無償化除外問題についてのパブコメなど

昨年の暮れ文部科学省は、高校授業料無償化を朝鮮学校に「適用しない」と発表しました。


現在の省令の内容に照らせば朝鮮学校を適用外とすることは明らかに不当なので、民主党政権下では、さまざまな理由をつけて適用を渋ってきたわけですが、自民党政権となるに及んで、なんと省令の内容そのものを明白に差別的なものに「改正」することにより、朝鮮学校の制度からの排除を「合法的」なものにしてしまおうという暴挙に出たのです。
旅人の足が寝台からはみ出してしまうなら、人の足の方を切り落としてしまえ、というわけでしょう。
下村文科大臣は、この適用除外の理由について、朝鮮総連との関係などを殊更のように口実として持ち出し、朝鮮学校のあり方が「教育は不当な支配に服しない」という教育基本法の規定に反するなどと言っているようですが、制度からの排除と朝鮮学校の存在の日本社会からの抹消という、あからさまな政治的支配の暴力を教育の場で行使しておきながら、よく言えたものだと思います。
http://mainichi.jp/feature/news/20121229ddm002010083000c.html


きっと下村氏や安倍政権の閣僚たちの頭の中は、教育を不当に支配したいという願望で一杯だから、自分たちにとって目障りで仕方がない人達のことも、そういう風にしか理解できないのでしょう。
このような現在の政権の言い分はもちろんですが、上の記事の中で、延坪島砲撃事件のような政治情勢を、適用を行わなかった理由のように述べている、民主党政権と官僚たちの欺瞞性も目を覆うしかないものです。
しかしまだしも、政治的理由(それは煎じ詰めれば、日本の国家と社会の差別性に根差しているとも言えますが)による不当な排除を、法や人権や制度の妥当性と折り合わせて取り繕うことに四苦八苦していた民主党政権とは異なり、現政権とその下にある文科省は、省令を改変することによって、高校授業料無償化というこの制度を、差別と排除に整合するものへと変えようとしています。
つまりは、事実上、差別のための法制度、アパルトヘイト的な法の仕組みを築こうとしているわけです。
これは、到底許されないことです。


そもそも自民党は、この高校無償化という制度自体を切り崩して、階層による教育の格差が固定されるような社会の形成を狙っていると思われますので、差別の法的な正当化を企図するような今回の振る舞いは、その先鞭をつけるものと見るべきかもしれません。こうした趨勢に反対していくためにも、今回の暴挙は批判されるべきでしょう。
しかし、たとえそうでなくても、過去も現在も植民地主義的な体質を変えず、差別を常態化させている日本社会のなかで、その歴史ゆえに苦しみを負わされ続けてきた、また現在一層そのさなかに投げ込まれていると言うべき朝鮮学校の子どもたちや関係者の人たちを、これ以上政治と社会の暴力の犠牲にするような行為は、決して許されないものだと考えます。


さて、朝鮮学校の適用除外を目的とするこの省令の「改正」に関して、文部科学省パブリックコメントを募集しています。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617&Mode=0


僕も、短いものですが、意見を書き送りましたので、下に転載します。


なお、僕が書いたものは余りにも短いので、他の方が書かれた大変立派な意見文(規定の字数に合わせて整理される前の原型の形)を、下に紹介しておきます。
http://blog.zaq.ne.jp/wattarigattari/article/412/


また、朝鮮学校「無償化」除外問題に関しての、Q&A方式での優れたまとめを、金明秀さんが作っておられます。詳しく問題の所在を知りたいと思われる方は、是非そちらも見てください。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1929030.html




では、僕が送った意見文を転載します。

改正案に反対します。


本制度は、元来就学する子ども本人を対象としたもので、学校を対象としたものではないのですから、外国人学校に関して、このように区分した上で制度から除外される学校を作るということは、不当なことであると思います。
そもそも現行制度において、(イ)、(ロ)の二つのみでは、現実に存在する外国人学校の全てを網羅できず、制度の普遍的な運用が行えないのが実情です。そこで、(ハ)の規定を設けることによって、それを補完しようという制度になっていると思われます。
もし(ハ)を削除するなら、この制度は、普遍的に教育の権利を保障するものとしては死んでしまい、教育の場における差別を正当化するようなものに変わってしまいます。
これは、勿論それ自体人権侵害であって、憲法にも、人権に関する国際的な条約・規約にも抵触する可能性が高いのみならず、日本の教育行政自体にとっても、取り返しのつかない誤りになるでしょう。


特に朝鮮学校に通う子ども達の場合、日本の学校に通う子ども達と差別のない対象として扱うということには、国内に定住する民族的マイノリティの教育の保障ということに加えて、日本の植民地支配とその継続の歴史に対する保障という面があります。
また、朝鮮学校をはじめとして、戦後の日本の教育行政が、国内の民族的マイノリティの教育に関して、極めて排除的・差別的であったという事実を誠実に認め、その改善を図るためにも、今回のようなあからさまな差別的な法改正は、絶対にしてはならないものだと思います。
このような誠実で普遍的・国際的な見地において教育の権利を個々人に保障していくことは、本制度の趣旨を考えても決して蔑ろにするべき事柄ではないし、また憲法の考え方にも沿うものであろうと思います。
これからの日本が、世界に対して恥ずかしくない教育制度のあり方を構築していこうとするなら、今回のような法改正は、決してなされてはならないものだと考えます。