『病むことについて』

 

 

 

1925年に書かれた「『源氏物語』を読んで」という文章の中で、ヴァージニア・ウルフはこう書いている。

 

紫式部はたしかに、芸術家にとって、特に女性の芸術家にとって、この上もなく恵まれた時期に生きていた。生活は戦争に重きをおかず、人びとの関心は政治に集中していなかったのである。この二つの力の激しい圧力から解放され、生活は、振る舞いの込み入った事柄、男性が何を話したか、女性が何をはっきりと言わなかったか、静かな表面を銀色のひれでかき乱す詩、舞いや絵を描くこと、また、人びとが我が身を完全に安全だと感じるときにのみ生まれる、あの荒れ果てた自然への愛などに主として現われていたのである。(p68)』

 

 

このように述べてウルフは、生活における「ありふれたもの」や「実際に使うもの」を注視して、そのありのままの美しさを表現する『源氏物語』の完璧さを賛美している。

 だがその一方で、ウルフは、そうした『源氏物語』の美の世界の限界を次のように指摘する。

 

『(前略)だが、それにもかかわらず、それは一等星ではないのだ。ちがう。紫式部トルストイセルバンテス、あるいは西欧のその他のすぐれた物語作家に匹敵する存在であることを身をもって示していない。西欧のすぐれた物語作家の先祖たちは、彼女が格子窓から「みずからの思いに微笑む人びとの唇にも似て」咲き開く花を眺めているあいだ、戦ったり、小屋でうずくまっていたりしていたのだが。憎悪、恐怖、あるいは、さもしさという要素、経験の根といったものが東洋の世界からは取り払われており、そのため、粗野なことはあり得ず、下品さもあり得ないが、それとともに、活気、豊かさ、成熟した人間関係もまた姿を消しているのだ。そうしたものが欠けると、金は銀色になり、ぶどう酒には水が混じるのである。紫式部と西欧作家とのありとあらゆる比較は、彼女の完璧さと彼らの力を明らかにするだけである。(p71~72)』

 

 

 この文章は、一読すると、西洋の人であるウルフの「東洋の世界」に対する偏見を披歴したもののようにも思えるだろう。だが、ウルフがここで言っていることの核心は、別のところにある。

 なんといっても、この文章が(そして、作家ヴァージニア・ウルフの主要作品群が)、いわゆる大戦間期、1920年代から40年代の初めに書かれたものであることを忘れるべきではない。当時のウルフの主要関心事は、戦争やファシズムという形で露呈していた、この世界を覆う「支配」の論理に、どのように抗うかということであった。フェミニズムの問題も、またもっと後年、本書所収のものとしては1940年の「斜塔」においては明確になっている階級社会批判の立場も、もっとも一般的に言うならば、そこに源を持っていると言うことができよう。

 つまり、上の文章でウルフが『源氏物語』の限界として批判しているのは、階級支配や男性支配という形で現われてくる、その時代に応じた「支配」の仕組みを、この文学は脱することが出来ていないという点なのだ。それは『源氏物語』においては、天皇を中心とした貴族社会の支配の論理ということになろう。

 「女性の芸術家」が、戦争や政治の圧力から解放され、身の回りの生活(自然と人間を含んだ)の、ありのままの姿にあらわれる美を見出したと、ウルフは書く。だがそれは、本当は、政治や戦争を含んだ現実の根幹のところから女性が排除され、身の回りの生活の美だけを眺めているように規定された、そういう仕組みのなかに居るということである。

 もちろん、時代による限界というものはある。千年も昔の女性の文学者が、そういう自分を支配する仕組みを相対化したり、まして批判することは難しかっただろう。

 だが、ウルフが本当に批判したいのは、千年も昔のそうした美や文学のあり方が、ことさらに称揚される「大戦間期」の世界の、悪しき政治性だったのではないか。

 戦争や政治の現実から、女性や芸術家を分離し、身の回りの生活の領域にだけ閉じ込めておこうとすることは、戦争、とくに全体主義的な戦争を行なおうとする者たちには、必要度の高い振る舞いだったのだと思う(最近再評価が進んでいるという、帝国日本の「民芸運動」が想起される。)。

 その「支配」の力の現前に対して、ウルフは抗おうとしていたのではないか。

 そして、同じ「女性の」芸術家、文学者であっても、自分は、そのような支配の仕組みのもとに従属しはしない。設えられた格子窓から外の景色を眺めているだけの表現者にはならないという、この時代を生きる者としての決意が、上の文章には読みとれると思うのである。

 

 

 このように、この本に収められているウルフのエッセイや講演を読んで、強い印象を受けるのは、支配に対する明確な抵抗者、批判者としての彼女の側面であり、それは、源氏物語になぞらえて言うなら、「からごころ」とも呼べそうな部分である。この「からごころ」的なものを非難し、排除するところにこそ、源氏物語を称賛した(宣長に始まる)近世日本の文化的ナショナリズムの本質があったのだから、「源氏批判」を初め、この本での「女性の芸術家」(ウルフ)の言説が、天皇ナショナリズムにどっぷり浸かった現代日本の読者には受け入れ難く思えるのも、無理からぬところであろう。

 その(現代日本の)読者の立場で考えるなら、上の文章の「東洋の世界」という言葉を、「被支配の世界」と、そして、より具体的・政治的には、「天皇が居る世界」と置き換えて読んでみることが、適切であるように思われる。私たちは今もなお、「天皇」の磁場に閉じ込められて生きているのだから。ウルフの批判(闘い)から、私たちが読み取り、受け継ぐべきなのは、そういう姿勢だと思う。

 そう考えるとき、特に重要な意味をもって迫ってくるのが、1931年の講演「女性にとっての職業」の、次の印象深い一節である。

 ここでウルフは、すべての女性作家にとっての(内面の)不倶戴天の敵というべき存在、男性支配の秩序を受け入れて振る舞うことをささやきかけてくる「家庭の天使」との、格闘と殺害の不可避性について述べている。

 

『私は家庭の天使に襲いかかり、彼女の喉首を掴まえました。ありったけの力で彼女を殺しました。もし法廷に召喚されたら、自己防衛の行為だったと弁明するでしょう。私が彼女を殺さなかったら、彼女が私を殺したでしょうから。彼女は私の書評から核心部分を抜き取ってしまったでしょう。というのは、書きはじめたとたん分かったように、自分の意見がなければ、人間関係や道徳や性について真理と思うところを述べなければ、小説さえも書評できないのです。こうした人間関係や道徳や性の問題は、家庭の天使によれば、女性が遠慮なく率直に扱えないものなのです。女性は、自分の思い通りにことを運ぼうとするなら、魅了しなければ、懐柔しなければ―あからさまに言えば、嘘をつかなければならないのです。(中略)彼女はなかなか死にませんでした。その想像上の性質は、彼女にとって大きな助けでした。実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです。最後の止めを刺したと思っても、彼女はきまってこっそりと舞いもどってきました。(p106~107)』

 

 

 「実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです」。これはまさに、天皇制についての言葉として読むことが出来るものではないだろうか。

 この殺害に成功した人は、この国にどれだけ居るだろうか。一度成し遂げたと思っても、あるいはそう思いこんだ人ほど、いつのまにかその再来と、それへの従属を許す結果になったのではないだろうか。 

 天皇制の否定は、それがどれほど困難だったり危険であったりしようと、私たちが真に個人であり、人間であるためには不可欠なことだ。だが、その本当の困難さは、この不断の再来の経路を、どうやって断ち切ることが出来るか、ということにあるのだろう。それはもちろん、(世界中の誰もが行っている闘いと同型であるという意味で)普遍的な問いにならざるをえないものだと思う。

『増補 闘うレヴィ=ストロース』

 

 

 

 本書によると、若い頃、社会党系の青年団体の熱心な理論家・活動家だったレヴィ=ストロースは、社会主義的な制度変革と同時に、あるいはそれ以上に、社会に倫理性をもたらすことを重視した。そして、ここでの倫理性とは、人間と自然との関係の重視という意味合いを強く持つものだった。

 本書中に引かれたポール・ニザンの『アデン・アラビア』を評した文章のなかにも、そのことははっきり書かれている。この小説を読んだことが、レヴィ=ストロースがブラジルに渡り、先住民の人々の暮らしのなかに分け入って調査を行うことの重要な契機となるのだ。

 本書の大きな特徴は、その長い人生の、特に若い時代をはじめとして、レヴィ=ストロースの文章や発言が数多く引用・紹介されていることだが、百歳を越えて生きた彼の、人類学者という生き方を決定づけたものが、若くして亡くなった(優れて政治的な)文学者の作品への共感と反論であったことは、感慨深いものがある。

 

 

 またレヴィ=ストロースは、ブラジルから帰国した後、第二次大戦中に書かれた文章の中で、フランスがナチス・ドイツに軍事的に敗北した責任を、社会革命という目的を放棄してブルジョワに同調した労働者階級の指導層にある(人民戦線内閣のことだろう)と主張しているのだが、そのような見方の根底にあるのは、ナチスの暴力は、欧州が非欧州に対して(植民地支配によって)振るってきた暴力を欧州の内部に転化したものに他ならない、という考えであったという。

 その根本的に暴力的(非倫理的)なあり方を改めなければ、ナチスの暴力に対する抵抗も皮相なものにとどまるしかない、ということだろう。

 

 

『文明世界が自分以外の世界すなわち植民地を支配しようとして作り出した関係の構造が、文明世界そのもののなかに凝縮して反復されたのが世界大戦であり、それによってもたらされた「ある種の国際的内戦」の解決には、世界全体として支配の構造を解体せねばならない。これが、国際的内戦の時代にかろうじて世界の余白に自分たちの宇宙を維持し生活を営んでいた人々を見届け、そこに侵食するデフォルメされた文明世界の背後に、自分のよってきたる文明の退廃を透視するというレヴィ=ストロースが獲得した遠近法だった。(p121)』

 

 

 西洋(それはレヴィ=ストロース自身でもあるが)の根幹をなしている、自然と隔絶した破壊的な生のあり方、思考の方法からいかに脱却し、他者や自然との倫理的な関係を回復していくかということが、レヴィ=ストロースのテーマになったのだろう(1970年代以降に彼の思想が大きな影響力を持った理由が分かる)。

 この、破壊的である西洋的な思考の特性、それをレヴィ=ストロースは「同一性」という言葉によってつかもうとしたようだ。他者を自分のなかに回収して消化(消費)してしまおうという意志。これは、レヴィ=ストロースの用法とは違うかもしれないが、むしろ魯迅が使ったような意味での「食人」的な論理、とでも呼べそうなものだ。マルクス主義者なら、それを資本主義の論理そのものだというかもしれない。

 だがレヴィ=ストロースは、それを、彼自身でもある西洋的主体の「倫理」の問題、「(深い)内面」の次元の問題に置き換えてしまう。というより、思考のあり方の問題として設定するのである。

 これが、構造主義と呼ばれる態度だが、ここで「同一性」の論理の代表として特にとりあげられるのは、「歴史」という概念である。

 

 

『ここで注目しておきたいのは「構造」とは、いわば「変われば変わるほど変わらないもの」という逆説的なものだという点である。それは、「変われば変わるほど変わるもの」、レヴィ=ストロースの言葉を使えば、変化することで「崩壊」に向かう「歴史」とは対照的な何かなのだ。(中略)いずれにせよ「歴史」とは質の異なる変化としての「変換」というものを考える可能性を求めて、レヴィ=ストロースは「構造」という着想にいたったのだということを確認しておこう。(p25~26)』

 

 

 レヴィ=ストロースにとっての「歴史」とは、変化(同一化)による破壊と崩壊の過程と、ほぼ同義に考えられていたことが知られよう(それは、思考のあり方としては、コギトと呼んでいいだろう)。そして、そうした破壊の現実にコミットする(それでは「歴史」の一部になってしまう、ということか?)のではなく、そこから距離を置いて、この破壊の過程の外部にある生と思考のあり方を、他者のなかにも、自分自身の内部にも見出そうとした。そう言えるのではないかと思う。

 この辺がどうも、私にとってはレヴィ=ストロースという人の(そして、構造主義というものの)分かりにくさである。ここで言われている「倫理」とは、(西洋的な)思考のあり方という、きわめて抽象的な次元に限定されるものではないのか。

 彼がなぜ、「思考」(構造)という次元に関心を限定したのかというと、それは自分自身が有しているコギトの暴力によって対象を破壊してしまうことを恐れたからだろう。その恐れ、繊細さが、彼の「倫理」性の内実なのだと思う。

 だが、その限定によって、確かに存在しているはずの、歴史的な主体の倫理性というものが放棄される。私には、そういう風にしか思えない。

 このことは、レヴィ=ストロースをはじめとするフランスの人類学者たちの多くが、南北アメリカ大陸という直接にはフランスの植民地主義の暴力をそれほど蒙ってはいない土地の先住民を、その研究対象としたこととも関係しているように思える。なぜ、彼らは、自国の植民地支配の被害者であるアフリカの先住民に目を向けることを忌避したのか?「構造主義」は、果して、その自分たち自身の意識の(そして「倫理」の)深層に届く射程を有していたのか?

 

 

 

 さて、それはともかく、西洋的思考の特徴である「同一化」の論理の外にあるような、その、いわば「他者の思考」のあり方を具体的に示しているものとして、(第二次大戦後の)レヴィ=ストロースが着目したのが、「神話」であったようだ。私は、こうしたレヴィ=ストロースの仕事に関して無知だったので、このくだりは大変興味深く読んだ。

 ナチスの時代を体験したレヴィ=ストロースの同時代人たち、例えばベンヤミンカッシーラーにとって、「神話」とは人を同一性のなかに巻きこみ破滅させてしまう怖ろしいものだった。

 だがレヴィ=ストロースは、「神話」というもの、なかでもトーテミズムに対して独自の解釈を与えることによって、「神話」を同一性の論理から解放し(彼にとっては、フロイトなどによるトーテミズムの「科学的」解釈も、この同一性の論理としての「神話」の一種に他ならなかった)、もう一つの方向、いわば変身と混交の論理に読みかえようとしたようだ。

 これは、レヴィ=ストロースの仕事のなかでも、もっとも魅力的な部分ではないかと思った。

 

 

『神話はそれ自体は意味を欠いた、しかしそれ自体以外のものに意味を与える解読格子であり、その構成単位はしたがって意味を欠いた音素に相同であり、多様な交換関係を産出しうるものとみなされなければならない。そしてさらに(引用者注 レヴィ=ストロースは)こう付け加えている。「これらのばらばらなデータ〔種々の疑問〕は互いにうまく結びつかず、たいていは衝突する。神話によって提供される理解可能性の母型は、それらを分節して首尾一貫した一個の全体とすることを可能にするのである。ついでに言えば、神話に与えられるこの役割は、ボードレールが音楽に付与しえた役割にそのまま通じることがわかる。」(p160~161)』

 

 

 ここで言われている「種々の疑問」というのは、例えば、「人はなぜ死ぬのか」というような根本的な生存の条件に関わる問いである。神話は、そうした種々の疑問に、整合的な答えを与えるものだ、というわけである。

 

 

『しかし歴史的出来事を構造に吸収してしまうトーテム的分類の論理は、けっして凝固したものではなく、歴史変化とは異なる多様な構造変換の可能性を開いている。(p189)』

 

 

『自然と文化を媒介して多様な社会構造の生成を可能にし、また集団と個体を媒介する種操作媒体によって成り立つトーテム的分類の体系は、社会を自然のなかに統合する方向をもっているといえる。(p191)』

 

 

 あるインタビューのなかで語られた、レヴィ=ストロースの次の発言は、特に印象深い。

 

 

『「先ほど神話について語りましたが、民族学者にとって神話とは何か述べてみましょう。南北アメリカのどのインディアンに「神話とは何か」と聞いてみても誰からも次のような答えが返ってくるでしょう。それは動物と人間が実際には区別されず、人の姿と動物の姿のあいだでどのようにも変えられた時代に起こったことの物語なのです。私たちにとってほとんど悲劇的ともいうべき真実とは、人間の条件には何かしら悲劇的なものがあると思うからですが、それは私たちが私たちと同様に生きていながら、意思疎通できないものたちと間近に接して生きている、ということなのです。神話の時代とはまさにそれが可能だった時代なのです。」(p194~195)』

 

 

 なお、この「増補」版には、レヴィ=ストロースを、大先輩のマルセル・モースとあわせて論じた文章と、弟子にあたるクラストルと比較した文章とが新たに収められていて、どちらもたいへん興味深い。

 (また、レヴィ=ストロースが7、80年代に社会生物学に対して厳しい批判をしていたということがちらっと書いてあり、どんな内容だったのかも気になった。)

『資本主義と奴隷制』

 

 

 

エリック・ウィリアムズの『資本主義と奴隷制』。

まず、書かれたのは第二次大戦中。著者は、トリニダード出身の黒人の学者だが、運動家・政治家としても著名な人で、後に同共和国の初代首相となる。

 

概要は、イギリスの近代奴隷制の歴史で、17、8世紀の重商主義時代に行われた奴隷労働による生産(西インド諸島の砂糖プランテーション)と奴隷貿易自体とがもたらした富が、19世紀の産業革命自由主義経済体制の基礎を作った、ということ。そして、その自由主義経済体制(=新帝国主義)によって、奴隷制、すなわち重商主義と「独占」の時代は否定され終焉することになった、という歴史観

つまり、著者は近代の奴隷制を、重商主義や「独占」(非自由貿易、ブロック経済みたいなもの)と不可分のものと考えていて、産業革命以後、英国が全世界を市場にすることが可能になると、より大きな利潤を得るためには「独占」は邪魔になり、それと結びついた奴隷労働・奴隷制も無用の長物になった。だから、英国は奴隷制を廃止し(1833年)、自由主義新帝国主義)時代の幕を開いた。

 

元々、西インド諸島の砂糖プランテーション奴隷制が採用されたのは、砂糖の生産(サトウキビの栽培)には集団的な強制労働という生産様式が適合的だったからだという。他の作物では、自由農民が個人的に作った方が生産的なものもあるが、サトウキビはそうではなかった。

そして、初めのうちは、黒人(アフリカ人)ではなく、英国内(アイルランドを含む)の貧しい白人たちが、この強制集団労働をやらされていた。この事実は、あまり知らなかった。西インド諸島流刑地みたいにされていて、微罪や冤罪で捕らえられた人、あるいは政治犯などが、死刑を免れる代わりに、送り込まれて働かされた。また、子どもを誘拐して売り飛ばす、ということも普通にあったらしい。

こうして膨大な数の白人たちが、奴隷船同様の船に押し込まれて送られ、働かされたのだが、ただ彼らは「奴隷」とは違っていたことを、著者は明言する。「白人奉公人」と呼ばれるが、一代限りで、身分が継承されるということはなかったし、刑期や一定の年期が開けると「解放」されて自由農になった。こうした自由農は、独立心が強く、政治的にも民主主義の志向が強くて、支配層にとっては厄介な存在だった。

そうした政治的な事情と、労働に対する適性のようなものもあって、白人ではなく黒人による奴隷労働が選択されたのだと、著者は言っている。

著者の基本的な考えの一つは、「人種差別は、奴隷制労働の産物である」ということだが、これは「黒人は生来、奴隷になることに向いている劣った人種だから、奴隷になったのだ」という誤った思想を反駁することに力点があるので、レイシズムの問題を軽視してるわけではないと思う。

 

さて、奴隷による砂糖の生産だけでなく、奴隷貿易自体も英国に富をもたらしたと、先に書いた。これは、他国にアフリカの奴隷を売りつけたり、送り込んで送料をとった、ということも勿論あるが、もう一つは、アフリカで奴隷を獲得するときに、アフリカの支配層に対して様々な贈り物(織物や、貴金属、銃、ガラクタなど)を見返りとして送ったらしい。それを奴隷業者が発注したことで、英国各地の諸産業が大儲けした、というのである。

このへんは、今日、どのぐらい論証されてるのか、よく分からない。ただ、ここからうかがえるのは、産業革命以前の時代には、アフリカの経済や文化(もちろん支配的な人たちのことだが)は、欧州よりも豊かだったのではないか、ということだ。実際、当時は綿織物がアフリカで最も好まれたのだが、当時の英国の織物の技術力では、インド製の綿織物のレベルに太刀打ちできなかったので、これは商品(贈り物)にならなかったという。

このあたりのことについては、グレーバーの『負債論』に、現地で伝統的に行われてきた奴隷の獲得や譲渡という行為(それはアフリカに限らず、全世界に見られる)が、近代の欧州資本主義社会の奴隷商人たちの出現によって、どれほど破滅的なものに激変したかが、詳細に書かれていた。

 

ところで、重商主義時代の英国の富の源泉だった西インド諸島の砂糖プランテーションは、また英国の「大陸植民地」、つまり北米の農業生産と深く結びついていた。したがって、米国の独立は、当時、英国の繁栄の時代の終焉を意味すると思われたのだが、実際には、ただ西インド諸島植民地が没落しただけで、英国の経済は、さらなる発展の新時代を迎えたのである。それは、奴隷制に変わる、新たな、そしてより大掛かりな資本主義的収奪の時代の始まりだったとも言えよう。

この本で、特に興味深かったのは、19世紀初め頃の、重商主義経済の失墜(産業革命による)と軌を一にして起こった、英国国内の奴隷制廃止論の熱狂についてのくだりである。

ここで著者は、一部にはたしかに、真の人道主義者と呼ぶべき人たちが居たことを認めながらも、この奴隷制廃止論が、全体としては「重商主義から自由主義新帝国主義)へ」という資本主義のモデルチェンジの枠内にあって、それを促進する機能しか果たさなかったことを書いている。

それは、この「熱狂」もその一部であった、1830年頃の英国内の「自由」を求める政治的な激動、選挙法改正をめぐる民衆の動きにしても、同じだった。

奴隷制廃止運動の場合、それは最終的には、英国の奴隷制のみを廃止し、英国がそこから利益を得る貿易の相手国(ブラジルや米国、フランスなど)の奴隷制については支持するという、まったくの「自由経済の論理」に収斂していった。また、この論者たちは、「かわいそうな黒人」に同情することには熱心だったが、貧困や侵略戦争など、その他の社会問題には関心を示さなかった。彼らは、解放された奴隷が土地を持ちたいと思うなどということは夢にも思わなかったので、解放されても黒人たちは貧しい使用人のままだった。1833年に、実際に奴隷制が廃止された時、黒人たちは教会に集まって神に感謝の祈りを捧げ、そして静かに仕事場に戻って行ったという。

実際に、黒人をこうした被搾取状態から解放し、資本のくびきを打ち砕く行動を起こしたのは、ひとり「奴隷たち自身」のみであったことを、最後に著者は強調している。西インド諸島の各地で起きた反乱は、資本家たち、白人の支配者たちを震撼させた(その反乱に対する「報復」は、今も続いているが)。この時に、反乱の中心となったのは、雇い主に信頼され、その腹心のようになっていた従順な奴隷たちだった。そのことが、かえって支配者たちをおののかせたのである。

『増補 エル・チチョンの怒り』

図書館が休館中ということもあって、かなり久しぶりに本屋で新刊の本を買った。

岩波現代文庫の『増補 エル・チチョンの怒り』(清水透著)だ。

 

 

この本は、著者がメキシコ南部チアパス州のチャムーラという先住民の村をフィールドワークした結果をまとめた1980年代後半の著作に、2010年代以降の人々と村の状況をリポートした増補分をあわせたもの。

メキシコ先住民(「インディオ」というのは、植民地支配の中で生み出された総称)の近現代史を背景に「村」の実情を描き分析した前半の部分だけでも、ずっしりと重いが、後半に書かれた近年の変容ぶりは、さらに衝撃的なものだ。

著者の基本的な見方は、先住民(ここではチャムーラの人々)の歴史や、社会の構造と、その変貌の経緯の全てを、外部からの破壊的な力に対する主体的な対応として捉える、ということのようだ。

 

『具体的なエスニック集団やその共同領域を、われわれは固定的なものとして捉えたり、固定的であることを無意識のうちに願っていることはないであろうか。あるいはまた、彼らの歴史における存在を単なる敗者とみなし、彼らに同情し、「伝説」の破壊を憂い、破壊者に対し怒り、しかも、彼らの世界における主体的ありようを見過ごしていることはないか。(p242)』

 

 

19世紀(ちょうど明治維新と同じ頃)に始まるメキシコの近代化やメキシコ革命にしても、それを契機としたり、刺激を受ける中で、先住民の人たちはさまざまな行動をとったり、選択をしてきた(反革命の立場に立った先住民たちの大反乱があったということを、初めて知った)。それらは全て、先住民たちが、数百年間危機にさらされ続けてきた自分たちの集団的な生を、外側からの暴力に対して守り抜いていこうとする営みであったとかんがえられる。

そうした主体的な選択の一つとして、著者は例えば、コーヒー・プランテーションでの労働をあげている。その栽培上の特性から、コーヒーは、村の行事のサイクルとうまく合致する産物であり、その意味で、コーヒー・プランテーションはいわば先住民たちによって「選ばれ」て存続することになったのだ、というわけだ。

ところで、1929年以来、約70年にわたり事実上の一党独裁体制を敷いた「制度的革命党」は、暴力的・抑圧的な政治を行ったことでも知られているが(その代表的な例は、メキシコ五輪開催の1週間前に起きた、有名な「トラテロルコの虐殺」だろう)、一方で、この体制は、インディオの村の自立的な存続や労働条件の改善ということについては、大きな貢献をしたようである。実際、本書を読んでいて、もしメキシコが、こういう体制ではなく、米国なり資本主義にべったりの体制であったなら、先住民の村の「伝統」ばかりか、その「存在」そのものが失われていたのではないかとも思った。これは、日本の状況を考え合わせればよく分かるだろう。

とはいえ、「制度的革命党」の統治(それは資本主義と無縁のものではないのだが)の下で、村の社会は大きな構造的な歪みを抱えることになる。それは、「カシーケ」と呼ばれる一握りの村人による富と権力の独占、という事態である。著者が前半部を執筆した1980年代には、このカシーケ支配が重大な問題だった。カシーケたちは、国家権力とも共謀して、反対者たちを暴力を使っても排斥し、その地位を守る。追放された村人は膨大な数にのぼり、やがてその人々が、非インディオの町の周辺に集住地区を作り、拡大していく。それが、当時の状況である。

ただ、そうした「カシーケ」への抵抗を村人たちに働きかけた、「赤い司教」と呼ばれるような進歩的なカトリック文化人類学者たちの姿勢(それらが村人に受け入れられることはなかった)に対しても、著者は根本的な疑問を呈している。

 

『しかし、神のまことの代理人は誰か、というチャムーラの問いが、「村」=「われわれ」の存在を認めその価値を理解する意志と感性とを外部世界に求めていることは事実だ。国家によって生み出されたカシキスモという、いわば外部世界の側の非を外部世界の論理にもとづいて打破しようとしても、それは論理を強要されてきた人びとにとっては、新たな論理の押しつけに他ならなかったのである。(p246)』

 

 

『「村」=「われわれ」の存在を認めその価値を理解する意志と感性』、それを私たちの社会は、また自分自身は持ちえているか。それが、著者の根本的な問いであり、それはもちろん、僕たちにも投げかけられているのである。

 

 

 

さて、後半で描かれるチャムーラの人々の「近況」だが、その最大の変化は、多くの村人が米国への「不法入国」を行っていることだ。相変わらずメキシコ社会の「底辺」に置かれている貧困が原因となり、米国で「稼ぐ」ために人々は旅立つが、何割かの人たちは、運よく国境を越えられても、ネバダ砂漠を越えることが出来ず白骨死体と成り果てるという。

それでも、そこで手に出来る金額は、メキシコに居ては考えられないものであり、一度村に帰ってきても、また何度も決死の「不法入国」を行う人が少なくないようだ。

米国側では、入国にはやたら厳格な一方で、一度仕事に就いてしまえば、「不法」であることを特に問題にされることはなく、(最低賃金でだが)働くことには不自由はないという。ここには、日本と同じく、低賃金・使い捨ての外国人労働力によって支えられている、資本主義経済の歪んだ実態が示されているようだ。

そして、「不法入国」するにあたって、「仲介人」に手数料などで莫大な借金を背負わされ、時には帰国する方途さえ失ってしまうというのも、どことも同じ事情といえるだろう(戦前の沖縄からメキシコへ移民した人々を描いた上野英信の『眉屋私記』にも、沖縄での同様の事情が描かれていた)。ここでは、その仲介業者となっているのは、ポジェーロと呼ばれる村人たち自身で、彼らの建てた白亜の豪邸が、今ではチャムーラのあちこちに見られるという。

こうした現状についての分析には、著者の(スペインによる征服以来の)「歴史」に対する見方が、集約的に示されている。

 

『まずは、今僕たちが目にする「伝統的な村」とは、征服によって再編され、近代化という長い歴史のなかで離合・集散を繰り返してきたという歴史を思い起こしたい。あえて極論するなら、今ある村は、時代の変化に応じて柔軟に自己を再編してゆく、仮の姿だといえる。そのような解釈が可能なら、大量の村人の都市への移動も米国への越境も、メキシコ革命によって空洞化された「村」の緊縛からの自己解放、さらに新自由主義という外圧に対する主体的な対応と捉えることができる。そして彼らは、移動する先々で柔軟にアイデンティティを再構成しながら、インディオとしての生活空間を一気に拡大しつつあると見て、まず間違いはなさそうだ。そして、ロレンソやパスクアルが大切に守り抜こうとしている「村」は、これからも恐らく、村を離れた人々の心のよりどころとして、光を灯し続けることとなるだろう。(p393)』

 

 

このように、人々への信頼と希望を記したうえで、著者はまた次のようにも書いている。

 

『そもそも、サン・クリストバル市に限らず、「市民社会」の中核ともいえる近代都市は、つねに都市内部の被差別集団の存在を前提として成立してきた。そして近代国家も、国内外の「後進地域」=(南)の存在があってはじめて発展を維持することができた。そのような理解に立つなら、そう簡単に都市も国家も、「インディオ社会」に対する差別的なフロンティアを放棄するとは思えない。(中略)そして、歴史的差別の構造が存続するかぎり、インディオインディオであることを放棄することもないだろう。(p393~394)』

『飼いならす』

 

飼いならす――世界を変えた10種の動植物

飼いならす――世界を変えた10種の動植物

 

 

 

この本をはじめて知ったのは、たしかジェームズ・C・スコットの『反穀物の人類史』を読んでいてだったと思うが、邦訳されて去年は新聞紙上で多くの人が高い評価を与えていた。特に、福岡伸一氏が誉めた影響が大きいようだ。

それで、近所の図書館にあるのを見つけたので読んでみたのだが、最新の知見を紹介する科学読み物としては大変上出来と思ったものの、違和感の方が多く残った。内容の優れている点については、多くの人が書いてると思うので、その違和感についてだけ書いておきたい。

 

 

本書でもっとも議論を呼ぶところは(僕は勝手にそう思ってるのだが)、遺伝子編集や遺伝子組み換え(GM)について、著者が、その懸念や問題点は詳しく指摘しながらも、概ね肯定的に展望しているという点だろう(しかも、モンサントという企業名まであげながら)。

GM導入の必要性については、地球人口の急激な増大による食糧危機に対処するためということなのだが、僕が違和感をもつのは、そもそも著者にとってGMが、やむをえない必要悪のようなものではなく、進化の観点から見て理にかなった当然のものとされていることである。

確証のない「危惧」や「不安」に基づいてそれに反対を唱えることは、無知・偏見か、何らかの悪しき保守主義に属するものと考えられているようだ(たしかに、反GMが政治的保守主義と相性が良いといえるところはあるであろう)。そうした人々は、飼育栽培における種の交配は問題視せず実行していても、遺伝子の組み換えとなると、急に警戒や反発を示す。その根底には、「種の純粋性」に対する信念(イデオロギー?)のようなものがあるのかもしれない、というわけだ。

 

『(前略)だが時として、種は人間の都合で定義される。とくに、飼育栽培種とその野生の祖先に対して別の種名をつけるときには。

 交雑が起こる可能性は、野生種への飼育栽培種の遺伝子の「混入」に関わる倫理的な問題ももたらす。飼育栽培種を作り出してしまったわれわれは、現在生き残っている近縁の野生種を懸命に守ろうとしている。しかしこれは、現実の世界に本当は存在しない「種の純粋性」という考えを呼び起こすのではないか?(p61~62)』

 

それに対して、著者が強調するのは、多様性の保持や交雑によって展開してきた生物の進化(淘汰)の歴史である。

 

『ヒト―および飼育栽培化された協力者―を含め、非常に多くの種が本質的に雑種であることが最近明らかになったが、これはまさに驚きの新事実だった。遺伝学者さえ、「種の境界」がどれほどあいまいなのかがわかって仰天した。この発見は、遺伝子をほかの種へ移すことを倫理面から考えるための、新しい土台を提供してくれるにちがいない。(p402)』

 

だが、逆に言えば、多様性が守られるべきであるのは、それが進化のレースに勝ち残っていくことにとって有利だからだ、ということになってしまうのではないか?

「多様性」や「交雑」をかたくなに拒む、保守主義というより極右的な思想(両者が全くの別物だとしてだが)をもつ勢力への対抗として読めば、著者の主張はある程度理解できる。

しかし、著者の「多様性」賛美は、結局のところ、人間(例えば科学者や大企業)が作り出しつつある現実の変貌(それは破壊でもあると思う)のあり方を、肯定するためのロジックになっているのではないだろうか。

著者は、進化をめぐる事柄が、道徳や倫理の問題ではないことを強調する。ただ、事実としてこう(今のように)なったというだけだ、というわけである。だが、大事な点は、この著者の「自然史」のなかには、(GMを含む)人間の営みも、すっぽり含まれているということだ。

 

『ひょっとしたら、自然選択と人為選択を分けること自体が人為的なのかもしれない。ほかの種の進化に影響を及ぼす種は、ヒトだけではない。われわれの存在は、相互依存のもとに成り立っているのだ。(中略)われわれが人為選択と呼んできたものは、ヒトを介した自然選択にすぎないのである。(p379)』

 

モンサントのような大企業のやってることも、国家の政策も、すべて「結果としてこうなっただけ」のこととして、道徳や倫理の対象外の事柄として捉えられる。いわば、(汎神論的な)神の目から見れば、遺伝子操作も環境破壊も「自然の営み」の一部にすぎない、ということになるのか。

 

 

著者はもちろん、人間による環境破壊を是認しているわけではない。だが、現実に働いている破壊の力に対して、それをけん制する著者の議論のベクトルは、あやふやに過ぎると思える。これは、進化や文明史についての著者の捉え方や語りの力が、現実の力(資本主義)を正当化するロジックになってしまっているということではないだろうか。

著者の根本にあると思えるのは、人間は自然に対する全能の支配者などではなく、その主体性は、自然との相互的な関係性によって規定されたものだという観点である。

 

『多くの場合、飼育栽培化は意図せぬプロセスとして始まったのではないか。種と種が出会い、ぶつかり合い、近しくなり、ついには進化の歴史が絡まり合ったのだ。われわれは、自分が主人で、ほかの種は自発的な僕(しもべ)か奴隷だと当たり前のように考えている。ところが、われわれが動植物と結んだこうした契約関係は、それぞれに異なる複雑なもので、共生や共進化の状態へと徐々に進展した。最初にこの協力関係が築かれたとき、背後に思慮深い意図はほとんどなかった。(p379)』

 

 

『われわれと相互に関わった種が、かりにそうなっていなかったら―たとえば存在しなかったり、捕獲できなかったり、家畜化できなかったりしたら―ヒトの歴史はまるで違う展開を見せていたはずだ。時にわれわれは、己の運命をすっかり支配し、外部の力はほとんどあるいは何も役割を果たしていないかのように、先史時代も含めた歴史を知ろうとする。だがどんな種の歴史も、単独で語ることはできない。あらゆる種は、ひとつの生態系のなかに存在しているのだから。われわれは皆、相互につながり、依存し合っているのだ。そして、われわれのもつれ合った歴史で働いてきたすべての相互作用には、幸運と偶然が織り込まれている。(p381~382)』

 

 

こうした、脱主体的ともいえる歴史観、文明観は、非常に説得的だ。

だが、われわれが全き主体でありえないということは、われわれの責任を解除するものではない。(共生の)生物史や文明史の脱主体化が、環境を改変・破壊していくことに対する人間の責任を回避するための手段になってはならないだろう。

ホブズボーム『いかに世界を変革するか』

 

 

 

 

 本書に書かれているホブズボームの考え方の大きな特徴は、マルクスの思想の発生とその後(現代まで)の動向を、特に19世紀で(これも特に)西洋で極めて有力になった思想潮流の展開の一部として位置づけていることである。

 その意味で、単純な経済決定論的な考え方ではない。もちろん、マルクスの思想の最重要部分、そしていま現在、私たちにとってのその重要性の本質をなしているものが、主著『資本論』に示された、資本主義経済システムの分析にあることは、言うまでもないだろう。

 だが、マルクスの思想のすごさは、その経済学が、社会学歴史学などの他の人文科学と一体・不可分をなしているという総合的な性格(マルクスエンゲルスの時代には、自然科学との統合も本気で考えられていた)にあるのだということを、ホブズボームは強調する。

 そこで、その「思想潮流」だが、それをかりに、「理性・啓蒙・進歩」という三つの理念で表してみたい。マルクスマルクス主義は、そうした理念を、同時代のさまざまな運動や思想・文化と共有してきた。

 このうち、「進歩」(主義)については、たとえば環境問題(反原発を含む)に関して、それがマルクス主義の弱点ともなりがちであることは、よく指摘されるところだろう(とはいっても、本書のなかで特に読みごたえのある章の一つである第7章では、マルクスの重要テクスト『経済学批判要綱』を論じて、その歴史観が決して単純な進歩史観などではなかったことが強調されている)。

 そして、「理性」や「啓蒙」について言えば、それらを攻撃対象としたファシズムとの対決が、広範な人々にとって最重要の課題となった1930年代に、マルクス主義が空前の(そして絶後といってもよい)共感を広げ、影響力を発揮したことは、いわゆる「人民戦線」路線がスターリンの戦略に他ならなかったという事実にも関わらず、極めて当然かつ正当なことだったとされるのである(この点で、トロツキーオーウェルに対する著者の見解は、やや冷淡にも思える)。

 

 

『いうまでもなくより明白な事実は、共産主義者自由主義者のそれぞれがお互いを必要としているということ、また一九三〇年代の諸条件の下では、どれほどショッキングであろうがスターリンのしたことはロシアの問題であった一方で、ヒトラーのしたことは各国の脅威であったということである。(p350)』

 

 

『こうして、マルクス主義者と非マルクス主義者が協力して得たものは、共通の敵に対して団結する実践的必要性どころではなかった。それは、両者がともにフランス革命の伝統すなわち理性や科学、進歩、ヒューマニズム的価値観の伝統に属するという、大恐慌ヒトラーの勝利によって明示されるとともに活性化された深い感覚であった。(p390)』

 

 

 また20世紀末においては、(たんに社会主義国の消滅や、新自由主義の台頭などの理由にとどまらず)やはり文化や社会における「理性」や「啓蒙」という理念の危機・失墜が、マルクス主義の凋落の大きな背景をなしているという見方も示されている。ここには「ポストモダン」的な傾向を、ファシズムの復活につながりかねないものとして警戒する、歴史家ホブズボームの立場も示されているのだろう。

 

 

『したがって、非共産圏におけるマルクス主義からの撤退は、一九七〇年代の社会科学および人文科学における、より一般的な盛衰の一部であった。(p508)』

 

 

『さらに、より一般的な事象を忘れないようにしよう。すなわち、いわゆる一八世紀啓蒙主義的な社会変革のイデオロギーの一般的な後退と、社会的行動主義を一八世紀啓蒙主義とは別に喚起するもの―とくに、暗黙の内に近代化された型の伝統的諸宗教―の興隆あるいは復活である。これらは、ヨーロッパで大人気とはならなかったが、他方で、一九七九年のイラン革命すなわち二〇世紀の最後の大きな社会革命において最初の大成功を収めた。これがそうではなかったとしても、二〇世紀後半の歴史的および知的発展は、明らかに、伝統的にマルクスから引き出された政治的な分析、綱領、予測を侵食した。(p512)』

 

 

 21世紀に入ってからの展望については、最後の第16章に書かれている。ここは、どう読みとるべきか自信がもてないのだが、どうも社会運動の未来に対してホブズボームは懐疑的、あるいは少なくとも見とおせない思いを抱いていたのでないかと思う。というのも、プロレタリアを変革の主役と捉えたマルクス主義の展望は、そのプロレタリアの解体ないしは保守化・反動化によって、すでに瓦解したと見なすしかない。その一方で、世界では階級矛盾が露わとなり、(サービス業種を中心として)階級闘争も現実に行われている。

 だが、上記の意味でマルクス主義がすでに失効した今日、先住民やマイノリティによるものも含めて、そうした諸々の「闘争」が、結局は国家・民族や宗教といったものの吸引力に敗れ、回収されていくのではないかという危惧は大きい。

 この点で、本書のなかで、マルクス主義のもう一つの特色として何度も言及されているのは、その国際主義的な性格だ。宗教もまた国際的なものだから、それと区別する意味で、マルクス主義のそれを「超境界的」ないしは「境界横断的」とでも名づけるべきかもしれない。

 それが真の意味で実現したことは、歴史のなかでごく稀であったとはいえ、そこにはマルクス主義の重要な遺産の一つがあると言えるのかもしれない。つまりそれは、何らかの同一性に収斂しよう(させよう)とする(おそらく根本的には資本主義の)圧力に対して、マルクス主義はしばしば、牽制する働きをしてきたということである。

 上に、マルクス主義は失効したと書いたが、それは人々を吸引する、分かりやすいストーリー(目的論とか権力獲得とか)としての力を失ったということであって、むしろそれによって、マルクスエンゲルスが本来目指していた、真の共産主義の姿に近づいてきたとも考えられるのである。とりわけ、晩年のマルクスエンゲルスが、ナロードニキや原始共同体への関心を深めていたという指摘(第7章)も、その観点から興味深い。

 そういったことを、色々と考えさせてくれる本だった。

 

 

 最後に、これまで書いてきたことにも関連して、非常にホブズボームらしいと思う文章を一つ引用しておきたい。グラムシについての力強い論考のなかのこの一節の、特に最後のところで批判されているのは、執筆当時(冷戦期)の社会主義国のあり方だが、いまこれを読むと、その批判の射程がずっと広く深いことを思わざるをえない。

 

 

『少なくとも先進諸国におけるブルジョワ社会は、ここでは深入りできない歴史的理由により、つねに自らの政治的枠組みと仕組みに主要な注意を払ってきた。それが政治的調整活動がブルジョワヘゲモニーを強化する強力な手段になった理由なのであり、だからこそ、公共性の擁護とか民主主義の防衛あるいは市民的諸権利と自由の保障のようなスローガンが支配者の側に主要な便益をもたらす形で支配者と被支配者をひとつに結びつけるのである。しかしこのことは、そうしたスローガンが被支配者に対して無関係だということを必ずしも意味しない。したがってそうしたスローガンは、強制力の表面にほどこされたたんなる虚飾あるいは単純なごまかしとは異なる何かそれ以上のものなのである。

 社会主義諸社会もまた、包括的な歴史的理由により、他の諸課題に、とりわけ計画経済の課題に集中してきたのであり、(中略)自らの実際の政治的法的諸制度や諸過程にはそれほどの注意を払ってこなかったのである。(中略)そのような場合、何かが明らかにまちがっている。こうした政治の無視によるその他の不都合は問わないとしても、人民大衆が政治過程から排除され、いつのまにか脱政治化し、公共的な問題について無関心になることが、認められさえしてしまうときに、社会主義的な一社会を(所有され運営される経済とは別に)創出することが、どうやって人間生活を変革することが期待できるというのか。(p429~430)』

『マツタケ  不確定な時代を生きる術』

 

マツタケ――不確定な時代を生きる術

マツタケ――不確定な時代を生きる術

 

 

 

 

『人間が発生を管理することができないキノコの生命は、わたしたちが所与のものと考えていた社会が崩壊したときには、恵みであり、拠りどころともなる。(p5)』

 

 

これは、去年(2019年)翻訳・出版された本。

内容については、訳者によるこちらの対談記事が詳しい。

 

https://hagamag.com/uncategory/7160

 

 

訳題のとおり、たしかに「マツタケ」をめぐる本なのだが、非常に広範囲のことが書かれていて、要約するのが難しい。本書の中で著者は「アッセンブリッジ」という言葉を用いていて、それは「意図をもたない寄せ集め」のような意味らしいのだが、全体がそれこそ深く生い茂った森のようで、その多様で予測できない細部に分け入っていく興奮をたのしむことの出来る本である。

 

 

著者がマツタケに着目するのは、それが現代の社会が生み出した、破壊された「景観」(この言葉は、人間社会を含めた広い意味で使われている)のなかで、私たちが生き延びていくことのヒントを与えてくれるものだと思えるからだという(下の一文には、原発事故後の森のイメージもあるのではないかと思う)。

 

 

『グローバルな景観というものは、今日、この種の瓦解が蔓延している(まき散らされている)。一旦は死の宣告をうけたにもかかわらず、これらの場のなかには生命にあふれている場所もある。見捨てられた富の場から、あらたなマルチピーシーズと多文化的な生命が生みだされることがあるからだ。全球的(グローバル)に不安定に覆われている状況下にあっては、こうした廃墟における生活を模索していく以外に選択肢は残されていない。(p10)』

 

 

たとえば、今日、日本で消費されるマツタケの重要な生産地の一つになっているのは、米国のオレゴン州だが、そこでマツタケ狩りをしているのは、ラオスカンボジアから難民としてやってきた人たちである。

フィールドワークした著者は、まるでインドシナ半島の山地に居るかのように米国社会にまったく同化していない、これらの人々の姿に衝撃を受けることになる。それは、著者自身を含めて、「良き米国市民」となる(見なされる)ために、言語を含めた自分の出自の文化をなるべく表出しないように、同化の努力を重ねて生きてきた旧来のアジア系移民たちとは、まったく隔絶した光景だったからだ。

それをもたらした(可能にした)ものは何かというと、グローバル化による米国の社会保障体制の「瓦解」だったと、著者は言う。つまり、レーガン政権以降、社会保障制度が崩壊した米国では、移民たちは同化の努力を重ねても、何も良いことがないことが明らかになったのだ。

 

 

アメリカの不安定である様―瓦解に生きること―は、こうした構造化されていない複数性の、溶解しえない混乱のなかに存在している。もはや人種のるつぼではなく、わたしたちは誰だかよくわからない他者とともに生活しているのだ。アジア系アメリカ人世界でのことだけではない。この不協和音は、米国の白人にとっても有色人種にとっても、同様に感じられる不安であり、それは世界中に波及している。(p150)』

 

 

 次の引用で言う「あらたな伝統主義者」とは、難民たちよりもむしろ、トランプ支持者たちのような排外主義的な人々のことを想定しているのだろう。

 

 

『あらたな伝統主義者たちは、人種的に交わることを拒絶し、強制的同化をともなって混淆を可能とする社会保障制度なる力強い遺産も拒絶する。伝統主義者が同化を拒絶するにつれ、あらたな構造が創発した。中心となる計画がなくとも、移民と難民は、生計を立てるために、かれらにとって最善の機会にくらいついてくる。(中略)社会保障制度のあとをうけ、このように勝手なフリーダムが乱立する時代がやってきた。(p162)』

 

 

著者は、(経済の)グローバル化によるこのような「瓦解」を、否定しようのない前提としたうえで、その荒廃した「景観」のなかを生き延びていくヒントを、マツタケをめぐる事柄(人間を含めた)のなかに探っていこうとするのだ。

ちなみに、上の引用の最後に出てくる「フリーダム」というのは、著者の独特の用語の一つである。マツタケ狩りと、マツタケを売りさばく、あるいは買い取る、仲介するといった商行為とに熱中する人たちを突き動かしている、訳の分からない熱情、場の磁力のようなものを、著者は「フリーダム」と呼ぶ。この言葉には、インドシナから逃れてきた難民たちの「反共」という政治的含意も一部に含まれてはいるが、それよりもはるかに広大なものを内包している。たとえば、非合法であること、悪を働くことに対する「自由」への希求も、そこには含まれる。そうした人々の、時には暴力的で醜くもある生のあり方を表現するのに、著者は、「汚染された多様性」という、これまた魅力的な言葉を案出する。

 

 

『(前略)そのひとつの理由は、汚染された多様性が複雑であり、しばしば醜く、屈辱的であるからだ。汚染された多様性は、拝金主義、暴力、環境破壊などの歴史を生きぬいてきた人びとを包摂している。(p52)』

 

 

著者の分析から類推するに、「フリーダム」は、資本主義の一般的な原理とされている「交換」(「疎外」)の論理に収まらない、むしろその論理(つまり資本主義の運動そのもの)を可能にさせているような、根源的な生の力のようなものだと思う。たんなる交換(金儲け)のためではなく、フリーダムに憑かれているがゆえに、人びとは採集や商行為に熱中するのである。むしろそれこそが、資本主義という運動の本体でもあるのではないか、というわけだ。

 

『フリーダムと憑かれることは、おなじ経験の両面である。(中略)工業生産にとって重要な「人と物の分離」を免れるのが、マツタケ狩りなのだ。(p121)』

 

 

 このように、著者のいう「フリーダム」は、いわば資本主義の運動を、そのうわべの交換原理(「疎外」の論理)から乗っ取る、あるいは奪い返して、われわれ(人間と非人間)の生に差し戻そうとする狙いをもった概念だといえよう。

 

 

 

 

 ところで、著者が(キノコのなかでも)特にマツタケに注目するのは、「マツ-マツタケ-人間」という三つの種の奇妙な共生(寄生)関係が、まさに上記の「瓦解した景観」を生きるということに深く関わっているためだ。

 マツは、他の樹木や植物が育たないような荒れ果てた土地を好む(他の木々があると成長できないのだ)。とりわけ、人間によって破壊(伐採)された土地に、好んでマツは繁殖するという。たとえば、北米のマツは、火を必要不可欠とするものが多い。その一種であるポンデローザマツという巨大なマツの原生林が維持されてきたのは、先住民が定期的に火を放って、山火事を起こしてきたおかげである。ところが、「防火」を第一とした近代的な森林管理は、森から「火」を排除することで、この原生林を維持できなくし、植生を変えてしまったのだ。

 その他、錯綜したことがあるのだが、いずれにせよ、人間による破壊的な介入、ここでは森林の破壊(瓦解)は、マツにとっては必ずしも悪いことではないのだ。本書で、特に繰りかえし紹介されているのは、(マツタケ消費の本場でもある)日本の「里山」回復の試みである。そこには、他の樹木を伐採・除去することによって、かつてのような松林を復活させようとする試みが含まれている。人間による意図的な「攪乱」(これも重要なキーワード)が、自然に肯定的な影響を与えることがあるという著者の見解の、実証例になっているのだ。

 一方、そのマツが、岩場のような養分のない土地で育つことを可能にしているのが、菌の一種であるマツタケである。マツタケは、マツの根に寄生する菌だが、これは岩のような鉱物を溶解して、マツが摂取可能な栄養分に変えることが出来るのだ。人間が伐採や放火によって作り出した、荒廃地という「望ましい」環境と、マツタケという寄生生物のおかげで、マツはこのうえなく栄えるのである。そしてもちろん、マツの繁栄が、マツタケの増殖を可能にし、人間をも利するというわけだ。

 

 

 このような「マツタケ-マツ-人間」の共生(寄生)関係の記述によって、著者が揺るがそうとしているもののひとつは、自己完結性のイデオロギーである。

現代の社会と科学を支配する、自己完結、あるいは自己複製のイデオロギーを、著者は、「スケーラビリティ(規格不変性)」という批判的な概念によって規定するのだが、それを揺さぶる力を、このような共生(種間)関係に見ようとしているのだ。

 

 

『種間関係は進化を歴史に引きもどす。というのも、それらは偶発的な出会いに依存しているからだ。(中略)種間の出会いは、つねに出来事なのであり、この「おこること」が歴史の単位なのである。出来事は相対的に安定した状態をもたらすことはできるが、自己複製単位のようには予期することができない。出来事を構成するのは、つねに偶発性と時間である。歴史はスケーラビリティを大混乱に陥らせる。スケーラビリティを創造する唯一の手段は、変化と出会いを抑止することである。(p216)』

 

 

マツタケは、決して自己完結的ではありえず、つねに関係性、つまり、場に特定される。(p332)』

 

 

 このあたりを読んでいて思ったのは、こういうことだ。

つまり、性は、たしかに自己完結性を揺るがす(混乱させる)重要な仕掛けであり、それゆえに国家や資本はそれを「性欲」としてコード化しようともするわけだが、それでも、性が自己完結性を揺るがす唯一の可能性というわけではない、ということ。

あるいは逆に、性は必ずしも、(個、あるいは種の)自己複製という隘路に閉じ込められるものとは限らない。

しかし、この二つの事は、実は表裏なのではないか?

 

 

 

 

ところで、先に、著者が日本の「里山」運動を高く評価していることを書いたが、とはいえ、著者はそこで、かつての松林が生い茂った日本の(今は失われた)景観というものは、近代以前からの森林伐採・環境破壊の偶発的な結果だったということを強調する。ここに、「攪乱」(偶発性)を重視する著者の思想の核心がある。

雲南省でも調査を行う著者が、近代(それ以前からだろうが)日本の森林破壊も、中国の大躍進政策も、どちらも一見すると酷い破壊だったが、マツとマツタケの再生には良い効果をもたらしたのではないかと気づくところは、印象的である。

 

 

『この発言に触発され、わたしは、景観が「意図しえぬ設計」の産物となる過程について考えさせられるようになった。それは人間と非人間とを問わず、多くの主体が重なりあう世界制作の活動を指している。生態系の景観において、デザインそのものは明確である。しかし、構成員のだれひとりとして、そうした効果を見据えていたわけではない。人間も、ほかの生物とともに、意図しえぬ設計のもとに景観が作られていく過程にくわわっている。(p228~229)』

 

 

『人びとと樹木は、不可逆的な攪乱の歴史に巻きこまれている。しかし、攪乱のなかには、多くの生命を育む再生をともなうものもある。(p284)』

 

 

近代化やグローバル化、あるいは戦争や原発事故のような人間による破壊(攪乱)は、意図しえぬ結果として、多くの生命を育む場合がある。

そこで示唆されているのは、もちろん、私たちの世界に対する自己完結的な捉え方を転換することである。

 

 

著者は、欧米の森林管理が、あまりにも合理的・計画的であることを批判し、景観の多くが(攪乱を含んだ)偶然の結果としてもたらされたものであることを強調する。

そこには、ヘーゲルやカント(『啓蒙について』)にも通じる、偶然的な歴史の展開が、結果として良いものをもたらすのだという、自然史への信仰に近いものが感じられる。

だが、まさに現在の日本の里山運動がそうであるように、偶然的なものの維持(回復)には、逆に人為が加えられねばならない場合がある。つまり、「(とりわけ人間が引き起こす)攪乱」の抑止も、また自然史的要請なのだ。

著者もその特徴に触れている、広葉樹が生い茂り、放置すればマツやマツタケの(共生的な)成長をいつまでも不可能にしてしまう「日本的風土」(もちろん、社会的・政治的な意味も込めて)のなかで生きていると、そのことをひとしお痛感せずにはいられない。