『(見えない)欲望へ向けて』

 

僕は、この本の存在も、著者(2006年に、まだ30代で亡くなっている)のことも、ごく最近知った。僕が読んだのは文庫本だが、単行本は2006年頃に出たようだ。90年代終わりから書かれたいくつかの文章からなっているのだが、率直に言っておそろしくハイブロウである。僕はほとんど理解できてないと思う。

今は、これだけ難しい文章が、思想誌(『現代思想』など)に載ったり、本として広く読まれたりということもあまりないのではないかと思う。そういう意味で隔世の感さえある。ところが「あとがき」を読むと、この本の全体が元々は学位請求論文として書かれたとあって、二度驚いた。

第5章で、E・M・フォースターについて論じられる。ここを読んでいて、あることを思った。それは、今では「PC」(ポリティカル・コレクトネス)という言葉は、「正義」を小うるさく主張することのように言われるが、元来は、むしろ逆だったのだ。そんなこともすっかり忘れられている(僕も忘れている)のだ。

次のように書いてある。

 

『ローティを参照することで、フォースターの小説からも、明確な政治理論が引き出せる。リベラリズムとはアイロニーをたえず生産する機械であり、文学的な多義性は、そのままリベラル・ポリティクスという、あらゆる偏狭な主義主張の上に立つポリティクスの直接的な言明となる。いいかえれば小説は、けっして明晰な政治的決断を下さず、あらゆる教義の強制から超然として、永遠の交渉という中性的/中立的無菌空間を保持することによって、政治的に正しいもの(ポリティカル・コレクト)になる。小説というブルジョワ的ジャンルを賛美するローティは、教養としての文学教育という文化制度を支えている暗黙の前提を、これみよがしに口にしているともいえる。さあ皆さん、文学は偏ったものの見かたはいけないんだと教えてくれますね・・・・。(p160~161)』

 

 

つまり、「PC」(政治的正しさ)というのは元来、「あらゆる偏狭な主義主張」を超然と見下ろし、絶対的な正義など存在しないとする、取り澄ましたような態度のことを指すものだったのだ。そうした態度(アイロニー)が、リベラリズムと呼ばれ、当時(90年代後半前後)流行しはじめていたクィア批評では、それは批判の対象となったのである。

ところが、本書の著者は、その最先鋭のクィア批評(ここではベルサーニ)をも、次のように切ってしまう。

 

 

『しかしフォースターを通じてみえてくることは、このようないわば単独的で自閉的な欲動の情念が、植民地の他者を性的に搾取することと矛盾しないばかりか、そのような他者をリベラルな個人の原型に据えることとも矛盾しないという事態だ。(中略)抑圧のメカニズムと歴史的な契機を退けることで、いつしか本質主義的な主体が呼び戻されているのだ。われわれが見ているのは、考えうるもっともラディカルなクィア批評が、本質主義を振り切るどころかそれに寄り添っていること、もっともリベラルな友愛から遠い単独者の思想が、しかし「個」を核としている点ではリベラリズムの正道とつながっているという事態である。(p181~182)』

 

 

いやー、これはすごい。この章の文章の全体が(そして、もちろん本書の全体が)すごくて、かっこいいのだが、そのかっこよさがよく出ている箇所だ。

まるで月影兵庫の「上段霞切り」のようにかっこいいのである。

『エリザベス・コステロ』

 

 

この本の原著の出版は、今から21年前の2003年。この邦訳書は19年前の2005年となっている。だが、今年書かれたものだと言われても違和感がない内容だ。自分の生きる時代を見とおす作者の力量に、あらためて驚かされる。

主人公は高齢の女性作家である。クッツエーの小説で女性を主人公にしたものとしては、僕が読んだことがあるものにはリアリズム手法の力作『鉄の時代』がある。

そちらのヒロインは、アパルトヘイト政権末期の南アフリカで内戦の混乱の中に投げ出される末期癌の高齢独居白人女性という何ともハードな設定だったが、本作の主人公エリザベス・コステロは、同じく高齢の白人単身(別れた夫たちとの間に子どもたちが居る)女性ながら、故国のオーストラリアを拠点として世界中を講演や授賞式のために旅して回っている有名作家という余裕のある境遇だ。

この主人公は作者の分身のようにも見えるし、批判者もしくは敵のようにも見える。そのことは、後年の作品で彼女が登場する『遅い男』になると、よりはっきりするだろう。ともかく、男性作家クッツエーは、女性作家コステロを単純な他者として描いているわけではないのである。

幾つかの章を紹介しよう。

 

 

「悪の問題」で扱われるのは、創作において、作家(表現者)はこの世界の絶対的な悪というものを探り出して表出することが許されるか否か、という問題である。コステロは、この問いには否定的だ。作者自身の魂が、そのような絶対的な悪には耐えられず、悪に呑み込まれてしまう、作家の魂は無傷では帰ってこれないと彼女は考える。ここで実例として挙げられているのは、実在の作家ポール・ウエストが書いたとされる小説の一節で、そこではナチスの死刑執行人による極めて「悪魔的」な振る舞いの描写が迫真的になされている。それを読んだコステロは、いやらしい(obscene)としか表現しようのない感覚に襲われる。

 

『“いやらしい!”そう叫びたかったが、誰にこのことばをぶつけるべきかわからないのでやめた。自分自身にか、ウエストにか、こんなことが起きるのを一部始終平然と眺めていた天使の監視団にか。こんなことはあってはならないから、“いやらしい”のだが、起きてしまったなら、人の正気を保つには、世界中のその手の場所でそうしているように、事を白日にさらすことなく、しっかりくるんで、こんりんざい地の奥に隠しておくべきだから、二重に“いやらしい”のである。(p127)』

 

 

このような事柄は、実際にあったことであり、あるいは人間と歴史にとっての真実と呼べるものであり、作家がそれを表現しなければ、その真実は伏せられたままになってしまうだろう。それでも、それは隠されておくべき事柄だと、コステロは考えるのだ(それが出来るのならば)。

その当否は、僕には判断しようがないのだが、ここには現在の世界に対する作者の危惧が表明されていると見ることができるだろう。

また、クッツエーにとっての「他者」が姿を現すのは、たとえばこの章の終わり近くの次のような一節だと思う。

 

『処刑後に彼らの体を洗う者もない。それは、遠い昔から女の仕事だ。地下室での活動に、女っ気はない。女子禁制。男子のみ。とはいえ、すべてが済んだのち、夜明けがばら色の指で東の空を染めるころ、女たちがやってくるのだろう。ブレヒトの戯曲から抜け出てきたような、あくなきドイツの清掃婦たちが仕事にとりかかり、汚れものの後片づけをし、壁を水洗いし、床をみがき、何から何まできれいにする。仕事が終わるころには、ゆうべ男の子たちがどんな遊びをしていたかなど、思いもよらぬ状態になっている。(p154)』

 

 

ここを読んで、クッツエーが最も似ている先輩作家はブレヒトかも知れないと思った。

また、「エロス」で考究されるのは、神と人間とのセックスはいかにして可能かという、一風変わったテーマだ。

 

『神は人に死を運命づけることで、自分たちより優位に立たせることになった。不死の神と死すべき人間の二者のうち、どちらがより切実に生き、より激しく感じているかといえば、それは人間のほうだ。だから、神々は人間のことが頭を離れない。人間なしにはやっていけず、ひっきりなしに人間を観察して餌食にする。だから、結局は、人間とのセックス禁止を宣言せず、どこで、どんな姿で、どれぐらいの頻度で、というルールを決めるにとどまったのだ。死の発明者は、セックス観光の発明者ともなった。人間の性的エクスタシーの中には、死への戦慄があり、その倒錯、その安らぎがある。飲みすぎた神々はそれについてえんえんと話をする―最初に経験した人間の相手は誰か、どんな感じだったか。あの真似のできない小さな震えが、神同士のセックス・レパートリーにもあれば、交わりにもピリッとした味わいが出るのに。ところが、その代償は彼らには大きすぎる。死、消滅。復活がなかったらどうなるんだろう?神々は考えて不安になる。(p162)』

 

 

ここでもやはり、テーマは非常に現代的なもの、現代における生と死といった事柄だと思える。

「門前にて」は、題名から想像されるようにカフカ作品の戯画のような不条理な状況(夢、あるいは死に際なのか?)に置かれたコステロが、超自然的ながら威厳に欠ける審判者(裁判官)たちから「おまえの生涯の信条を述べよ」と問い詰められる話だ。そう問われてコステロは、作家である自分は「目に見えざるものの秘書」であり、どんな信念とも信条とも無縁に、ただ自分が聞き取ったものを言葉にしてきただけだと主張する。これは、一切のイデオロギーの拒絶とも、あるいはロゴスの否定とも捉えられるだろう。だが、話の終盤になって、ある登場人物(ポーランドの清掃婦を思わせる女性)から、信じないという態度がとれるのは贅沢だと言われ、裁判官たちの前では何かを信じているという演出をする「情熱」を見せるだけで納得してもらえるのだと、アドバイスされる。

そう聞かされたコステロが、自分の幼少期の思い出、オーストラリアの干潟に生息するちっぽけな蛙たちのことを弁論する場面は、感動的である。

 

 

『なぜでしょう?なぜなら、本日みなさんの前に立つわたしは、作家ではなく、かつては子どもであったひとりの老女だからです。そういうわたしが、幼いころをすごしたダルガノン河の干潟と、そこに住む蛙の思い出を語っているのです。わたしの小指ほどしかない小さな蛙もおりました。あまりにちっぽけで、あなた方の高尚な関心事からはあまりに遠く、ふつうなら耳になさることもない生き物です。わたしの話につたない点が多々あるのはご勘弁いただくとして、蛙の生涯などと言うと、寓意的に聞こえるかもしれませんが、蛙にとってみれば、これは寓話でもなんでもなく、自身の生涯そのものなのです。唯一の。(p197)』

 

 

ここには、西洋にとっての「他者」が見出されているように感じるのは、僕だけだろうか。

『エリザベス・コステロ』

 

 

この本の原著の出版は、今から21年前の2003年。この邦訳書は19年前の2005年となっている。だが、今年書かれたものだと言われても違和感がない内容だ。自分の生きる時代を見とおす作者の力量に、あらためて驚かされる。

主人公は高齢の女性作家である。クッツエーの小説で女性を主人公にしたものとしては、僕が読んだことがあるものにはリアリズム手法の力作『鉄の時代』がある。

そちらのヒロインは、アパルトヘイト政権末期の南アフリカで内戦の混乱の中に投げ出される末期癌の高齢独居白人女性という何ともハードな設定だったが、本作の主人公エリザベス・コステロは、同じく高齢の白人単身(別れた夫たちとの間に子どもたちが居る)女性ながら、故国のオーストラリアを拠点として世界中を講演や授賞式のために旅して回っている有名作家という余裕のある境遇だ。

この主人公は作者の分身のようにも見えるし、批判者もしくは敵のようにも見える。そのことは、後年の作品で彼女が登場する『遅い男』になると、よりはっきりするだろう。ともかく、男性作家クッツエーは、女性作家コステロを単純な他者として描いているわけではないのである。

幾つかの章を紹介しよう。

 

 

「悪の問題」で扱われるのは、創作において、作家(表現者)はこの世界の絶対的な悪というものを探り出して表出することが許されるか否か、という問題である。コステロは、この問いには否定的だ。作者自身の魂が、そのような絶対的な悪には耐えられず、悪に呑み込まれてしまう、作家の魂は無傷では帰ってこれないと彼女は考える。ここで実例として挙げられているのは、実在の作家ポール・ウエストが書いたとされる小説の一節で、そこではナチスの死刑執行人による極めて「悪魔的」な振る舞いの描写が迫真的になされている。それを読んだコステロは、いやらしい(obscene)としか表現しようのない感覚に襲われる。

 

『“いやらしい!”そう叫びたかったが、誰にこのことばをぶつけるべきかわからないのでやめた。自分自身にか、ウエストにか、こんなことが起きるのを一部始終平然と眺めていた天使の監視団にか。こんなことはあってはならないから、“いやらしい”のだが、起きてしまったなら、人の正気を保つには、世界中のその手の場所でそうしているように、事を白日にさらすことなく、しっかりくるんで、こんりんざい地の奥に隠しておくべきだから、二重に“いやらしい”のである。(p127)』

 

 

このような事柄は、実際にあったことであり、あるいは人間と歴史にとっての真実と呼べるものであり、作家がそれを表現しなければ、その真実は伏せられたままになってしまうだろう。それでも、それは隠されておくべき事柄だと、コステロは考えるのだ(それが出来るのならば)。

その当否は、僕には判断しようがないのだが、ここには現在の世界に対する作者の危惧が表明されていると見ることができるだろう。

また、クッツエーにとっての「他者」が姿を現すのは、たとえばこの章の終わり近くの次のような一節だと思う。

 

『処刑後に彼らの体を洗う者もない。それは、遠い昔から女の仕事だ。地下室での活動に、女っ気はない。女子禁制。男子のみ。とはいえ、すべてが済んだのち、夜明けがばら色の指で東の空を染めるころ、女たちがやってくるのだろう。ブレヒトの戯曲から抜け出てきたような、あくなきドイツの清掃婦たちが仕事にとりかかり、汚れものの後片づけをし、壁を水洗いし、床をみがき、何から何まできれいにする。仕事が終わるころには、ゆうべ男の子たちがどんな遊びをしていたかなど、思いもよらぬ状態になっている。(p154)』

 

 

ここを読んで、クッツエーが最も似ている先輩作家はブレヒトかも知れないと思った。

また、「エロス」で考究されるのは、神と人間とのセックスはいかにして可能かという、一風変わったテーマだ。

 

『神は人に死を運命づけることで、自分たちより優位に立たせることになった。不死の神と死すべき人間の二者のうち、どちらがより切実に生き、より激しく感じているかといえば、それは人間のほうだ。だから、神々は人間のことが頭を離れない。人間なしにはやっていけず、ひっきりなしに人間を観察して餌食にする。だから、結局は、人間とのセックス禁止を宣言せず、どこで、どんな姿で、どれぐらいの頻度で、というルールを決めるにとどまったのだ。死の発明者は、セックス観光の発明者ともなった。人間の性的エクスタシーの中には、死への戦慄があり、その倒錯、その安らぎがある。飲みすぎた神々はそれについてえんえんと話をする―最初に経験した人間の相手は誰か、どんな感じだったか。あの真似のできない小さな震えが、神同士のセックス・レパートリーにもあれば、交わりにもピリッとした味わいが出るのに。ところが、その代償は彼らには大きすぎる。死、消滅。復活がなかったらどうなるんだろう?神々は考えて不安になる。(p162)』

 

 

ここでもやはり、テーマは非常に現代的なもの、現代における生と死といった事柄だと思える。

「門前にて」は、題名から想像されるようにカフカ作品の戯画のような不条理な状況(夢、あるいは死に際なのか?)に置かれたコステロが、超自然的ながら威厳に欠ける審判者(裁判官)たちから「おまえの生涯の信条を述べよ」と問い詰められる話だ。そう問われてコステロは、作家である自分は「目に見えざるものの秘書」であり、どんな信念とも信条とも無縁に、ただ自分が聞き取ったものを言葉にしてきただけだと主張する。これは、一切のイデオロギーの拒絶とも、あるいはロゴスの否定とも捉えられるだろう。だが、話の終盤になって、ある登場人物(ポーランドの清掃婦を思わせる女性)から、信じないという態度がとれるのは贅沢だと言われ、裁判官たちの前では何かを信じているという演出をする「情熱」を見せるだけで納得してもらえるのだと、アドバイスされる。

そう聞かされたコステロが、自分の幼少期の思い出、オーストラリアの干潟に生息するちっぽけな蛙たちのことを弁論する場面は、感動的である。

 

 

『なぜでしょう?なぜなら、本日みなさんの前に立つわたしは、作家ではなく、かつては子どもであったひとりの老女だからです。そういうわたしが、幼いころをすごしたダルガノン河の干潟と、そこに住む蛙の思い出を語っているのです。わたしの小指ほどしかない小さな蛙もおりました。あまりにちっぽけで、あなた方の高尚な関心事からはあまりに遠く、ふつうなら耳になさることもない生き物です。わたしの話につたない点が多々あるのはご勘弁いただくとして、蛙の生涯などと言うと、寓意的に聞こえるかもしれませんが、蛙にとってみれば、これは寓話でもなんでもなく、自身の生涯そのものなのです。唯一の。(p197)』

 

 

ここには、西洋にとっての「他者」が見出されているように感じるのは、僕だけだろうか。

『10代に届けたい5つの“授業”』

www.otsukishoten.co.jp

 

 

 この本は7人の書き手が、それぞれ深く関わる社会問題の分野に関して、10代の人たちを対象に語りかける内容。収められた文章はいずれも、ラディカルな問いかけを含んでいて、ハッとさせられる。

 例えば、障害者問題に関して、相模原事件を「自分ごと」として考えることを私たちに迫る野崎泰伸の文章。ここでは、障害児の中絶(選択的中絶)ということについて、次のように述べられている。現在では出生前診断によって生まれてくる子どもの障害のあるなしがわかるようになり、その結果、障害があると分かった胎児の中絶を選ぶ場合が極めて多い(約9割)。人々は、かつてのように国家の介入(強制)によってではなく、いわば「自由」意思によって、そういう優生学的な行動を選択しているのだ。

 では、なぜ障害のある子は中絶されるのか。一般には経済的理由ということが言われるが、十分に周知されていないとはいえ、それに関しては行政による支援制度も存在する。それでも、これほど圧倒的な選択の偏りが生じる理由について、野崎はこう書いている。

 

 

『障害児の中絶を考えてしまう最も大きな理由は、「この子が生きていても不幸になる」というものではないでしょうか。しかし、ダウン症の場合では、「毎日、幸せと思うか?」という質問に対し、7割の当事者本人が「はい」、2割が「ほとんどそう」と答えているアンケートの紹介が日本テレビのニュースでありました。こうしたこともよく知られずに、ただただ我が子の不幸を嘆いてしまうなら、それはとんだ勘ちがいなのではないでしょうか。たしかに、障害があれば不幸だと感じやすいとはいえるかもしれません。しかし、その多くは社会的なものであり、これもあとで述べますが、社会こそが障害者を不幸にしているのです。このことを棚に上げて障害があれば中絶をするという考え自体が、障害者に不寛容な社会であることをよく示しているのだと思います。(p158~159)』

 

 

 障害者を排除し、その生存さえ否定しているのは、不平等な価値観で充たされた社会を疑うことを忘れ、その価値観を内面化してしまった私たち自身ではないのか。相模原事件を自分ごととして考えるということの意味は、この問いかけであると言えるだろう。

 僕自身、自分がこうした選択を迫られる立場になった場合を想像すると、つい「難しい選択だ」という逃げ口上を口にしたくなるが、それは、この価値観を内面化し縛られている自分自身というものを直視したくないからだろう。つまり、差別的な社会に同化することで自分を縛り、他人を抑圧し、ときには他者の生存を否定しさえする「不寛容な」自分を認めたくないのだ。この、(「自由」という言葉の裏に隠された)本質的な不自由さへの否認の心理を、野崎の文章は暴いていると言える。

 では、不寛容・不平等な現行の社会を疑い、そこから離脱すること、あるいは変革するとはどういうことか。それを考えるひとつの手がかりとなるのは、野崎が語る、地域での生活を目指した1970年代初頭の障害者たちの闘いのあり様と、その底にあった思いだろう。

 

 

『それでもあえて、親元や施設を蹴飛ばしてでも街のなかという地域での生活を選んで暮らすのは、そこに自由があるからなのです。「くそまみれでも自由がある」というのは、わたしの尊敬する障害者の先達の言葉なのですが、何日か介助する人が来ずに、寝たままで糞便垂れ流し状態であったとしても、そこには自由がある、という意味です。裏を返せば、それぐらい親元や入所施設には自由がない、そこには「自分で選んで切り開いていく自由がない」ということなのです。(p164~165)』

 

 

 どれほどの困難があっても、とりわけ社会や家族との齟齬があったとしても、なお希求される(体制からの)自由(Free)。それは、言葉の上では「(新)自由」(いったい誰にとってのか?)を標榜する今の社会において、私たちが最も遠ざけられている価値ではないだろうか。

 論はここからさらに、現行の社会のあり方に対するラディカルな問いへと進んでいく。

 

 

『根本的には、「労働の対価として賃金を得る」ということを疑っていかなければ、何らかの理由で労働できない(したくない、働く場所がない、なども同じ問題を含みます)人たちは、生きていけないことになります。(p166)』

 

 

『優生思想に反対し、障害者の立場から、障害者のいのちをないがしろにする社会への批判は、もちろん障害者運動では重要な課題です。そのうえで、日常的な「できなさ」に対して、じっくりとつきあうこと、そして、そうしたことを許容する社会のありようを、障害者たちは求めていったのであると、わたしは考えます。「できないこと」は、不便や不幸につながったり、あるいは、すぐに「できるようになること」を求められたりしてしまいます。こうした社会のあり方は、「できない」当人のありようを否定し、さらには当人の存在そのものも否定してしまいます。障害者運動は、こうした「できなさ」をめぐる社会の不寛容と、いまだに闘っているのです。(p171~172)』

 

 

 障害者運動が問うたもの、そして今も闘い続けているものは、このような社会の(人の存在までも否定する)根本的な価値観であり構造であると、野崎は語るのだ。

 こうしたラディカルな視点や姿勢は、「不登校から学校の意味を考える」と題された山下耕平の文章にも、はっきり示されている。

 自身は不登校経験のなかった山下は、不登校をする子どもたちに出会った時の衝撃(そして、以降の取り組みにおける思い)を、次のように書いている(ここで、1970年代前半からこの行為を実践していた先駆者としての回想を挟んでおくと、その頃は「登校拒否」という立派な呼び名すらまだなく、「ずる休み」という、いっそう不穏な呼称を付されていたものだ。)。

 

 

『なんで、学校を休むとか、行かないとか、考えすらしなかったんだろう?それは、自分の足元がぐらぐら揺れる問いでしたし、自分だけではなく、この社会のあり方をぐらぐらと揺さぶるもののように思えました。(中略)「支援」というと、自分はだいじょうぶな側にいて、だいじょうぶじゃない側にいて、だいじょうぶじゃない人をだいじょうぶになるように支援するという構図になると思いますが、わたしは、自分の状況がだいじょうぶだとも、この社会がだいじょうぶだとも思えませんし、むしろ不登校から、一緒に学校のあり方とか、社会のあり方を考えていきたいと思ってやってきました。(p97~98)』

 

 

 そして、不登校という行為(あるいは非行為?)が提起する現行の社会への批判を、次のようなものとして読みとっている。

 

 

『むしろ、不登校を否定するまなざしの奥にある、人を評価選別するまなざしこそ、問い直す必要があるのではないでしょうか。(中略)今、子ども若者がなぜ苦しいのかと考えたときに、ひとつには、この「いる・ある」を受けとめる土壌がどんどん痩せてしまって、「する・できる」ことばかりが求められ、肥大化してしまっているという問題があるように思います。ただ存在していていいわけではなくて、がんばっていないと、自分の存在が認めてもらえない。(後略)(p114~115)』

 

 

 この言葉は、社会から周縁化され排除されている者の側から社会のあり方に光を当て直すものとして、上述の野崎の文章と共に、貴戸理恵の次のような文章とも重なっていると言えるだろう。

 

 

不登校の<その後>研究の課題は、不登校が一般的なキャリア形成のさまざまなリスクのひとつとされていく時代において、「不登校でもきちんと社会に出ていける」と主張するのではなく、「そもそも社会とつながるとは何か」と根本から問うていくことです。生きづらさや弱さを抱える人が、生きづらさや弱さを抱えたそのままで、他者や社会とどのようにつながれるだろうかと、問いつづけていきたいのです。(p143~144)』

 

 

 これらの言葉(野崎、山下、貴戸の、そしてこの本全体に流れている思想を表してもいる)が示唆しているのは、僕から見ると、存在よりも生産力を重視する考え方に対する批判ということだと思えるのだが、どうであろうか。生産力という発想には、存在や生存を忘れさせる魔力のようなものがあるのかもしれない。

  個々の人間の存在や生存を犠牲にし、それらを道具(手段)としてのみ扱ってでも生産を連続させようとする志向は、必ずしも資本主義社会特有のものではなく、家父長制システム全般を存続させてきた論理だとも考えられよう(そのことは、天皇制のもとに生きているわれわれには、とりわけ実感されるところだ。)。

 「ジェンダー」に関するパートとは、その点でも深くつながっていることになる。またもちろん、「貧困」や「動物と人との関係」というテーマともつながる。とりわけ、「畜産動物」や「実験動物」の存在は、個々の動物の生命ばかりでなく、「いのち」そのものの手段化、道具化という、われわれの社会の実像を照らし出す。そこから、遺伝子操作(ゲノム編集)のような人間の生存の手段化も自明なものと見なされる感覚が生まれているように思えるのである。

 

 

 ところで、この本の全体に見られる、もう一つの共通した観点は、社会において周縁化された存在の不可視な姿、そして声なき言葉に耳を傾けることの大切さということだろう。

 それに関して、「ジェンダー」に関するパートのなかで、松岡千紘は、フェミニズムの歴史について述べ、ある時期までの運動においては女性のなかの「特定の視点」のみが取り上げられる傾向があったと語っている。その視野から外れてしまった(例えば障害女性や、非白人女性といった)存在へ目を向け、耳を傾けるべきだという主張が(第三波フェミニズムにおける)「インターセクショナリティ」という考えの根底にはあったのだ、ということである。そして、こう書いている。

 

 

『この問題について考えるとき、わたしは、「真に変革的な運動はホームのなかでは起こりえない」という、シンガーであり活動家でもあるバーニス・ジョンソン・リーゴンの言葉を思い浮かべます。「ホーム」とは文字通り「家」のことであり、(現実がどうであるかはさておき)「安らぎの場」の比喩です。運動体を「ホーム」としておきたいという欲求にかられると、内部の矛盾や利害の対立を無視し、一部の人々―そのなかで最も抑圧の少ない人々―の利益を追求することにつながります。ですが、それらは「公正」という社会正義の実現とはほど遠いものです。立場のちがいを承認し、内部からの批判にも開かれた運動は、居心地のよいものではないかもしれません。ですが、個々人がその居心地の悪さを引き受けることこそが、真に変革的な運動につながるのだと思います。(p20~21)』

 

 

 示唆に富む文章だと思う。

 ところで、僕が思い浮かべる、声なき他者の範型は、死者である(これは、人によって違うだろう)。僕が思うに、死者とは、「過去においてのみ存在する者」だ。死者は存在するのだが、それは現在においてではない。だから、時間のなかに生きている私たちに、決してその声が聞こえることはなく、姿が見えることもない(また、死者とは、究極の「できない」存在であるかもしれない)。だが、その者は存在している。絶対に現前しえない他者として。死者を現前する者のように語る制度宗教や神秘主義は、むしろこの死者の他者性の抑圧なのかもしれない。そして、抑圧された者は必ず回帰する、すなわち歴史の中のわれわれを規定するのだ。

『抵抗への参加』

www.koyoshobo.co.jp

この本は、すごく大事なことが書いてあると思った。

僕から見て、ポイントになるのは「解離」という言葉だ。著者は、家父長制の構造をとっているわれわれの社会では、人間は成長の早い段階でそのシステムへの参入を強制されることになり、そこから苦悩と抵抗、そしてシステムに参入しつつも自分として生きていく為の手段を身に付ける、ということが生じる。この手段というのが、自分の意識や思考を、自分の身体と経験から切り離すということ、つまり「解離」である。

著者が「解離」の分かりやすい例としてあげているのは、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』の中で或る登場人物が口にする「あなたの言っていることを信じたら、私は夫と暮らしていけなくなるわ」という言葉である。この人物は、夫が妹に性暴力を振るっていることを妹に打ち明けられるのだが、夫婦生活(それに安住したい自分の心理)を守るために、その事実を「信じないふり」を自分自身に対しても装うことを選ぶのである。これが「解離」であり、家父長制社会を、そして(著者の言う)民主主義を否定する社会構造を支えている核心的なメカニズムだということになる。

 

 

『(前略)起こったことを信じないこと、知らないことが、抑圧を要求する文化に参加するためには必要なのだ。(p130)』

 

 

「解離」がもたらすのは、人間が本来持っている関係性を希求し不可欠とするような生き方から、われわれの生存が遮断されてしまうという事態である。この遮断によって、階層構造にもとづく非民主主義的な社会の構築が可能になる。

 

 

『階層構造を確立するためには、その妨げとなるつながりを解離によって断ち切らなければならない。相互理解は構造的には水平であり、本来的には民主主義的だ。この水平構造から、上位と下位、善と悪といったさまざまな分断をともなう垂直構造へ転換することが不可欠なのである。もし相互理解の能力、すなわち共感し、相手のこころを察し、協働する能力が生得的なものであるならば、それは破壊するか、少なくとも周縁に追いやる必要があるということだ。これが家父長制による通過儀礼の仕事であり、これが効果的に行われることで、人間本性とは異なる要素を精神に植えつけることができる。(p82~83)』

 

 

重要なのは、こうした家父長制への「通過儀礼」が強要され、「解離」が余儀なくされる時点には、男女で大きな違いがあるということだ。男の子の場合、それは幼児期に到来するが、女の子にそれがやってくるのは思春期になってからだ(この違いは、社会システムに由来するものなのであろう)。それゆえに、(一般的には)家父長制への強制に対する葛藤と抵抗は女性の心の歴史の方に、より大きな痕跡を残すことになる。男の子は、まだ自己が形成されていない段階で家父長制の仕組みに飲みこまれてしまう(「ヒーロー=男らしさ」への同化など)が、女性は自己がある程度形成された段階で、この強制の圧力に直面することになるからである。そこには、男性に比べてより強烈な抵抗と、深い苦悩や屈折が生じてくる。

この、家父長制システムへの参入を強いられる時期の男女間における違いが、関係性を重視する人間本来の(非解離的な)あり方への志向(「ケアの倫理」)が、フェミニズムと特に関連づけられる理由なのだ。

 

 

フェミニストのケアの倫理は、わたしたちの人間性をかたちづくる能力を育み、その能力をおびやかす慣習に対して警鐘をならしてくれる。わたしは「家父長制」という言葉を、男を女からだけでなく男からも引き離し、女を善と悪とに分けるような態度や価値観、道徳規範や制度を表すのに用いてきた。心理学者としての経験から、わたしは家父長制を心の断片化、すなわちトラウマと結びつけてきた。人間の特性が男らしさと女らしさに分断されているかぎり、わたしたちはお互いに疎外しあうだけでなく、自分自身からも疎外されてしまう。わたしたちの共通の願望である愛と自由は、これからもわたしたちから逃れ続けるだろう。(p217~218)』

 

 

つまり、著者の思想は、男性と女性との間に本質主義的な違いがあることを前提にするものではない。そうした違いをもたらすのは、ひとり家父長制システムのみであって、それを解体し、「男らしさ」「女らしさ」へと分断されない人間本来のあり方(関係性、ケア重視の生存)を回復するための絶対条件だということになる。

 

 

『家父長制的な枠組みのなかでは、ケアは女らしさの倫理である。民主主義的な枠組みのなかでは、ケアは人間の倫理である。(p27)』

 

 

以上のような著者の思想は、現実の社会を支える核心的なメカニズムとして「解離」の仕組みを提示している点で、僕には特に重要なものだと思える。

著者は、家父長制システムの強制に直面した思春期の少女たちの様子や言動を観察しながら、「解離」がどのように生じてくるのかを見極め、詳述している。その記述が、本書の最大の魅力だともいえるだろう(解離からの回復の様子の、ドラマティックな記述と共に)。

本当は「知っていること」「経験していること」を、「知らないこと」であると、最終的には自分自身に対しても装うことで、人はこの社会に参入し適合していく。思春期の少女たちは、その過酷な現場を生きているが、それは実は、私たちすべての内面で常に生じている葛藤でもある。

 

 

スウェーデンのジャーナリスト、〔スヴェン・〕リンドクヴィストが言うように、「わたしたちに欠けているのは、知っていることを理解し、結論を導き出す勇気だ」。抵抗のための土台は、わたしたちのなかにある。(p219)』

 

 

ただ、本書を読んでいて気になったのは、関係性への希求を人間本来の(非解離的な)傾向として重視する著者の思想には、それが生物学的な知見と結びつくと、別種の本質主義、関係性を絶対視するような排他的な考え方に陥る危険もあるのではないか、ということだった。例えば、次のような箇所がある。

 

 

『進化は、共感、相手の心を察する力、協働という、相互理性をうながす特性を選択したのだ。人間にとって核心的でほとんど人間を定義するようなこれらの主要な特性を欠いたこどもたちは、自閉症と呼ばれる壊滅的な発達障害のなかに見ることができる。(中略)わたしたちの遺伝子に組み込まれているのは、核家族や母親による排他的なケアではなく、相互理解や拡大家族に向かう能力なのだ。(p64)』

 

 

相互依存の重視や、「家族」の拡大(非血縁的なものを含むのであろう)という志向は良い。言い換えれば、普遍的なものとしてケアの倫理を強調する著者の議論には同意する。だが、「関係性」は、それほど生存にとって絶対の前提だろうか?

非常に分かりやすく書かれていて感心させられるフロイト精神分析の歴史に関する章のなかでは、女性たちのヒステリー症状に着目することで「トラウマ」の真実、つまりは解離に抵抗する生存のあり様の真実に肉薄していた初期のフロイトが、やがてエディプス・コンプレックスの理論を構築することで自らこの発見を抑圧し、家父長制的な知と社会の体系の執行者へと変質していったことが批判されるのだが、こうした「初期フロイト」の称揚は、「初期マルクス」への称揚に似ているのではないかと思った。どちらも、疎外論(失われた本質の回復)に陥るおそれがあると思うのだ。

どちらにおいても、「関係性」に重きが置かれている(広松哲学を想起されたい)。今日の社会において、そのことの意義はどれほど強調しても足りないだろうが、しかしそれは、生存よりも常に重いだろうか、あるいは生存や自由を賭けた「抵抗」よりも?

『素足の娘』

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佐多稲子『素足の娘』。

想像以上に強力な小説だった。

自伝的作品とされているが、そのことをまったく抜きにしても、戦前の日本(1940年発表・出版)において、性暴力をテーマとしてこれほどの作品が書かれていたことには、驚くほかない。

同時に、サルトルヴァージニア・ウルフの小説と同じく「大戦間期」の作品としての、時代的な刻印を帯びていることも確かだろう(最も核心となる場面に書きこまれた、恐らく検閲による「削除」の文字は、行使された暴力の複層性をまざまざと刻んでいるとも言えよう)。

ここで描かれた「男性」による支配や暴力のあり方は、暗に、戦争に向かう国家の(ドメスティックな)暴力と二重映しにされている。そのとき、単純な「加害・被害」の枠組みを越えて、「人を暴力へと差し向ける力」あるいは「暴力を国家の利益に回収する力」といった事柄についても、問いが生じてくる。この作品は、そのようにも読まれるべきだと思う(作家の戦争協力についても、当然ここで思い起こさざるをえない)。

また、佐多文学の最大の魅力は、常軌を逸するほどに繊細・鋭利な心理描写であり、この作品でもそれは遺憾なく発揮されているが、緊張のとりわけ高まる幾つかの箇所では、その筆は「分析」の域を越えて、それ以前の領域に遭遇してしまっている感すらある。一言でいえば、実存的だ。

題名の由来は、主人公の少女が、足袋も履かず野山や港町の街路をしきりに歩き回っていることだが、それは、主人公の「自由」や「野生」のメタファである。

常軌を逸した分析力は、男性たちや家族や世間(それに恐らく国家)による支配や抑圧から脱しようとする思いの表れだが、その分析する理性の力自体も桎梏になり得るとすれば、自由を求める野生の歩みは、ここではその限界さえも突き破っている。性暴力と国家による暴力のみでなく、理性の暴力もまた、ここでは抵抗の対象とされるのである。

 

 

『私は私の身体のこまかく慄えるのを、対手に気づかれるのが厭だったけれど、どうしても、慄えはとまらなかった。(以下四行削除)

 私には、何の感心もなかった。ただ私には抵抗するなど思いも及ばぬような失われた意志があるばかりだった。感覚的には嫌悪の戦慄が身内を走っていた。 

 彼はもう、私に言葉などかけなかった。(以下四行削除)

                             (p105~106)』

 

 

『私たちは素足になって、浅瀬を選って川を渡り始めた。水は私たちの足に打っかって小さい波を立てた。早い流れを横切る時、私は自分の身体が斜めになるような錯覚を起した。川瀬はもう手を引いてやろう、とは言わなかった。川瀬の白い脚に、黒い毛の見えるのを、私はちらりと見た。妙に男のほっそりした足は私に美しかった。足の裏に、砂と小石の水底を踏みしめながら、私は真裸になって水を浴びたい欲求を感じた。(p107~108)』

 

 

『私はあの時の、ぽかんとした自分の気持をときどき考えることがあった。あんなに取り澄ますことも知っていたし、人の軽蔑を感じることも出来た私だったのに、何故、あの瞬間は、何かに射竦(いすく)められたように、全感情がぽかんとしてしまったのであろう。あの山のしーんとした空気が私を魅了してしまったのであろうか。川瀬と二人きりでいるということが、私を不思議な雰囲気に縛りつけたのであろうか。そしてあの時の川瀬のくるくるっと変ったあの表情が私を射すくめたのであろうか。何故私は逃げ出しては悪いだろうなと思ったのであろうか。(p126)』

 

 

『川瀬がひとりだと知った時から、すでに私の心はもうそのことだけに傾いていたものだったかも知れない。

 機会の陥穽というものは、思いがけないほどの強い力を持っているものなのであろう。私は、目前の雰囲気の中に、もっと、もっと、深入りしたい欲望をふつふつと感じた。川瀬の奥さんが帰ってきたら、ということは私の慄える胸にもあったけれど、それに対する罪悪の意識などは何にも働きはしなかった。

 何かを待っている。その戦くような感覚だけになった。私はそういうものを全部、川瀬の前にさらけ出していた。私は自分の、ごくっ、と唾をのみ込む音を聞いた。その音は川瀬にも聞えるだろう、と思った。聞えても構わない、と思うのだった。私の足の平はじっとりと汗ばんでいた。(p171~172)』

『近代朝鮮文学と民衆』

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珍しく、出版されたばかりの本についての記事です。

書名の「近代朝鮮文学」とあるが、1919年の三・一運動から1945の日本の植民地支配からの解放に至るまでの時期に、朝鮮人によって書かれた(主に朝鮮語の)文学作品が論じられている。

「日本近代文学」という言い方をよくするが、「近代朝鮮文学」と「日本近代文学」とは、ずいぶんかけ離れた言葉だと思う。前者が近代というグローバルな枠組みのなかに置かれた朝鮮文学を考えようとしているのに対して、「日本」が語頭に来る後者の印象は、帝国主義国家のどこか偉ぶった感じがあるという、語順から来る印象の差異もあるが、その根底にあるのは、他ならぬ朝鮮を植民地支配することで成し遂げられた日本の「近代」と、その日本の支配に苦しみ抗いながら希求され、もしくは希求された朝鮮の「近代」との、同じ概念でありながら気の遠くなるような内実の隔たりだといえよう。その距離の大きさを思うと、茫然となる。

では、その近代朝鮮文学に描かれた、あるいは描かれようとした植民地時代期の民衆の姿は、どのようなものだったか。民衆を理解し、表象し、あるいは働きかけようとした朝鮮の文学者(知識人、表現者、運動家でもあった)と、対象とされた現実の民衆との関係性はいかなるものでありえたか。本書の著者の大きな関心は、そこにあるといえる。

 

 

本書は著者の博士論文をもとに、それを日本語に訳し、また大幅に修正を加えたものであるという。文学テキストそのものや、資料情報についての、きわめて綿密な読みこみが全体の眼目であることは確かだ。とはいえ、僕が興味深く思うのは、植民地時代の作品について論じられたこれらの(所収の)文章のなかに、現在のこの社会に対する著者の視線が感じられるところだ。

たとえば、「感覚」を重視することで、正統的な「プロ文学」(プロレタリア文学)が取り逃した現実の「民衆」に接近し、あるいはそこに介入することで展望を切り拓こうとした朝鮮人文学者たちについての、以下のような文章。

 

 

『既存の関係の延長でも、党に指導されるのでもない、別の形式で民衆と出会う為の模索としてプロ文学批評を読むことが求められるのだ。このような読みのためには、プロ文学が既存の「思想」では見えない、つまり感覚が変化することをもってようやく見えるようになる民衆を提示しようと模索したということを確認しなければならない。(p78)』

 

 

『林和にとって芸術の歴史的成就と大衆化は、最後までともにあるべきものだった。(中略)大衆化とは、民衆がもつ既存の感情の延長線上にあるものではなく、民衆の感覚的土台自体が変化することで可能になるものだからだ。林和は芸術を通して民衆の感情自体に介入し、芸術の歴史的成就を得ようとするのだ。(中略)大衆化とは李光洙歴史小説を読む大衆と出会うことに留まるのではなく、いまだ見えてはいないが確実に存在する民衆と新しい関係をもつことなのだ。(p116~117)』

 

 

啓蒙的な態度によっては出会うことのできない「民衆」に関わっていく為に、作家(知識人)自身の感覚の改変が要請される。また、そうしてこそ、「民衆の感覚的土台自体」の変化という、芸術の目指すべき目標も成就されるという議論がなされていたのだ。これらの思想は、現在に通じるものだと思う。

さらに、作家蔡萬植の作品について、こう書かれる。

 

 

日中戦争以前、蔡萬植の描きだした民衆は政治的目標や当為をもたず、ただ負債返済に追われている。蔡萬植小説の登場人物たちは負債返済を通してのみ、つまりそれを達成することの先にのみ、未来の想像が可能になる。主体的な生き方はこの経路しかないのだ。プロ文学は到来する肯定的な未来を想像しようとしたが、蔡萬植の登場人物たちは負債ゆえにそのような未来を見ることができない。負債は債務者たちの未来に対する想像力を統制する。換言すると蔡萬植はプロ文学が展望した革命という明るい未来とは全く異なる、負債返済を経由するしかない未来を想像したのだ。それはプロ文学が見ることのできなかった民衆の心性を描きだすことである。(p88)』

 

 

『蔡萬植はプロ文学のように前衛の目をもって小説を構成したわけではない。また労働者そのものを描いたわけでもない。むしろかれは植民地朝鮮で労働者が存立しえない条件を生きる民衆を、単に受動的存在ではない形で、その意識と存在の様式を描いたのだ。しかしそれは、負債によって現在とは異なる生を想像することを徹底的に禁じる、つまり自らの力すら卑下する民衆である。(p101~102)』

 

 

こうした、芸術的・運動的な(相互)関与の対象としての「民衆」を捉える為の苦闘というテーマも、間違いなく現在の社会とも重ねて考えられていると思うのだが、関東大震災による瓦解と虐殺、そして「復興」(再秩序化)の暴力について書かれた以下の文章では、その重なりがさらに鮮明になっていると言えるだろう。

 

 

『日本人の不安は朝鮮人を殺すことを正当化するほど高まった。「復興」はこのような秩序崩壊の不安を「克服」し、それを「過去」にすることでようやく可能になる。(p153)』

 

 

『ここまで論じてきたように、東京を舞台とした朝鮮文学が描きだした民衆にとっての新しい課題は、レイシズムを内面化した日本民衆のなかで生きていくことであると確認できる。これは序章で論じたようにレイシズムを含みつつ移民を産出する資本主義・帝国主義の下における民衆の姿だ。(中略)日本人にとってヒエラルキーが再び打ちたてられた不安から解放されるということは、他方で朝鮮人にとって再び虐殺されうるという意味の不安を呼びおこすのだ。換言すると日本人にとって不安を解消してくれる「復興」が、朝鮮人にとっては不安の源泉なのだ。(p156~157)』

 

 

『民衆の力を抑える秩序と「復興」には、民衆に対する不信と蔑視が根底にある。廉想渉が民衆によって秩序が途切れる情景を描きつづけたのは、ともすれば現在とは異なる民衆像を探しだそうとしたからであろう。それゆえ日本民衆についても、朝鮮人虐殺を通して秩序を回復させるのとは異なる現れ方を求めたのだ。

 日本における朝鮮民衆の生活を考えるさいに、日本民衆という要素を除外することはできない。きわめて否定的な形である虐殺の遂行者という形態をとったり、それを「過ぎ去ったこと」として蓋をしたりする日本民衆とは異なり、そのようなヒエラルキーに合流しない日本民衆を描くことは、朝鮮民衆の暮らしを肯定するために必要なことであった。卞チャンギルは「復興」の上で条件闘争をするのではなく、絶対的平等性への関係形成を試みているのだ。(p170~171)』

 

 

「絶対的平等性への関係形成」は本書の重要テーマである。日本人と朝鮮人のみならず、それは知識人と民衆、運動家と大衆の間でも、永続的に試みられなければならない課題だろう。そのために必要不可欠なのは、国家や制度に基づく強固な鎧から自分を解き放って他人の前に立とうする態度だろうが、「日本民衆」は概ねそれを忌避し続けてきた。

 

 

第四章の「動員される民衆」では、「転向」して日本帝国の動員政策に合致する作品を書くようになった李箕永という作家の、その時期の作品について考究されている。

まず著者は、この作家の「転向」(日本の国策・戦争への協力)という行為を、いったん政治的な善し悪しの問題としては括弧に入れた上で、そこに次のような意味を見いだす。

 

 

『李箕永の転向は、かれがプロ文学において示したプロレタリアートブルジョワジーという敵対性から、さらに多くの民衆の力を生かすことができる別の敵対性へと移行することとして読み解くことができる。それはプロレタリアートブルジョワジーの敵対性よりも現実に立脚すると判断される新しい敵対性を構築することによって、民衆との関係を再編成することなのだ。李箕永の転向は図式的に言えば、敵対の構図を、階級の敵対性から日本が遂行する戦争の敵対性へと移動させることだった。(p209)』

 

 

『動員は、積極的に参与する市民たちの民主主義では絶対に表象されえないような民衆を表象の舞台に引きあげることを可能にする。動員を通して見えるのは、参与しようとする市民たちの民主主義よりも数的にはるかに多い人口を対象にして民衆を描きだすことなのだ。(p210)』

 

 

『一九四〇年代初の文学を推動した力は、まさしく多数の民衆を言説的に形成しようとした試みであったと言える。動員はこれまで論じてきたどの試みにおいても対象になりえなかった民衆と出会おうとする文学的な民衆に対する呼びかけだ。(p212)』

 

 

 

李箕永のこうした態度は、転向以前の社会主義的な傾向(プロ文学)とつながるものとしても論じられているが、僕はむしろ、ここでいう「動員」される民衆は、「扇動される」民衆と重なるものでもあるのでは、と思った。それは、圧倒的多数を占めながら、民主主義によっても、運動によっても、プロ文学(及びその他の文学)によってもアプローチしえないような存在としてある。

そうした、いわば接近不可能な「民衆」への接近の試みとして、著者は、この時期の李箕永の作品のなかに元来は積極的な意図が含まれていたことを掬いだそうとする。

だが実際には、その作品に描かれた民衆の姿は、現実の朝鮮の民衆のあり方とは無縁な、理想化された虚像でしかなかった。そのことを著者は、外村大『朝鮮人強制連行』の記述なども参照しながら、克明に暴き出し批判していく。

 

 

『むしろこのような言説的な平等性と同質性の強調は、実際の状況を見えなくさせる。民衆なき民衆の形成はこのように登場する。このように現れる民衆なきままに描かれる民衆は、理想的な民衆像を提示すると同時に、理想的ではない実際の民衆はイデオロギー下にあるものとして扱う。理想的民衆像を提示することは「あるべき姿」を頂点にヒエラルキーを作りだすものなのだ。理想的民衆の姿のみを描くことは、認識主体と認識対象が相互的に影響を与える平等な関係を成立させるという方向性が存在しないことを意味する。(p240)』

 

 

したがって、次のように結論される。

 

 

『その安定的構図の反復を通して、李箕永は植民地朝鮮における朝鮮文学の諸表現において「人口数」的に最も多くの民衆を表象することに成功したと言えるが、その方法は認識主体と認識対象の相互的な出会いとして民衆を描く場から遠ざかるやり方を通してであった。敵対性を絶えず変化させることができるならば、認識主体である作家もまた民衆の力によって変化することのできる可能性をもつ。しかし植民地期の李箕永が到達した場所は互いの関係を固定化することをもって変化の可能性を塞ぐ地点であった。(p248)』

 

 

認識主体(作家)が自ら変容することを放棄した、啓蒙的・操作的(マーケティング的と言ってもいいか?)な姿勢の産物であることが、李箕永の動員文学の実態だった。つまり、まさしく日本帝国の政策を文学の形で遂行することになってしまったのである。

これはしかし、現在の私たちも、常に起こしうる過ちではないだろうか。平等的な関係性を投げ捨てた他者との関わりにおいて、私たちは日々、悪しき「国策」に加担していないか?

本書の問いの射程は、そういうところにも届くものだと思う。