い気はするのだが、同時に、リビドーに関係している危惧も棄てきれないからだ。だから直ちに悪いというわけではないが、それは「自由」とは少し違う気もする。その違うということを大事にしたい。むしろ、この違いの中にこそ、本当の自由につながる道があるのではないだろうか。

だから、アーレントの思想に行く手前で、彼女の親友であったベンヤミンの、暴力についての両義的な考察に近い場所で、僕は「自由」や「抵抗」ということを考え続けたいと思うのである。

この本の最後には、「責任」や「他者」についての問答が書かれているのだが、これはそうした主題にも関わることであろう。

『ハイチ革命の世界史』

 

https://www.iwanami.co.jp/book/b629853.html

 

『黒人奴隷制の廃止は「人権宣言」からの論理必然的な帰結として自動的になされたのではない。一七九一年八月に始まるサン=ドマングの黒人奴隷自身による解放運動の展開が一大転機となった。黒人奴隷制の史上最初の廃止は、ほかならぬ支配と抑圧のもとにおかれた黒人奴隷たちを担い手とする一大民衆革命の所産として実現された。(v)』

 

 

『ハイチ革命は「権力」によって「実際にはなかったこと」とされ「沈黙」させられた、ということである。些細な出来事だったからではない。「沈黙」させ封印しなければならないほど重大だったのである。(vii~viii)』

 

 

『先駆的な黒人奴隷解放と独立という輝かしい歴史を持つにもかかわらず、ハイチは極度の貧困に喘いでいる、という表現は不的確である。むしろ、そのような先駆的な国であるが故に貧困化へと向かわされた、と言わなければならないであろう。当時の周辺世界は「世界初の黒人共和国」を歓迎しなかった。ハイチは、その先駆性ゆえに、苦難を強いられることになったのである。(p129~130)』

 

 

最新の研究動向や国際政治の動きも交えながら、広範な視点で、ハイチという特異的な国の視点から世界史を眼差して書かれている。書名の通りの内容だ。

元々、フランス革命期に、そのフランスから独立を勝ち取ったのだから、フランス植民地主義(現在まで続いている)との関わりが重要なのは当然だが、後半では米国との関わりの深さが強調される。

リンカーンがハイチを承認した理由は、自国の奴隷解放によって急増した「自由黒人」を海外に送り出す(追い出す)「黒人植民」という政策の入植先として期待したからだった。つまり、「自由黒人」が多くなると国情が不安定になって困るので、アフリカにリベリアという独立国を作らせて承認し(アフリカに)「送り返す」と同時に、ハイチにも入植させようとしたのである(結局、これはうまくいかなかったが)。

その後も米国は、(ラテンアメリカ全体に対してと同じく)ハイチを支配下に置き続けようとする。今世紀に入ると、ラテンアメリカの支配を米国とドイツが競い合うという構図になってくる。そのなかで、第一次大戦期(一九一五年)に米軍はハイチを占領し一九三四年まで軍政下に置く。その間に行なった事は、暴力的な産業化・収奪と、抵抗運動の凄まじい弾圧だった。軍事力や借款による経済的支配に加えて、「占領」による制度や人々の内面への破壊(ダメージ)を通して、米国はハイチの「貧困化」の主役を担ってきたと言えるだろう(パレスチナや沖縄のことを想起せずにはおれない)。

実際、この後も米国はハイチの軍事占領を繰り返しており、最近では二〇一〇年の数十万の死者を出した大地震の時が、それにあたる。

遡れば、フランスから独立を勝ち取った後のハイチの政体も、決して平和的だったり平等なものではなかった。それももちろん、過去の植民地支配と奴隷制、そして独立後も続いた帝国主義列強による再侵略の脅威の反映だと言えよう。そうした意味でも、ハイチの歴史と現在は、私たちの世界史の縮図なのだ。

最後に「ハイチ」という国名の由来だが、独立の時よりずっと昔、スペイン領だった時代に絶滅させられた先住民の言葉で「山の多いところ」という意味なのだそうである。史上初めて奴隷制の支配を打ち破り、独立を勝ち取った黒人やクレオールの人々は、自分たちとは無縁な、はるか昔に絶滅させられた民の言葉を国名としたのである。

 

高秉權さんの講演の感想

8月1日に同志社大学で、『黙々』の著者高秉權(コ・ビョングォン)さんを招いての会があり、案内をもらったので行ってきた。

https://arisan-2.hatenadiary.org/archive/2023/12/08

平日だったが、多数の参加者があった。講演やコメント(渡辺琢さん、北川真也さん)だけでなく、会場からの発言も内容の濃いもので、良い会になっていたと思う(通訳、手話通訳の方々はお疲れさまでした)。

高さんは、本を読んで想像してた通りの感じの人だった。始まる前、Tシャツを着た小柄な男性が前の方にずっと立っていると思ったら、それが高さんだった。

 

講演の内容で、特に印象深かったのは、後半の部分だ。そこで高さんは、今の社会が非障害者(「健常者」)をモデルにした「平均的人間」像を前提として成り立っており、その虚構の像にそぐわないものを、あるべきではない存在として無視したり排除している傾向を強く持っていること、しかもその傾向が強まりつつあることを批判している。

配布されたレジュメ(影本剛翻訳)から引用する。

 

『わたしがノドゥル夜学で学んだ倫理はこれとまったく異なるものです。誰かの言葉を聞き取りたいなら、他の誰とも異なるまさにその人に「注意を向けなければ」なりません。その人の発声と身振りを理解しなくてはならず、さらにはその人の日常、活動、欲望、人生、困りごとに注意を向けなければなりません。多数や平均ではなく固有の差異、特異性(singularity)に注目しなければなりません。「その人の言葉」を待つ人だけが「その人の言葉」を聞くことができます。』

 

このように述べて、高さんは、現在の社会において障害者の声が『関心のもたれない声、期待されない声、喜ばれない声』とされていることを批判し、そうした「あえて聞こうとしない」社会の『防音壁』を揺るがせる必要を強調する。

個々の特異性を見ようと(聞こうと)せず、あえて『防音壁』の内に閉じこもろうとする社会、その為に他者の必死の声もあえて排除するという態度への苛立ちや怒り。それは、講演でも著書でも述べられているように、高さん自身の体験と反省から出てくる真摯な感情であろう。

僕は、この高さんの「倫理」に強く同意するのだが、少し違うことも言っておきたい。それは、私たちが「注意を向け」るべき対象である「声」とは、必ずしも他者の声に限らないだろうということだ。つまり、私自身の身体の特異的な「声」にもまた、私は耳を傾ける必要がある。そして、そのことが大変難しくもある、ということだ。

もちろん、そのことは高さんもよく分かっておられるだろうが。

 

ところで、この社会の『防音壁』を揺るがす為の手がかりとして、講演の最後で紹介されているのが、1995年に障害者差別に対する抗議の焼身自殺を遂げたチェ・ジョンファンという人についての話である。この出来事は、韓国の障害者運動の流れを変えるほどの大きな衝撃を与えたという。

その最期の時に遺言を聞き取ったユヒという人がいる。この人は故人と同じく露店を営む貧しい障害者だった。チェ・ジョンファンと同じ境遇で、貧しさと差別と闘ってきた人である。この人が聞き取ったのは「復讐してくれ」という、声にならないメッセージであったという。それは言葉ではなく、最後はアイコンタクトを交えながら、ユヒはこの遺言を確かに聞き取ったのである。

僕は自分の体験からも、こういう事があり得るだろうと想像するのだが、同時に、その「言葉」はユヒ自身の「内なる声」でもあっただろうとも思う。そのことは、ユヒがチェ・ジョンファンの遺言を聞き取ったという事実と矛盾しない。つまり、それでよいのだ。

ただ同時に、それが他ならぬユヒ自身の特異的な声であったということ(可能性)も、常に自覚しておくべきではないかというのが、僕の言いたいことである。

『国道3号線』

 

この本では、谷川雁のことが多く書かれている。大正行動隊や退職者同盟など、彼が関与した運動のあり方についても随分興味深いのだが、読んでいて最も印象に残るのは、著者の文章以上に、引用された谷川自身の、次のようなユーモラスなほど力の入った言葉である。

 

 

『「彼らはどこからも援助を受ける見込みはない遊撃隊として、大衆の沈黙を内的に破壊し、知識人の翻訳法を拒否しなければならぬ。すなわち大衆に向っては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する。そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう。」(p150 谷川雁「工作者の死体に萌えるもの」からの引用)』

 

 

ちょっとよく分からないところもあるが、とにかく意気込みだけは伝わってくる。「連帯を求めて孤立を恐れず」というあまりに有名な(「お前はもう死んでいる」ぐらいに)決め台詞よりも、「偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に」というくだりなどに僕などは「萌える」のだが。

それはともかく、この「意気込みだけは伝わってくる」というのは、村田英雄の歌の歌詞と同じだ。実際、九州の奥深い民衆史を素描的に掘り下げたとも言える本書において、不思議にも欠け落ちている固有名詞を一つ上げるとすれば、それは村田英雄ではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=2JdMHj6s-mU

 

 

谷川雁に関しては、小野十三郎が谷川と黒田喜夫を比較して論じた文章が引かれているが、僕も以前同じ文章を読んで強い印象を受け、ここに記事を書いたことがあった。

https://arisan-2.hatenadiary.org/entry/20141230/p1

あれは随分マイナーな出処の文章で知ってる人も少ないだろうと思ってたのだが、研究者の人はちゃんと目を通しているのだと感心した。僕の読み方は、著者の森さんとはだいぶ違うのだが。

それから、谷川と石牟礼道子との、ずいぶん力の入った論争というか、言葉の応酬も紹介されていて興味深かった。これについては詳述しないが、僕は(これも以前に書いたが)、石牟礼道子という人は、近代日本の民衆に対しても、前近代に対しても、必ずしも肯定的には見ていなかったと思っている。

本書では、石牟礼の『西南役伝説』のはじめの部分が何度か引用されて論じられており、国家に回収されない民衆の姿を肯定的に見ていた石牟礼が論じられている。それは、僕には読みとれていなかった面で、読んでいてたいへん勉強になったが、同時に石牟礼は、戦争という国家の行為に加担することで利益を確保する民衆の狡賢さもちゃんと書いてたと思う。もちろん、著者の森さんも、それは把握した上で、そういう狡さも含めて民衆の潜勢力のようなものを肯定しようとしているのであるが。

ただ、石牟礼が最も重視したのは、近世(江戸時代)の民衆ではなく、「島原の乱」の民衆、近代をあらかじめ拒否し打倒しようとした(いわば)前近世の民衆の像だったのではないかと思う。その点で、石牟礼に対する谷川の批判とは、すれ違っていたのではないか。「日本の民衆は、あなたが思い描くような理想的なものではありませんよ」と谷川が言った時、そんなことは百も承知で、石牟礼「狐」は真っ赤な舌を出していたような気がするのだ。その同じ舌を、皇后に対しても出していたのか、それとも騙したつもりが尻尾を掴まれたのか(向うの狐の方が上手だったのか)、知る由もないが。

 

 

著者の森さんの歴史、あるいは民衆(大衆)に対する考え方が最もよく示されてるのは、半ば神話上の存在である古代の安曇一族と、その始祖とされる「磯良」なる人物について書かれたパートだろう。少し引いておく。

 

 

『磯良の存在は、私たち民衆の姿が投影された大変示唆的な象徴として、考えることができるかもしれない。安曇一族が王権に取り込まれようとも、打撃を喰らおうとも、それでもなお安曇一族は生き続け、その伝承は現在もなお続いている。

 古代において若松半島をはじめとした北部九州に住まう人々は、国家に蹂躙されることもあれば、国家を下支えすることもあった。(p219)』

 

 

『磯良が極めて神話的な存在でありながらも、いっぽうで安曇一族の先祖として、現実世界の象徴的な位相でのモデルとして考察対象になりうるとも考えられる。ときに国家に抗い、ときに国家に利用され、生と死のあわいに、しなやかにその生き方を表現していた存在だ。このしなやかさのなかに安曇一族だけでなく、私たちも私たち自身を見出すことができるのではないか。(p220)』

 

 

「おわりに」の章は、ずいぶん思い切って思弁的だが、とりわけベンヤミンの「新しい天使」を引きながら語られた冒頭の部分には、心を打たれるものがあった。

著者はここで、いわば「死者」の視点に立って語っていると思う。これは、なかなか出来ることではない。

 

『私たちが存在しない未来は、私たちが存在していたことが前提とされる。つまり私たちがかつて存在したことと、私たちが潜在的に存在することとが共に語られることで、未来が語られる。(p225)』

 

 

『そう、未来とは、過去と現在がなければ潜在的ではないのだ。私たちは現実に生き、そして死ぬ。死んだとしても瓦礫となり、未来の行く末を方向づけることができる。過去は現在に生き、未来に生きるのだ。だから過去は死なない。価値は今ここ、そして過去の出来事を知ることからしか生まれない。(p226)』