定時制高校の現実

これも木曜の夜の番組だが、NHKの『ドキュメントにっぽんの現場』で横浜の定時制高校をとりあげてたけど、胸の詰まるような思いで見た。
こういう現状について、いろいろなことを考えさせられた。


最近、経済的な事情などから私立の高校に進学できず、昼間は働きながら、夜間の学校に通う高校生たちが増えているそうである。とりあげられていた学校でも、志願者が急増して、この数年で定員を倍に増やしたという。
そこに通う何人かの姿が、きめの細かい取材で描かれていた。


もっとも驚いたのは、この学校に働きながら通っている生徒たちの将来が、ほとんど保障されたものではないということである。このことは、学んでいる人たちにとっても、教えている人たちにとっても、重い無力さを覚えさせずにおかないものだろう。
卒業生のほとんどは進学でなく、社会に出て行くのだが、定時制の高校には、昼間の高校の十分の一ほどの求人募集しかこない。また、それらの賃金もたいへん低く(14、5万というのが、ざらにあるようだった)就職すると、いま(在学中に)働いているアルバイトの給与よりも低い収入になってしまう子もいるとのこと。
そういう事情だから、卒業しても現状よりよい道、希望にあふれた将来が開かれているということではない。卒業して就職しても現状より生活が悪くなるのなら、こうして勉学することにどんな意味を見出せばいいのか。
この点は多分、「社会は昔の方がひどかった」と口癖のようにいう人たちが分かっていない現実である。


また、進学を希望するといっても、そもそも昼間の高校(とくに私立)に行く費用がなかったから定時制に通っている*1子どもたちに、大学や専門学校にいく道など容易に開かれているはずがない。
ある女子生徒は、コンビニでヘルニア寸前になるまで長時間働き続けて100万円の進学費用を貯めていた。
番組でとり上げられた数人の生徒たちは、最後には、就職先や進学先が決まって、どうにか明るさの兆しが見えていたが、客観的な状況は、非常に厳しいのだ。
求人もまともな条件のものはほとんど来ないという現状をどう思うかと聞かれた一人の男子学生が吐き捨てるように言った、「これが定時制ということなんだな、と思う」という意味の自嘲的な言葉が、耳に突き刺さる思いだった。
この社会のなかでの「定時制」の位置づけ、見られ方、扱われ方、という意味だろう。
こういう言葉は、誰に向けて発せられたものでもないのだが、自分を大人と思っている者なら誰でも、子どもたちや若者にこうした言葉を口にさせていることの責任を、自分のこととして辛く感じわけにはいかないだろう。


こうした現状が伝えられるとき、「個人の努力の問題だ」とか「昔はもっと苛酷だったのだ」という反論が、必ず出てくるが、そういう意見は肝心な問題と向き合うことから逃げたいがために出てくるものだと思う。
それは、この社会の現状を変えていく必要性(大人たちの責務)ということである。


経済的に困窮している家庭が増え、全日制の高校に行けず、定時制に通う若者が増えている。
この人たちが働きながら学んで卒業しても、社会では労働力としてきわめて低い扱いしか受けられず、貧困から抜け出すことは、きっとすごく難しいだろう。
こういう社会の現状が、人間に対する「差別」でなくて、なんなのかと思う。


かつて人は、何らかの属性を理由に差別を受け、社会から排除されることがあったが、今では差別や排除は、社会そのものの本質になっている。人間の能力や条件による差異を、生存の価値の高低を定めるもののように考えてしまうということ、そうした価値観が当たり前のように社会全体を覆い、人々の内面を蝕んでいる。
差別や排除は、社会の仕組みの中で、その内部で自然なこととして行われる。
もちろん今でも属性による差別はあるが、社会にとって、産業や経済効率のために人の存在を軽視する「差別」的な価値観が、もっと本質的な、もっと当たり前の原理のようになってしまったために、われわれはそれに抗議したり、疑問を持つことさえ出来なくなりつつあるかのようなのだ。
むしろ、社会の基本的なあり方自体がこのように差別を内在させてしまったことが、この社会から(属性によるような)旧来の差別が決して無くならず、余計に根深くなっていることの理由ではないか。



そうした社会のあり方を「差別的」だと言っても何も解決しないと、責任逃れのために人々は言う。
現実には、番組に出てきた生徒たちのように、ひとりひとりの若者は、現実の苛酷さを否応なく引き受けて、それぞれの人生を生きている。
現実を「引き受けて」いないのは、この「苛酷さ」を軽減する努力から逃げ続ける欺瞞的な大人たちの方なのである。

*1:このあたりでは、(学費の安い)公立高校の学力を高めるための教育改革を主張する橋下知事の主張が、多くの庶民に支持されるのは仕方ないなあ、と思った。