『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』

 

 

1997年に行われたデリダの名高い講演の記録。

ここでは、デカルト、カント、ハイデガーレヴィナスラカンという人々の思想が、人間中心主義的なものとして批判されている。

デリダが人間中心主義の思想を批判する根本的な理由は、それ(人間中心主義)が人間のなかの「動物的生」と呼べるようなものを否定(否認)し、いわば「有限の生」ならざるものに、支配者・優越者としての人間の根拠を置こうとする思想であるからだと思う。

つまりそれは、(動物のような)「有限の生」という人間のあり方を否認するような思考への批判であり、グノーシス主義(最近の用語でいえば「反出生主義」)的なものに対立する態度だといえると思う。

そのことは、次の箇所によく示されている。

 

『先決的かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかどうかであるだろう。(中略)この問いは、ある種の受動性によっておのれを不安にする。それは証言する、それはすでに、顕わにしている、問いとして、ある受動可能性への、ある情熱=受苦、ある非-力能への証言的応答を。(中略)苦しむことができることはもはや力能ではない。それは力能なき可能性、不可能なものの可能性なのである。われわれが動物たちと分有している有限性を思考するもっとも根底的な仕方として、生の有限性そのものに、共苦の経験に属する可死性は宿っているのである。この非-力能の可能性を、この不可能性の可能性を、この可傷性の不安およびこの不安の可傷性を、分有する可能性に属する可死性は。(p58~59)』

 

この後半部は難解だが、要するに、傷つき苦しみ死去しうるということが、有限な生存としての動物たちと人間の生の共通な根底を形成している、といった意味だろう。そうした苦痛に満ちた有限性を否認するなら、私たちは生の現実を自ら取り逃してしまう。

しかし、どのようにか?

デリダは、上記の西洋の思想家たちの人間中心主義的な思考が、彼がアブラハム的と呼ぶ永い文化的・宗教的(「キリスト教ユダヤ教イスラム教的」)な伝統、動物に対する「供犠」の系譜に属するものであることを強調する。

 

『すなわち、これらの言説のすべての心臓部に生き生きとした搏動を刷り込んでいるのは供犠であるということ。(中略)人間的空間における、基礎的な供犠、基礎づけ的な供犠そのものの必要であり、いずれにせよこの空間のなかでは動物に対し、必要な場合はそれを死に処すことまで含めて、指図することが禁じられてはいないのである。(p171)』

 

この見方は、特にカントの道徳哲学に対する批判において明瞭に示されるのだが、その人間主義的な道徳思想、たとえば「権利」や「尊厳」といった概念が、動物及び人間の動物的生を犠牲として奉げることによって成り立っていることを、デリダは執拗に告発する。

 

 

ところで、前近代を十分に脱却してこなかった日本社会においては、元々「人間(主義)の否定」に対するハードルは無残なほどに低い。(実存主義精神分析のみならず)ヒューマニズムや人権概念をも人間中心主義(=供犠の思想)と見なして攻撃するデリダの言説は、この為、日本では受け入れられやすいのである。そもそも、「人権」だの「人間の平等性」だの、誰も本心からは信じていないのだから。

だが、忘れてならないことは、デリダの批判は、他者の「有限な生」を犠牲にすることによって主権者の優越的な立場を正当化するような思考と態度、そして制度に対してこそ向けられている、ということだ。デリダの、(あえて言えば)動物についての哲学とは、そういうものである。

すると、日本のような国の文脈においては、この「動物」たち(デリダは「アニモ」という造語をあてているのだが)には、実に多くの語(たとえば、ジェンダーや国籍に関する)を代入できそうなことが分かるだろう。

 

『この共形象をなす男たち(注 上記の西洋の哲学者たちを指す)、あたかも彼らは見られずに見たかのようであり、動物に見られることなく、動物に自分が見られているのを見ることなく、動物を見たかのようなのだ。動物的と言われる生の底からおのれを差し向けて、その瞬間彼らに、それもまなざしによってばかりではなく、自分がかかわっていることを認めさせたはずの誰かから、自分が裸なのを見られているのを見ることなく。(p36)』

 

 

『雄羊』

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デリダが亡くなる前年の2003年に行われた、ハンス・ゲオルク・ガダマーを追悼する記念講演を文章化したもの。

最初のパートのなかで、こういうことが書かれている。

 

『というのも、そのたびに、そのたびに単独=特異に、そのたびにかけがえなしに、そのたびに無限に、死は、まさしく世界の終わりだからである。それは、世界内の誰かあるいは何かの終わり、ある生あるいはある生者の終わりといった、数ある終わりの内の一つであるだけではない。死は、世界内の誰かを終わらせるのでも、数ある世界の内の一つを終わらせるのでもない。死はそのたびに、そのたびに算術の計算に立ち向かって、ただ一つの同じ世界の絶対的な終わり、それぞれがただ一つの同じ世界として開始するものの絶対的な終わりを印づける。唯一無二の世界の終わり、人間であろうがなかろうが、しかじかの唯一無二の生者にとって世界の根源として存在する、あるいはそのようなものとして現われるもの全体の終わりを印づけるのである。

 そのとき、生き延びる者は、ただ独りで残されるのだ。(中略)彼は、少なくとも自分がただ独りで責任を負う者だと、他者をも彼の世界をも担う定め、消滅した他者と消滅した世界そのものとを担う定めを負う者だと感じている。世界なしに(weltlos)、どんな世界の土地もなしに、以後は、世界の終わりの彼方の地の果てのような、世界なしの世界の中で、ただ独りで責任を負う者だと感じている。(p020~021)』

 

ここで言われているのは、こういうことだと思う。

ある人(もしくは人間以外の生き物)の死に直面したとき、(特にそれが身近な存在の死である場合には意識しやすいが)その人(もしくは動物など)が不在である世界を、私たちは現実として受け入れ難いという思いを持つ。それは、昨日までの(死以前の)世界がそうであったようには現実ではなく、私には現実として受け入れることができない、現実ならざる様相の世界でしかない。

つまり、そのとき、「唯一無二」である、この現実の世界そのものが(私から)失われているのだ。

私にとっての生命の喪失というのは、本来そうした出来事である。デリダが言っているのは、まずこうした事柄であると思う。

そして、二段落目では、このように「世界なしの」状況にただ独り置かれた私(生き延びる者)が、他者と向き合い、他者とその世界を担い、責任を負うという、「単独=特異」な場所の倫理性が語られているのだが、このような場所こそが、デリダが私たちの生の剥き出しの在り様として見出したものだと言えるだろう。

生命の喪失、他者の死は、(私にとって)取り返しのつかない(かけがえのない)ものだが、その「取り返しのつかない」ということこそが、じつは私という生存の独異性(「単独=特異」)を支えている。身近なものの死は、そうした生存の構造の在り様を、私たちにまざまざと知らしめるのだ。

 

 

さて、そこからデリダは、やはり生前に深い関わりのあったパウル・ツェランの詩の読解を通して、このテーマを掘り下げていく。その詩とは、最終行に

 

『世界は消え失せている、私はおまえを担わなければならない。』

 

と書かれている作品である。

デリダは、たとえばこのように述べている(日本語表記のみ引用)。

 

『世界がもはや存在せず、もはやここにではなく、彼方に存在しようとしているとき、もはや近くにはなく、もはやここにではなくあそこに、もはやあそこにすらなく、遠くに消え去って、たぶん無限に接近不可能であるとき、そのとき私はおまえを担わなければならない、まったく独力でおまえを、おまえだけをただ私の内だけに、あるいはただ私の上だけに担わなければならない。(p073)』

 

『もし私、この私が、おまえ、おまえを担わなければならないならば(ところでは)、さて、その場合には、世界は消滅しており、世界はもはやそこにもここにもなく、「世界は消え失せている」。(中略)もはや世界がない世界に、私はただ独りだ。(p074)』

 

さらに、講演の後半では、デリダが強い影響を受けてきた三人の思想家、フロイトフッサールハイデガーへの批判的言及を通して、この思索が展開されていく。

 

『それでもなおある種のメランコリーは、正常な喪に抗議するに違いない。このメランコリーが、理想化的な取り込みを甘受するはずがない。フロイトが、まるで正常さの規範を確証するためでもあるかのように、もの静かな確信を持って述べていることに対して、メランコリーは激怒するにちがいない。「規範」とは、健忘症の良心にほかならない。そのおかげで私たちは、他者を自己の内部に自己として保存すること、それはすでに他者を忘れることだということを忘れることができる。忘却が、そこに始まるのだ。だから、メランコリーが必要なのだ。(p081)』

 

またフッサールに関して、

 

『そのとき私は、世界が見えなくなるところで、他我を担い、おまえを担わなければならない。(中略)自己固有化することなしに担う必要があるのだ。担うとは、もはや自己の内に「含む」こと、封じ込めること、包含することではなくて、まさに私の内部でも、つまり私の外なる私の内で、他者の絶対的超越性を迎え入れるために、他者の無限の自己固有化不可能性の方に向かうことなのである。そして私として私が存在するのは、私が存在することができるのは、私が存在しなければならないのは、私の内における無限に他なるものの、この脱臼した奇妙な懐胎期間以降のことでしかないのだ。世界がもはや私たちのあいだや私たちの足元には存在せず、私たちのために媒介を保証したり、基盤を強固にしたりすることのないところで、私は他者を担い、おまえを担わなければならず、他者は私を担わなければならない。(p083)』

 

『存在する前に、私は担うのであり、私である前に、私は他者を担うのだ。私はお前を担い、そうしなければならず、私はおまえにその義務を負っている。(p084)』

 

これらの批判的言及において強調されているのは、「自己固有化」されない、つまり同化されない他者と、「世界なしの」状況において出会うことの重要性である。

そういう他者との出会いだけが、私の生の独異性を成り立たせる。私が、そうした他者とその世界(生)を(「世界なし」に)担うことによってだけ、私は独異(「単独=特異」)な生としての、私自身として生きうるのだ。

デリダのこのような言葉が、2003年のヨーロッパにおいて、難民や宗教(的対立)の問題を念頭に置いて述べられたものであることは明らかだろう。

そして、この講演の最後では、次のように述べられる。

 

『(前略)私としてはまず、私たちの内で、私たちよりも前に他者が語っているその場で、私たちがどれほど他者を必要としているのか、これからもなおどれほど彼を必要とし、彼を担うことを、彼によって担われることを必要としているのかということを喚起することから始めただろう。(p088)』

 

こうして、ヘルダーリンのある詩の一節が引かれて講演は終えられるのだが、その一節は、訳注によると、(より正確には)次のようなものである。

 

『ほかのものたちにたよるということは / 良いことだ。だれもただひとりでは生(いのち)に耐えないからだ』

『正義への責任』

 

 

「訳者あとがき」(岡野八代・池田直子)によると、著者のヤングはもともとマルクス主義フェミニズムの米国における代表的な論客として知られていた人のようである。しかし、遺著となった本書を読む限りでは、その思想は、リベラル(個人主義自由主義)の価値観・世界観を土台とした倫理学、責任論の構築を目指すものであるという印象を受ける。

 その立場からヤングは、経済のグローバル化によって拡大する「構造的不正義」に対処する規範として、「社会的つながりモデル」という考え方を提示しているのである。

 ここでいう「構造的不正義」とは、こういうものだ。

 

『ここでの不正とは、構造的不正義である。そしてそれは、少なくともつぎの二種類の危害や不正と区別される。つまり、個々の相互行為から生じるとされるもの、そして、国家やその他の権力をもった諸制度の特定の行為や政策に起因するもの、である。(p78)』

 

『構造的不正義は、個々の主体や国家の抑圧的政策の不正行為とは異なる種類の道徳的不正である。構造的不正義は、多くの個人や諸制度が、一般的な規則と規範の範囲内で、自らの目的や関心を追求しようと行為した結果として生じるのだ。(p90)』

 

『構造的不正義とは、たいてい制度上の規則の範囲内で、大半のひとが道徳的に許容されていると考える実践に従って行動する、何千、いや何百万もの人びとによって生産され、再生産されている。(p169~170)』

 

ヤングのいう「構造的不正義」は、個々の行為(悪意や暴力を含むだろう)や権力から区別された、かなり抽象的なものとして想定されているのではないかと思われる。この不正義を結果的に生みだす個々の行為者は、基本的には善意のプレーヤーであるというわけなのだ。

こうしたものとしての「構造的不正義」に(のみ)対処する責任の論理として提唱されるのが、(過去に為された個々の罪や責任を問う「帰責モデル」とは区別された)「社会的つながりモデル」だ。

 

『社会的つながりモデルでは、不正な結果を伴う構造上のプロセスに自分たちの行為によって関与するすべての人びとが、その不正義に対する責任を分有する。この責任は、罪や過失を誰かに帰す場合のように、主として過去遡及的ではなく、むしろ、主に未来志向的である。構造上の不正義に関して責任があるということは、その不正義に対する責任を分有する他の人びととともに、わたしたちには、不正な結果を生む現在の構造上のプロセスをより不正でないものに変革する義務がある、ということを意味している。(p172)』

 

未来に対して義務(責任)を負うというのはよいのだが、過去における罪や過失の責任を問うことは、この「未来志向」の義務をときに妨げることさえあるものだと考えられているようである。そうすると、未来志向的な責任の強調は、結局は、過去に対する責任をバックレることの巧妙な正当化になりかねないだろう。

この点に関しては、「序文」でマーサ・ヌスバウムが展開しているヤングへの批判が見事なものだと思うので、少し引用しておく。

 

『わたしが考えるに、罪と責任の区別のなかで、後ろ向き/前向きといった概念区分を維持するのは、実際には非常に難しい。(中略)もし、わたしたちが、(構造的不正義に加担した者には、問うべきではないと考えられている)後ろ向きの罪と、(問うべきだと考えられている)前向きの責任との、はっきりとした区別に固執し、こうした議論をするならば、結局は、人びとは永遠のフリーパスを手に入れるだろう。というのも、彼女たち/彼らが担い損ねた課題は、その帳簿の借方項目、つまり罪側に記載され、新しい課題はつねに、彼女たち/彼らの未来に待っているからだ。この議論とは対照的に、わたしたちは、つぎのように考えるべきであろう。つまり、もし、社会問題Sに対して、Aが責任Rを負いながらも、その責任をそのときに果たさず、そして、一定の時間が経つならば、自分の責任を果たさなかったという罪があるのだ、と。』

 

さて、僕がヤングの議論に違和感を抱くのは、根本的には、彼女の言う「構造的不正義」なるものが、現実の社会関係から権力の不均衡性を消去した抽象的な理念にしか思えないからである。

社会にこの不正義が生じるのは、社会関係そのものが不均衡をその土台にしているから(つまり資本制的であるから)であって、それを変革しようとするならその土台を否定する以外に根本策はないはずだが、ヤングはそうは主張しないのだ。だから彼女の議論は、資本主義の論理の外側には出られないものだと思う。

そのことは、ヤング自身よく分かっていたはずだ。次のように書いてるのだから。

 

『構造的不正義に関する責任の一要素としての権力の問題は、不正な構造に関連して重大な権力をもつ行為主体は通常、不正義の存続に関心があるということである。構造が生みだす不正義は通常、そこに参与している行為主体によって設計されたものでも意図されたものでもないが、それは、しばしば権力をもつ行為主体が抱いている目的から予期しうる結果である。もし、そうした行為主体が自分たちの目的は合法的だと信じており、かつ、他からの異論があってもともかくその目的を果たすことができるのであれば、そこから利益を得ているのだから、あるいは、構造の変革はあまりに高くつくと考えて、存続させようとするだろう。(p262)』

 

明察であるが、ほんとうのところは、「不正な構造」は「重大な権力をもつ行為主体」によって意図され設計されたものなのだ。少なくとも、現在においてはそう言い切るべきだろう。

ヤングの思想は、資本主義内的な(つまりリベラルな)倫理思想の限界を、その極めて高度な洗練と達成において示していると、僕は思う。

ガンとの闘病のなかで書かれた、以下の本書の最後の一節は、そうしたものであると同時に、深く私たちの心を打つものでもある。

 

『白人存在の特権を認めることは、集団としてであれ、個人としてであれ、白人が、集団あるいは個人としての黒人に対して支払う義務を負っていると主張することではない。しかしながら、不正な結果を生む人種化された諸構造から利益を得ている人びとは、特権を認識し、その特権が歴史的不正義と連続性をもつことを認め、そしてこの特権を与えてくれる諸制度の変革に取り組む義務をもって行動せよという、特別な道徳的そして政治的責任へと、当然のように呼びかけられるだろう。たとえ、そのことによって、そのひと自身の環境と機会が、呼びかけに応じなければ手にしていたであろう状態に比べて、より悪いものになってしまうとしても、である。(p336)』

『哲学のナショナリズム』

 

 

夭折したドイツの詩人トラークルの詩を論じたハイデガーの文章を執拗に分析したデリダの講義録。

トラークルの詩では、魂は地上においては「余所者」であると言われるのだが、その一節を強調するハイデガーの意図は次の点に眼目があるとデリダは言う。

(以下、引用文ではすべて、日本語表記部分だけを書き写したことを特に断っておく。)

 

 

『魂が地上においては余所者だとしても、それは魂が地上と無縁だという意味ではない。それどころか、魂はまさしく地上に向かう途上にあり、地上へ向かう移民である。(中略)必要なのは大地に帰ることであり、この大地は、住まいを約束することによってのみそれ自身であるような場なのである。(p76)』

 

 

地上において「余所者」である「魂」の旅路は、決してあてどない流浪ではなく、「約束」の「大地」(住まい)への回帰であることをハイデガーは強調していると、デリダは指摘する。デリダは、こうした「回帰」こそがナショナリズムの本質であるとも言っているのだが、そのようなものとしてハイデガーのドイツ・ナショナリズムナチスへの接近)を批判したデリダのなかに、シオニズムに対する(語られざる)意識がなかったと考えることは難しいだろう。

とりわけ、次のように言われる時。

 

 

『回帰とは、住まいや祖国の偶有的な、付け足しの述語などではなく、住まいの約束としての祖国や故郷(くに)を根源的に構成し創設する、本質的な運動である。それ、故郷(くに)は回帰の約束から始まる。祖国としての故郷は、ひとがかつて起源において住んだことがある場所、そして、そこを離れた後で、いつの日か、そこへ帰ろうと望む場所ではない。故郷は、回帰の約束にもとづいてのみ、それとして出現するのである。―たとえ実際にひとがそこを決して離れたことがなかったとしても、また実際にそこに再び戻ることが決してないとしても。(p233~234)』

 

 

「たとえ実際にひとがそこを決して離れたことがなかったとしても」という一節を読むとき、日本のナショナリズムこそがナショナリズムの中でも最悪のものではないかと考えざるをえない。

「最悪」というのは、デリダはここでナショナリズムを「死」につながるものとして捉え、そういう要素をハイデガーの思想の中に見い出して、それに敵対しようとしているからである(したがって、そうしたものでないようなナショナリズムは、ここではデリダの批判の対象になっていないと言える)。

デリダの主敵は、ナショナリズムというより、それが時としてはらみうる「死の勢力」の方なのだ(同時に、デリダが憎んでいるのは「(生物学的な)死」そのものというより、「死の思想(イデオロギー)」と呼ぶべきものの方だということも強調しておきたい)。それについて、例えばこう言われている。

 

 

『(前略)それらははるかに確実に勝利を収める死の勢力である。結集、同じもの、唯一のもの、道なき場しかないとしたら、それは端的に死だろう。(中略)したがって、場と非-場、結集と分割可能性(差延)とのあいだの関係は別様でなくてはならず、ハイデガーを導くように見える暗黙の論理を作り替えることを課すような、一種の交渉や妥協がたえず進行中であるのでなくてはならない。また分割可能性があると述べることは、分割可能性あるいは分裂しかないと言うことでもない(それもまた死だろう)。死は二つの側から付け狙っている。一方では、固有な場の完全無欠さ、戦争なき性の純粋無垢さの幻想の側から。また反対側では、根本的な非固有性ないし脱固有化の側から、さらには性の軋轢としてのゲシュレヒトの戦争の側から。(p137)』

 

 

「一種の交渉や妥協」の絶えざる進行こそが、デリダが「死の勢力」に敵対する重要な武器だったということになるだろう。

それはまた、次のようにも述べられる。

 

 

『私にとって、獣と呼ばれるものと人間と呼ばれるものとのあいだのあらゆる境界や区別を消去することが重要なのではない。そうではなく重要なのは、なんらかの国境(フロンティア)の一方と他方とを対立させる、そうした境界線の統一性に異議を唱えることである。(p222)』

 

 

ここにも、デリダらしい政治的な立場表明を見ることが出来るように思う。

そして、ここでデリダが最も鋭く敵対している「死の勢力」(悪しきものとしてナショナリズム、回帰の思想)は、具体的にどういう思想の姿をとるかといえば、それは今日の言葉でいうなら「反出生主義」に極めて近いものだと思う。本書中に引用されている(トラークルを論じた)ハイデガーの次の文章には、それがはっきりと示されている。

 

『みずからの炎のなかで、生まれぬ者の平和を見守る喪である。生まれぬ者たち、子として産み出されぬ者たちは、孫と名づけられるが、それは彼らが息子でありえないから、言い換えれば、(失墜した種族ないし性)の直接の、無媒介な新芽〔後裔〕、子孫でありえないからである。彼らとこの種族、この〔失墜した〕ゲシュレヒトとのあいだには、もう一つ別の世代がある。この世代が別の世代であるのは、それが別の出自、すなわち産み出されぬ者の起源である早朝に出自をもつ以上、別の次元に属しているからである。(p119)』

 

 

したがって、この本においてデリダは、反出生主義とシオニズムという二つのものを重ねるようにして、密かに敵対していると僕には思える。

おそらくこの二つは、ジャン・ジュネが生涯にわたって対峙し続けたものでもある(ジュネの作品と同じく、この本でも性的差異とその政治性は主要なテーマの一つである)。

映画『飯舘村 べこやの母ちゃん』

十三のシアターセブンで、古居みずえ監督の『飯舘村 べこやの母ちゃんーそれぞれの選択』を見た。また、上映終了後に監督の舞台挨拶があり、こちらもとても良かった。
映画は、飯舘村に暮らしてきた三人の「母ちゃんたち」の原発事故以後の姿に寄り添って撮られたもの。古居さんと被写体になった人たちとの距離感がよく伝わってくる、すぐれた内容だった。
挨拶でも言っておられたが、古居さんが飯舘村の人たちの置かれた状況に、パレスチナの人たちの境遇を重ねていることは、映画の冒頭のシーンからはっきり伝わってくる気がした。花々が咲き乱れる飯舘の谷間の春の景色と、その土地が敗戦直後、満蒙開拓から帰国した人々によって切り拓かれた農地だったという歴史の解説。原発事故の被害と、その後の国の切り捨て的な政策は、またしてもこの土地の人たちを襲ったのである。
古居さんの映画の特徴は、日常に持続するものとしての「時間」を丁寧に撮っていることではないかと思うのだが、その持続によって、歴史の中の出来事も呼び起こされてくるのだ。

タイトルに「べこや」とあるように、今回は畜産を営んでいる家族の話である。古居監督のお話では、村でも男性は他の仕事(公務員やドライバーなど)との兼業になることが多く、畜産と言っても日々の動物の世話は、もっぱら女性の仕事ということになるらしい。生命に直接かかわる仕事を中心的に担っているのは、ここでも女性たちで、(コロナ禍でもそうだったように)、社会的な危機の際には、そういう生命や身体に密着した被差別的な場所・職業が、最も負担や危険にさらされ、かつ切り捨てられるようなことになる。
原田公子さんという「母ちゃん」は、子どもの頃からひときわ動物好きな人だそうだが、虚弱な動物に特に心を引かれるのだという。その人が子牛たちにミルクを飲ませながら言った「一番弱い者に合わせないと、生きられるものも生きられなくなる」という言葉が、印象深かった。

また、長谷川花子さんという人は、長谷川健一さんの妻であり、映画では健一さんの普段の様子や、甲状腺がんで亡くなる前後のことも詳しく描かれているのだが、ただ、活動家としての健一さんの姿はほとんど全く出てこず、あくまで「花子さんのよき父ちゃん」という描かれ方であった。よく知らない人は、ごく普通の畜産農家のおじさんだと思うだろうが、ある意味では、その姿こそが本人も最も望んでいたことだったろうと思う。それを全て奪ったのが、原発事故だ。こういう描き方をする古居監督の作風の徹底ぶりには、凄味さえ感じた。

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『人種契約』

チャールズ・W・ミルズ『人種契約』。

 

 

 

著者は、よく似た名前の社会学者とは別人で、ジャマイカにルーツを持つ政治哲学者。

ロックやカントに代表される西洋のリベラリズム思想が、人種差別と抜きがたく結びついてることを徹底的に批判した本で、同じくカリブ海出身のエリック・ウィリアムズの不朽の名著『資本主義と奴隷制』の政治哲学版、という印象もあり。

それにしても、この原著が1997年に出版されたことは重要だと思う。当時、米国はクリントン政権。5年前の「コロンブス500年祭問題」での批判もうまく体制に回収されてしまい、著者の言う「白人至上主義の第二段階」が、グローバル資本主義英米リベラリズムという形態で完成期に入って、「これは違う!」という危機感が強烈だったのではないかと思う。

 

 

『いまのこの時代において、白人たちの支配はもはや憲法や法律によってまもられているわけではなく、むしろかつて白人たちが征服したものの遺産にもとづく社会的、政治的、文化的、経済的特権の問題となっているのだ。

 第一の時代、つまり法律上の白人至上主義の時代において、人種契約はあからさまなもの(中略)であった。(中略)一方、第二の時代では、人種契約は形式的な存在の外部にみずからを書き記すようになった。(中略)この時代(つまり現在)を特徴づけているのは、白人が事実上いまでも保持している特権と、形式的な権利の拡大とのあいだの緊張関係である。(p90~91)』

 

『一般的な言説に見られる人種契約の諸項目を首尾よく書き換えたことによって、いまや白人による支配が概念的に見えなくなっている。(中略)アングロサクソンアメリカ人の哲学が、この時代、事実上の人種契約が存在するこの時代に復活してくるということが、このことが人種に対する現実離れした無神経さをある程度解き明かしてくれている。帝国主義植民地主義、集団殺戮(ジェノサイド)といったものの歴史、組織的に人種が排除されたという現実、こういったことが、もともと白人市民に限定されていた、抽象的で一般的な見かけをもったカテゴリーのなかでうやむやにされていく。(p145~146)』

 

 

著者の言う「人種契約」(それが、この社会のルールの真の姿だ)が、「人間」と「従属人間」との(国家的な暴力を基盤とする)構造化によって実行されるということ、それ(人種による支配・差別)は構築的であるが疑いようのない現実だという指摘は、繰り返し思い出すべきものだ。

 

 

レイシズムや人種にもとづいて構造化された差別が、決められた規範からの逸脱であったことはない。(中略)差別そのものが規範となっているのである。(中略)そうやって義務や権利、自由といったものが、人種的に差別化された土台にもとづいて割り当てられてきたのである。(p114~115)』

 

『人種は生物学的なものであるというよりも社会政治的なものであるのだが、そうであるにもかかわらず現実のものなのだ(p155~156)』

 

『白人至上主義は実際のところ色のことではなく、さまざまな権力関係のまとまりのことなのである。(p157)』

 

 

この最後の意味で、(過去も現在も)「非白人による白人至上主義(レイシズム)国家」の代表例ともいうべき日本についての分析は、最終部に少し出てくる。ただ、もう一つの顕著な例と思われるイスラエルについての記述がまったくないのは、いくらか物足りない。

『ニック・ランドと新反動主義』

いろいろ面白かった。

 

 

表題の新反動主義だが、前半でその代表的な論者として紹介されるのは、いずれもシリコンバレーの企業を経営する二人の人物。まあ、ネット論客ですね。それと、哲学畑出身のニック・ランドという思想家。この人は、英国出身で、英国に居た頃は左翼のマーク・フィッシャー(故人)などと一緒に、音楽の分野でも目立った仕事をしていたらしい。

新反動主義についてだが、政治的な主張を一言で言うと、「自由にとって、民主主義は邪魔である」ということになるようだ。ニック・ランドは、望ましい政治のあり方について「voiceではなく、exit」ということを言ってるそう。voiceというのはデモとか投票とか、有権者が政治参加して社会を運営していく、要するに民主主義国家のスタイル。それに対してexitとは、専制的なリーダーがトップダウンで政治を行い、有権者(?)は気に入らなければ、そこを出て行って(exit)他の国に参加すればよい、というスタイル。これは、CEOと株主の関係のようなものだと説明されてるけど、全くそうだと思う。実際、今の指導者や政治家は大体こういう感覚の人が多いのだろう。それを批判して「民主主義を」と言っても、うざったいというのが彼らの本音であろう。

 

さて著者は、新反動主義というものを、現存の資本主義体制を是認・強化することによって「解放」を実現しようという、加速主義という更に大きな枠組み(戦前の生産力理論みたいだが、近年の代表的思想家として挙げられてるのは、当然ながらドゥルーズ=ガタリである)の一部と位置付けている。保守・反動主義者のニック・ランドと左翼のマーク・フィッシャーが協働できたのも、この文脈があったから。

なぜ、加速主義のようなものが出てきたのかといえば、神は死に、人間主義も凋落し、革命の夢も潰えたからだ、とされる。そこで、ニーチェが召喚される。究極の自己、究極の自由、超人の思想というわけだ。

ニーチェにしても、ドゥルーズ=ガタリにしても、かなり一面的な理解だとは思うが、時代の雰囲気としては当ってるところもあるのだろう。

 

だがそれは、本当の解放(自由)なのか?むしろ、自己意識という牢獄に囚われているのは、加速主義者や新反動主義者ではないのか。

ランドのリベラル(カント主義)批判は、西洋の「近代=啓蒙」というのは、外部(他者)を自己の内部に取り込んで「同化」する装置であり、つまり植民地主義と同じものだということ。それを解体する方策として、加速主義を主張し、テクノロジーによる人間的なものの解体(トランスヒューマニズム)を志向し、政治的には一切の抵抗や批判を無効と見なして反動主義の態度をとる。

こうしたランドのリベラル批判は、(一部の)アナキズム的左派の主張とも通じるところがあり、たしかに一理あるようにも思えるが、ランドが本当に危惧しているのは、特権的で優越的である(白人男性の)「自己」の安定が、もはや「近代=啓蒙」という装置によっては十分に保たれないということだろう。その優越性を手放すのが嫌なので、こうした論者は「専制」(反動主義)を待望したり、暴力による解体を志向したりするのだ。

このような過激性とシニスムの底にあるのは、特権的な自己への執着と、それが脅かされることへの恐怖心であると思う。