十三のシアターセブンで、古居みずえ監督の『飯舘村 べこやの母ちゃんーそれぞれの選択』を見た。また、上映終了後に監督の舞台挨拶があり、こちらもとても良かった。
映画は、飯舘村に暮らしてきた三人の「母ちゃんたち」の原発事故以後の姿に寄り添って撮られたもの。古居さんと被写体になった人たちとの距離感がよく伝わってくる、すぐれた内容だった。
挨拶でも言っておられたが、古居さんが飯舘村の人たちの置かれた状況に、パレスチナの人たちの境遇を重ねていることは、映画の冒頭のシーンからはっきり伝わってくる気がした。花々が咲き乱れる飯舘の谷間の春の景色と、その土地が敗戦直後、満蒙開拓から帰国した人々によって切り拓かれた農地だったという歴史の解説。原発事故の被害と、その後の国の切り捨て的な政策は、またしてもこの土地の人たちを襲ったのである。
古居さんの映画の特徴は、日常に持続するものとしての「時間」を丁寧に撮っていることではないかと思うのだが、その持続によって、歴史の中の出来事も呼び起こされてくるのだ。
タイトルに「べこや」とあるように、今回は畜産を営んでいる家族の話である。古居監督のお話では、村でも男性は他の仕事(公務員やドライバーなど)との兼業になることが多く、畜産と言っても日々の動物の世話は、もっぱら女性の仕事ということになるらしい。生命に直接かかわる仕事を中心的に担っているのは、ここでも女性たちで、(コロナ禍でもそうだったように)、社会的な危機の際には、そういう生命や身体に密着した被差別的な場所・職業が、最も負担や危険にさらされ、かつ切り捨てられるようなことになる。
原田公子さんという「母ちゃん」は、子どもの頃からひときわ動物好きな人だそうだが、虚弱な動物に特に心を引かれるのだという。その人が子牛たちにミルクを飲ませながら言った「一番弱い者に合わせないと、生きられるものも生きられなくなる」という言葉が、印象深かった。
また、長谷川花子さんという人は、長谷川健一さんの妻であり、映画では健一さんの普段の様子や、甲状腺がんで亡くなる前後のことも詳しく描かれているのだが、ただ、活動家としての健一さんの姿はほとんど全く出てこず、あくまで「花子さんのよき父ちゃん」という描かれ方であった。よく知らない人は、ごく普通の畜産農家のおじさんだと思うだろうが、ある意味では、その姿こそが本人も最も望んでいたことだったろうと思う。それを全て奪ったのが、原発事故だ。こういう描き方をする古居監督の作風の徹底ぶりには、凄味さえ感じた。
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『人種契約』
チャールズ・W・ミルズ『人種契約』。
著者は、よく似た名前の社会学者とは別人で、ジャマイカにルーツを持つ政治哲学者。
ロックやカントに代表される西洋のリベラリズム思想が、人種差別と抜きがたく結びついてることを徹底的に批判した本で、同じくカリブ海出身のエリック・ウィリアムズの不朽の名著『資本主義と奴隷制』の政治哲学版、という印象もあり。
それにしても、この原著が1997年に出版されたことは重要だと思う。当時、米国はクリントン政権。5年前の「コロンブス500年祭問題」での批判もうまく体制に回収されてしまい、著者の言う「白人至上主義の第二段階」が、グローバル資本主義&英米系リベラリズムという形態で完成期に入って、「これは違う!」という危機感が強烈だったのではないかと思う。
『いまのこの時代において、白人たちの支配はもはや憲法や法律によってまもられているわけではなく、むしろかつて白人たちが征服したものの遺産にもとづく社会的、政治的、文化的、経済的特権の問題となっているのだ。
第一の時代、つまり法律上の白人至上主義の時代において、人種契約はあからさまなもの(中略)であった。(中略)一方、第二の時代では、人種契約は形式的な存在の外部にみずからを書き記すようになった。(中略)この時代(つまり現在)を特徴づけているのは、白人が事実上いまでも保持している特権と、形式的な権利の拡大とのあいだの緊張関係である。(p90~91)』
『一般的な言説に見られる人種契約の諸項目を首尾よく書き換えたことによって、いまや白人による支配が概念的に見えなくなっている。(中略)アングロサクソン系アメリカ人の哲学が、この時代、事実上の人種契約が存在するこの時代に復活してくるということが、このことが人種に対する現実離れした無神経さをある程度解き明かしてくれている。帝国主義、植民地主義、集団殺戮(ジェノサイド)といったものの歴史、組織的に人種が排除されたという現実、こういったことが、もともと白人市民に限定されていた、抽象的で一般的な見かけをもったカテゴリーのなかでうやむやにされていく。(p145~146)』
著者の言う「人種契約」(それが、この社会のルールの真の姿だ)が、「人間」と「従属人間」との(国家的な暴力を基盤とする)構造化によって実行されるということ、それ(人種による支配・差別)は構築的であるが疑いようのない現実だという指摘は、繰り返し思い出すべきものだ。
『レイシズムや人種にもとづいて構造化された差別が、決められた規範からの逸脱であったことはない。(中略)差別そのものが規範となっているのである。(中略)そうやって義務や権利、自由といったものが、人種的に差別化された土台にもとづいて割り当てられてきたのである。(p114~115)』
『人種は生物学的なものであるというよりも社会政治的なものであるのだが、そうであるにもかかわらず現実のものなのだ(p155~156)』
『白人至上主義は実際のところ色のことではなく、さまざまな権力関係のまとまりのことなのである。(p157)』
この最後の意味で、(過去も現在も)「非白人による白人至上主義(レイシズム)国家」の代表例ともいうべき日本についての分析は、最終部に少し出てくる。ただ、もう一つの顕著な例と思われるイスラエルについての記述がまったくないのは、いくらか物足りない。
『ニック・ランドと新反動主義』
いろいろ面白かった。
表題の新反動主義だが、前半でその代表的な論者として紹介されるのは、いずれもシリコンバレーの企業を経営する二人の人物。まあ、ネット論客ですね。それと、哲学畑出身のニック・ランドという思想家。この人は、英国出身で、英国に居た頃は左翼のマーク・フィッシャー(故人)などと一緒に、音楽の分野でも目立った仕事をしていたらしい。
新反動主義についてだが、政治的な主張を一言で言うと、「自由にとって、民主主義は邪魔である」ということになるようだ。ニック・ランドは、望ましい政治のあり方について「voiceではなく、exit」ということを言ってるそう。voiceというのはデモとか投票とか、有権者が政治参加して社会を運営していく、要するに民主主義国家のスタイル。それに対してexitとは、専制的なリーダーがトップダウンで政治を行い、有権者(?)は気に入らなければ、そこを出て行って(exit)他の国に参加すればよい、というスタイル。これは、CEOと株主の関係のようなものだと説明されてるけど、全くそうだと思う。実際、今の指導者や政治家は大体こういう感覚の人が多いのだろう。それを批判して「民主主義を」と言っても、うざったいというのが彼らの本音であろう。
さて著者は、新反動主義というものを、現存の資本主義体制を是認・強化することによって「解放」を実現しようという、加速主義という更に大きな枠組み(戦前の生産力理論みたいだが、近年の代表的思想家として挙げられてるのは、当然ながらドゥルーズ=ガタリである)の一部と位置付けている。保守・反動主義者のニック・ランドと左翼のマーク・フィッシャーが協働できたのも、この文脈があったから。
なぜ、加速主義のようなものが出てきたのかといえば、神は死に、人間主義も凋落し、革命の夢も潰えたからだ、とされる。そこで、ニーチェが召喚される。究極の自己、究極の自由、超人の思想というわけだ。
ニーチェにしても、ドゥルーズ=ガタリにしても、かなり一面的な理解だとは思うが、時代の雰囲気としては当ってるところもあるのだろう。
だがそれは、本当の解放(自由)なのか?むしろ、自己意識という牢獄に囚われているのは、加速主義者や新反動主義者ではないのか。
ランドのリベラル(カント主義)批判は、西洋の「近代=啓蒙」というのは、外部(他者)を自己の内部に取り込んで「同化」する装置であり、つまり植民地主義と同じものだということ。それを解体する方策として、加速主義を主張し、テクノロジーによる人間的なものの解体(トランスヒューマニズム)を志向し、政治的には一切の抵抗や批判を無効と見なして反動主義の態度をとる。
こうしたランドのリベラル批判は、(一部の)アナキズム的左派の主張とも通じるところがあり、たしかに一理あるようにも思えるが、ランドが本当に危惧しているのは、特権的で優越的である(白人男性の)「自己」の安定が、もはや「近代=啓蒙」という装置によっては十分に保たれないということだろう。その優越性を手放すのが嫌なので、こうした論者は「専制」(反動主義)を待望したり、暴力による解体を志向したりするのだ。
このような過激性とシニスムの底にあるのは、特権的な自己への執着と、それが脅かされることへの恐怖心であると思う。
『ウォークス 歩くことの精神史』
これは恐ろしく読みごたえのある本だった。原著の出版は2001年頃。
書いてあることの要点は、ひとつには、著者が重視する「歩行の文化」とは、西洋近代において、特に産業革命以後の社会と身体への疎外に対抗して切り拓かれてきたものである、ということ。英国や米国など、各国の歴史(社会史・文化史・運動史)を振り返るのだが、その闘争の軌跡というのは、同時に、女性にとっては「自由に道を歩く」という数千年の家父長制下で抑圧されてきた(今も「先進国」を含めて抑圧され続けている)権利を奪還する道のりでもあったことを書いているのが、この著者らしい視点であろう。
『その意味で、歩行は所有のアンチテーゼである。歩くことは、大地において、動的で抱えこむもののない、分かちあうことのできる経験を求める。流浪の民は国家の境界を曖昧にし、穴を開けてしまう存在としてナショナリズムに敵視されることが多かったが、歩くことは、私有地というやや小さなスケールの相手に対して同じことをしているのだ。(p269)』
『ただしそのなかで、市場の女たちはありふれた市民のありふれた行為によって歴史を動かしてみせた。行列をなす何千という女性たちはまもなく訪れる陰惨な日々をまだ知ることもなく、ヴェルサイユへ向かって歩みながら、あらゆる権威の下で身を低くして過ごした過去を乗り越えていった。世の中が自分たちとともに立ち上がり、恐れるものはなく、兵士たちもまた自分たちの後に続く、そんな一日を彼女たちは生きたのだ。歴史の揺動に砕かれる穀物ではなく、むしろ挽き臼のようにして。(p373)』
『似たような経験のなかで、この一件はただその脅しの重みによって記憶に刻まれている。自分には戸外で人生や自由や幸福を追求することが本当の意味では許されていない、ということの発見にわたしは人生でもっとも打ちのめされた。世界にはわたしの性別のみを理由にわたしを嫌い、傷つけようとする他人が大勢いて、性はあまりに容易が(ママ)暴力へ転化してしまい、そういったことを個人的な問題ではなく社会的な問題だと考えている者はほとんどいないという発見でもあった。(中略)ひとりで歩くという願望は、彼女たちの心からすでに失われているのだ。しかしわたしにはまだそれがある。(p405~406)』
この本では西洋近代における闘争としての「歩行の文化」ということに、意識的に主眼が置かれているので、それ以外の、例えば東洋の伝統的な「歩行」に関しては、やや歴史性を欠いた像になっているのは、やはり気になる所ではある。
ところで、著者自身の運動上の経験として書いてることで印象的だったのは、彼女は80年代の反核闘争から政治運動にコミットしたそうだが、なかでも91年に米国各地で沸き起こった湾岸戦争反対の行動が、特権的なほど大きな経験だったと書いていること。それは、80年代の運動の世界的な広がりの帰結点のように捉えられてるのだが、その80年代の運動とは、ソ連・東欧圏の「崩壊」をもたらした市民(反体制)運動の勝利の経験でもあった。つまり、著者の世代にとっては、「壁の崩壊」という出来事は、(それ以前、及びそれ以後の世代にとってのように)「資本(新自由主義)の勝利」としてではなく、「民衆の勝利」という意味合いが大きかったのだ。これは、(今のウクライナ侵攻への反応を考えても)かなり大きな特徴ではないかな、と思った。
それから、戦後の米国社会の決定的な変容を示すものとして、1970年に、初めて多くの人々が自分たちは「郊外住宅地」に住むことになったと意識し始めた、という調査が紹介されている。「郊外住宅」は、労働(生産)と生活(消費)との分離を決定づける形式であり、そこでは歩行者の身体よりも、自動車の利便の方が優先され、身体はとことん排除・周縁化される街づくりが遂行される。そこで培われる感覚は、やがてゲーテッド・シティや「敵基地攻撃能力」の自明化にも結びつくものだろう。
この「郊外住宅地」のイメージとして、僕は先日歩いた千里丘陵の家並みを思い浮かべたのだが、ただ歴史を調べてみると、意外な発見もあった。普通、千里ニュータウンというと、マンモス団地をイメージするだろうが、実は当初(千里ニュータウンが生まれたのは、僕と同じ1962年だが)から、集合住宅(団地)と戸建て住宅との割合は、大体半々だったという。つまり、戸建て住宅による米国的な「郊外住宅地」化が突如始まったということではなく、ある時期までは、それも含めて「コミュニティ作り」への模索がなされていたのだろう(今でもニュータウンの各所には「近隣センター」の看板が見られる)。その様相が大きく変わって、コミュニティの衰退が言われるようになったのは、日本では80年代中頃のバブルとその崩壊にともなう、団地と戸建て住宅双方の「建て替え」が急増した頃だったようだ。まさにこの時期に、日本(大阪)でもネオリベへの布置が敷かれ、維新の台頭への種もまかれた、というわけだ。
『国家をもたぬように社会は努めてきた』
http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27323.html
この本は、クラストルへのインタビュー(70年代だったか?)が主内容となっているが、訳者でもある酒井隆史による法外に長い「解題」が付されており、共著といってもよい内容である。酒井の文章は、この夭折した天才的なアナキスト人類学者が切り拓いた地平と、そこからのさまざまな批判を含めた展開を詳細に追っていて、やはりこちらの方により興味を引かれる。
批判としては、クラストルの議論にはジェンダー的な観点、つまりフェミニズム的な視点がまったく欠落していたことが広く指摘されているらしいのだが、そのなかでも、古代ギリシャ史家のニコル・ロローという人の批判が代表的なものであるらしい。
それはどういうものかというと、クラストルは未開の社会には「国家」という「単一なるもの」が形成されることを拒む様々な仕組みが存在しているということを書いており、それによって平等主義的な社会(共同体)を実現しているという。だが、その平等主義的(共産主義的と言ってもいい気がするが)な社会というのは、実は葛藤や混乱の原因である「女性」を排除することによって成り立っているのではないかと、ロローは指摘したのだ。そうだとすると、この平等主義的な社会(「国家に抗する社会」)というのは、つまるところ、国家と同様の「単一なるもの」の別様態に他ならないのではないかという、まったくもっともだと思える指摘である。
グレーバーのような後続のアナキスト人類学者たちは、こうした批判を受け止めてきているだろうと思う(さて、私自身はどうであろうか)。
興味を引かれるもう一点は、宗教あるいは、宇宙的な秩序(コスモロジー)ということに関わる。これはクラストルと深い影響関係にあったサーリンズやグレーバー(いずれも最近他界した)たちによって展開された観点である。
クラストルが提起したのは、「国家」というものが、客観的な現実の展開(進行)とは離れた「理念」のようなものとして人々を襲う(捉える)のではないか、という考え方である。マルクス主義や社会学(デュルケーム)のように客観的な現実(社会や経済)から「国家」が生じてくる(もしくは反映する)のだとは考えずに、それは「理念」として、いわば主観的、あるいは信仰のような次元に根差して出来(回帰)する。
だとすると、「国家」(あるいは、国家的な支配の論理)は、信仰や想像の領域にこそ、その根を持っているということになる。これは、恐るべき指摘である。
グレーバーは、アフリカなどを観察して、平等主義(共産主義?)的な社会ほど、「妄想の次元」においては激しい抗争や葛藤を抱えていることを発見したという。まるで、この次元での(つまりは想像的な、ないしは水木しげる的な)抗争を調停するかのようにして、「国家に抗する」さまざまな(平等主義的な)仕組みが、これらの社会において機能している、というのである。つまり、ここでは、妄想の次元における争いが、「国家に抗する」活発なメカニズムの原動力のようになっている。
またサーリンズは、『王権』の著者であるホカートを参照しながら、「神が王の似姿なのではなく、王が神の似姿なのだ」と明言する。想像的な領域においては、「メタパーソン」と呼ばれる神霊的な存在が人間を支配しており、その宇宙的な秩序は、現実の国家が不在な場所においても確かに存在している。この秩序こそが根源的であって、現実の「王」は、この「メタパーソン」の似姿のようなものに過ぎない、というのである。
こうした、社会の深い領域に存在している「秩序」の効力という話は、ベルグソンが『宗教と道徳の二源泉』で書いていたことを、やはり思い出させる。「国家」に実効性を与える内的な秩序が、人類史的な根深さを持っているとするなら、そこから脱することは不可能にも思える。もっとはっきり言えば、人びとの「妄想」や「思い込み」や「情念」こそが政治制度を決定するのだとすれば、いかなる啓蒙的・民主主義的な政治思想(特に立憲主義)も、意味を為さないと考えそうになるであろう。実際、現在の世界(もちろん日本を含む)の政治状況は、そのような「妄想の次元の支配」こそが人類の政治的現実の常態であって、理性的な(話し合いによる)政治制度の安定などというものは、一時の例外的事態にしかすぎないことを証明しているようにも見える。
だが、サーリンズも、グレーバーと同様に、このことを「国家の根深さ」という意味で持ちだしているわけではない。そうではなく、未開の社会においては、こうした「メタパーソン」の(不可避的な)威力が現実の個人や集団に転移してしまうことのないように、綿密な仕組みが機能していることをこそ強調しているようなのだ。
つまり、「国家」は超越的であり不可避であるが故にこそ、それは綿密かつ繊細に、また永続的に回避されなければならない。その抵抗の射程が、示されているのである。
もはや、混沌に満ちた「常態」が露呈してしまった今であるからこそ、我々は悪しき「単一なるもの」の力の実態に立ち向かい、それを克服せねばならない。この本は、そうしたメッセージを私たちに告げているのではないだろうか?
そしてそれは、かつてベルグソンが『宗教と道徳の二源泉』で呪術(ファシズム)に対比して、「宗教」に期待した事柄と、やはり似ているように思える。
『人はなぜ記号に従属するのか』
この本の原著は、ガタリが1970年代後半に書き残していた文章を、死後ずっと経ってから他の人が編集して(2011年に)出版したものらしい。
すごく難しい本なのだが、ひっかかりのつかめたところだけをメモ的に。
『すなわち、シニフィアンは単に言語学者や構造主義的精神分析家の誤りではなくて、どこかに普遍的な基準が存在し、世界は社会や個人とそれらを統御する法則がある必然的な秩序にしたがって構造化されていて、そこには深い意味があるといった確信にわれわれを従属させる何かが日常生活のなかにうごめいているということを示しているのである。シニフィアンはそのようにして権力構成体の現実的な機能様式を隠蔽する基本的な方式なのである。(p29)』
たしか同趣旨のことを、ベルグソンも『宗教と道徳の二源泉』に書いていた。端的にいえば、構造主義批判なのだろうが、しかし、シニフィアンを、現実に起きていることを隠蔽する装置だと断じるのは、相当にラディカルである。簡単にいえば、「現実の動向には意味(根拠)があると仮想する傾向」ということだろうか。こう考えれば、「陰謀論批判」などは些末なことにすぎず、われわれの現実隠蔽的な思考のあり方は、もっと根本的なことだということになる。そういうのは、なんとなく分かる。
ところで、ガタリのベルグソンとの違いは、資本主義の力の現実性を認識していたことであろうが、そうは言ってもガタリはその「資本主義の力」を非生物の領域にも関わる一元論的(リゾーム的、エコロジー的、宇宙論的)なものとして捉えているので、そこはまったくベルグソン的だ。もっとも、マルクスの唯物論をそういう風に解釈する考え方も(特に日本には)、あるのだが。
『抽象機械はいわば三重の可能性を<物質化する>のである。すなわち(1)自らの解体を行い、機械状の指標のアナーキーに回帰する。(2)意味作用の記号学の作動によって抽象化された形態の下に石化して、相対的に脱領土化された地平となる。(3)ダイヤグラム化の効果によって活発な脱地層化が起き、非シニフィアン的な記号=粒子の流れが生じる。(p223~224)』
ガタリの「抽象機械」は、いわば両義的な概念で、破壊的(時には反動的)ではあるが、その進行のさなかにおいてだけ、革命や解放が可能だと考えられている。仮にそれ(抽象機械)を資本のグローバル化の運動として捉えると(具象化すると)、上記のうち、(1)はISのような宗教的・保守的反動を、(2)は言わばグローバル化によってコンビニ化した社会や景観を、そして(3)が革命・解放を、それぞれあらわしていると考えられよう。
興味深いのは、ガタリが(1)をアナーキーという言葉で表してることだが、ISやトランプ主義者の体現するヴィジョンはまさにアナーキーなものなので、これは割符が合っていると言えるのかもしれない。
『集合的な<安心>のシステムが言表行為の領土化を人工的に再生産するのは、意識的変形や脱主体化をもたらすダイヤグラム的変形によってもたらされる目眩をもよおすような主体の脱領土化に対する反作用としてである。かくして、領土化された家族共同体のシステムが崩壊したあとも、原始社会の言表行為の領土化された動的編成への回帰という幻想(<自然への回帰>、起源的意味作用への回帰、等々)が維持されるのである。こうして夫婦からなる核家族が人工的に再創造されるとともに、生産や市場の国際化を前にしながら、国家的諸問題、地域主義、人種差別、等々が大々的に回帰してくるという現状がもたらされているのである。(p249)』
この部分は、ガタリ自身の文章というより、後年(2011年頃)に編集した人たちの文ではないかと思う。
ともかく、ガタリが「顔貌性」とか「リトルネロ」という(やはり両義的な)概念を用いて分析した、資本主義による保守的・反動的な回収のシステムが問題とされているのである。70年代後半に、ガタリは既にそれを焦点化していたわけだ。
『もっと根本的に言うと、こうした操作は資本主義的主体化の様式の特殊ダイヤグラム的機能に属している。この操作にとって重要なことは、主要な権力構成体の包含する記号的構成諸要素を集中しミニチュア化することができる言表行為のオペレーター(作用素)を定着させるということである。そのオペレーターはそうした記号的諸要素を縮小しながら、領土化された動的編成の残存物のなかに存続し続けているリゾーム的可能性を持つ無数の動物・植物・宇宙の目を無効化する。(中略)このような条件の下では、もはやシニフィアンの帝国主義の視線を逃れることのできるいかなる神秘の一点も存在しえない。(p277~278)』
ガタリのミクロ政治論の重要な意味は、その名の通り、ミクロな領域での暴力(破壊)やそれへの抵抗がもたらす変化こそが、もっとも根本的だと主張したことだろう。そして、ミクロな領域が現実世界の全体に対してもたらす破壊的ないしは(希望的にいえば)革命的な効果の大きさは、現在の社会では、ガタリが生きた時代よりも、さらに幾何級数的に増しているようにも思える(ガタリのエコロジー論の重要性は、そこにあるだろう)。
だからこそ、この領域を支配し、革命に結びつくような変化を抑え込もうとする反動的な意志も一段と強まってくる。こうした意志は、もちろん運動体の内部にも深く埋め込まれて存在しているものだ。ガタリのミクロ政治論が、運動論としても参照できるのは、そのためである。
『自由とは単に精神の自由ではなく、同時にリゾーム的な働きであり、動的編成のあらゆる構成要素の次元においても現れる。(中略)<機械状の自由>は、単調なつまらないことが<自ずからのごとくに>生じる時点から、そしてまた、人が一方的な自動作用の広がりのなかに陥らずに、その生と記号化の能力を、動くもの、創造するもの、世界と人間を変えるもの、つまるところ個人的・集合的な欲望の選択に集中することができる時点から始まる。(p309~310)』
この箇所は、ガタリやドゥルーズ=ガタリの思想が「ファシズム的」だとして批判されたことの意味を、端的に明かしていると思う。「機械状の自由」という言葉に、すべてが集約されている。キリスト教的でブルジョワ(資本主義)的でもある「個人の自由」の価値が否定されて、生物、無生物、宇宙に開かれたガタリ的な「自然=機械」への合致こそが、真の自由だとされる(シモーヌ・ヴェイユにも似ている)。
この自由観、自然観は、(ベルグソンと同じく)やはりスピノザ的なものだ。ガタリはこの時期以後、エコロジーということを主張の中心にしていくのだが、そこで考えられている自然(エコロジー)というのも、そういう意味のものだ。そして、エコロジー思想とファシズムとの(反人間中心主義的な)共通性ということも現代では批判の対象になったりする。
ここで思い出されるのは、戦前、三木清が、(民族主義をめぐる高坂正顕との論争的な対談のなかで)スピノザ主義を批判して、スピノザ主義には、コナトゥスの重視という点でマキャベリズムと共通する点がある、と語っていたことだ。
カントが重視したような一般性や普遍性というものに対して、スピノザの考え方は、個への固着ということ、つまりコナトゥスを重視する。そこから、個人や集団(民族など)の「感情」や「情念」のようなものを(理性に対して)強調する考え方が出てくる。それは、マキャベリズム、もっとはっきりいえば帝国主義・資本主義の論理に回収されるものだと、三木は言いたかったのだろう。
それに対して、三木が現実に提示しえた代案は、「東亜協同体論」のようなもので、やはり帝国や資本の力を脱しえないものだったことも、僕たちは知っている。
とはいえ、三木が、スピノザの思想が歴史のなかで持ち得る危険性を、鋭く見抜いていたことも確かだ。
しかし、ガタリがこうした反人間(中心)主義的ともいえる思想を形成していった背景には、精神医療の現場における(しかも患者たちの立場に重きを置いた)運動の実践があったはずだ。つまり、言語を占有する「個人」として相互的に承認し合える者だけが支配する(空虚な)社会への異議、変革の意思というものが、彼の思想の底にはある。
その意味で、特に本書の第一部に記された、次のような政治的・運動論的な発言に立ち返って、ガタリの言っていることを解釈する必要があるのだと思う。
『重要なことは行動を導いたり解釈したりしようとは決してしないことである。集合的言表行為が失調をきたし、その集団が内閉したリーダーシップをとろうとするなら、そうした集団は解体した方がいい。集団的言表行為の行動規則は、欲望の集団的言表行為のプロセスに絶対に取って代わろうとしないことである。そして、そのために、社会的領野の欲望の経済のなかで重要な役割を果たすいかなる記号化の様式とも断絶しないことである。そうした記号化の様式は、個人、身体、観念形成の過程、知覚、等々といった次元で介入するものであり、したがってそれが<理解可能>であろうとなかろうと、あるいはそれが<大義>の顕揚にとって有用であろうとなかろうと、社会的無意識の解明のために絶対に無視してはならない。(p97)』
『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』
この本で特に印象深かったのは、国民党の馬英九政権に対して、台湾の社会運動が強力な抵抗を行い、民進党への政権奪回を実現したばかりか、民進党の政策を多文化主義的・脱資本主義的な方向へと大きく転換させた経緯を描いた論考、「社会運動、民主主義の再定着、国家統合」だ。
当時の馬英九政権(二〇〇八~二〇一六年)は、小選挙区制のもとで、四分の三近い圧倒的な議席を獲得。それを背景に、司法権を含む三権の支配と、メディアの掌握によって、親中国・新自由主義推進の権威主義的政治を行っていた。それが数年の間に、激しい抵抗と批判にさらされ、やがて民進党に政権を明け渡すことになるのだが、その主役は、あくまで社会運動、著者の言う「市民的ナショナリズム」の力であって、政党(民進党)ではなかったことを、著者は強調する。
その自立的な力は、台湾の人びとの圧政に対する抵抗の積み重ね(いわゆる「民主化」)の歴史が可能にしたものだった。議会政治のような制度的な政治のあり方(制度的熟議)に対して、デモなどの社会運動(非制度的熟議)が持つ役割の重要さを強調して、著者は次のように書く。
『制度的熟議の機能に危機が生じたときは、非制度的熟議が持続的に機能することで台湾の民主的国家体制の崩壊を防ぎ、それを再び確固たるものとすることを促してきたのである。(中略)台湾の活力ある市民社会や社会運動団体が非公式的な熟議機能を発揮し、その頃まさに出現しはじめていた新たな権威主義体制に対抗して有権者の支持政党の変化を促し、(中略)この台湾主体論あるいは進歩的本土主義が民進党の政治路線に立て直しを迫り、正当性をもつ新市民的ナショナリズムを新たに形成していくに際して重要な思想的母体となったことを論じたい。(p329)』
『しかし、二〇〇〇年に民進党政権が成立した後には、少数与党という制約と、社会運動を政治運動の延長あるいは付属物とみなす思考の影響で、双方の連携関係は次第に崩壊し、社会運動の役割も盟友から「監視者」へと変化した。ただし、社会運動と民進党の同盟関係の解体は、政治社会から独立した自主的な市民社会の誕生を意味しており、それはまさに民主主義の定着における必要条件のひとつである。(p333)』
『このように、民進党のイデオロギーが「再進歩化」していく過程において、台湾市民社会は、政治社会で最も主要なイデオロギーのひとつである市民的ナショナリズムにかかわる言説の再構築を進めることを促し、あるいは迫り、進歩性と包括性をより高めながら政治的統合力をさらに強化する方向へ転化させたと見ることができる。(p358)』
この後に収められた魅力的な論考「黒潮論」では、民進党の路線をこのように「左寄り」(究極的には反資本主義の性格を持つもの)に大きく転換させた台湾社会運動(「市民的ナショナリズム」)の方向性が、この社会の(少なくとも百年近くにわたる)歴史に深く根付いたものであることが強調されている。
それは、近年においては次のような経緯を辿ったという。
『さらに重要なのは、李登輝、許信良、陳水扁のいずれもが、新自由主義のロジックを利用して台湾ナショナリズムの階級的基盤を再構築し、資本と新興の国民国家台湾を結合させようとしたことである。この点において、台湾ナショナリズムの社会的基盤は、この時期に明確に右寄りに移動したといえるのである。(p402~403)』
『二〇一四年に勃発した「三・一八反サービス貿易協定運動」は、台湾における国民国家形成がようやく成熟段階に到達したこと、さらには台湾の国民国家体制の内に左翼(階級)政治の新しい波が出現したこと(あるいは台湾ナショナリズムの社会的基盤が左寄りに移動したこと)を予感させるものである。(p392~393)』
『八十年間にわたる抑圧と封じ込めと歴史的曲折を経て、黒色という台湾本土における反権力の象徴は、二〇〇八年の野イチゴ学生運動において再び出現し、その後数年のあいだに、資本、帝国、国家暴力に抵抗し、民主と自決を求める台湾市民社会のシンボルカラーのひとつとなった。(p412)』
これ以上の詳しい説明は、ぜひ本書を読んでもらいたいのだが、特に一点だけ、書いておきたい事がある。
それは、著者の「市民的ナショナリズム」という用語に関してだ。上記の文章から分かるように、著者の考えの基盤となっているのは、ネーション、つまり「民族」ということである。彼が描くのは、台湾の市民社会という、一個のネーション、民族がいかに支配と暴力に抗って生き抜いてきたかということだ。
著者はエルネスト・ルナンの「民族とは、日々の人民投票である」という言葉を援用している。つまり、ここでいう「民族」とは、血統やエスニシティによる制限とは無縁な、「開かれた」共同性である。だが、それがあえて「ネーション」と呼ばれねばならないのは、そこに生きる人々の集団的な生の存在が賭けられているからだろう。
このことは、清帝国にはじまり、日帝や、(「反共」の名目の下に圧政を行った)国民党政権とその背後にあった米・日、そして中国ばかりではなく、国連によっても、その存在を否定され、あるいは支配され、暴力にさらされて、生存の危機に瀕してきた台湾の民衆の歴史を考えた時に、はじめてその必然性が理解できるのだと思う。
その歴史(と現在)を背景として紡ぎ出される著者の思想において、「民族(ネーション)」の概念は、無限に開かれてゆく性格を持っていると思われる。だが、考えてみれば、「民族」という語は本来、それが被抑圧者によって言われる場合には、そうした開放性を言外に含んでいるものではないだろうか?それが、閉ざされた、排他的な相貌を帯びるのは、抑圧する側の視線が、その開放性を、無視し消去しようとすることによってであるに違いない。
日本の私たちが取り組むべきなのは、私たちに内在するこの抑圧者の思考から、自らを解き放つことであり、それが(台湾の民衆のような)抑圧される他者の生へと私たちの生を連帯させていく、ほとんど唯一の回路なのではないかと思う。それは、もっと端的に言えば、抑圧されたものとしての自分たちの生を、権力に抗って奪回するということである。
上記「黒潮論」の最後に、呉叡人は次のように書いている。
『もしも新たな国民国家台湾が解放を渇望する社会的意志を実現することができず、万が一にもこの意志をねじ曲げ、抑圧しようとするならば、必ずやまた黒潮の新たな波濤が生じ、既成の政治的形式と境界による制限を突き破り、再び解放を約束するような新たな形式と境界を求めることであろう。(p413)』