「復興」よりも「回復」を

ちょうど年度終りにあたっていた31日には、ぼく個人としても、耳を疑うひどい決定・判決が相次いだ。


雇い止め:非常勤の再雇用を認めず 京大元職員の職業観に言及−−京都地裁
http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2011/04/01/20110401ddn012040044000c.html

宮城県朝鮮学校補助金打ち切り

http://skip.tbc-sendai.co.jp/01news_2/20110331_13396.htm



こういうニュースが相次ぐのを目にすると、今回の大災害と原発事故の以前に存在していたこの日本社会が、いかにでたらめで矛盾に満ちたものだったかを、あらためて思い出すことになる。
それは、ひとくちに言って、人間の存在をないがしろにする社会であり、端的にいえば差別的な社会ということだ。
もちろん、世界には、他にもっと差別的な社会もあるかもしれない。だが、ぼくたちが直接的に関わりと責任をもち、だからそれを変えていける可能性を持つのは、他ならぬこの日本社会だ。だから、「日本社会が差別的だ」という事実には、特別な重みがある。
それは、この事実が、ぼくたち一人一人の生に深く関わっているということだ。


ところが、いま政府や行政、マスメディアによって叫ばれている震災からの「復興」のスローガンは、明らかに、震災の前からあるこの社会の差別的な構造を正当なものとして固定化し、矛盾の存在に人々が気づいたり抗議の声を上げたりすることを封じてしまおうという意図の元に叫ばれているものだ。
元々あった不正義や矛盾は、震災による「被害」「傷」と意図的に混同されて、あるべきもの(正義)へと回復されるのではなく、「乗り越えられるべきもの」、正確にいえば「その存在が忘れられるべきもの」へと、意味合いを塗り替えられる。
「(復興のため)ひとつになろう」というスローガンが意味しているのは、震災以前の社会には不当な矛盾など無かったのだと考えよという恫喝的な命令であり、そう思い込むべきなのだという催眠のようなものである。


この恫喝・催眠は、人々を競争のなかでの孤立や、差別と暴力への志向、そして国家と資本の論理への同一化という状態のなかへと追い込んでいく。
震災以前においても、また震災の被害の結果においても、そこにあるべきであったもの、正義と「非差別」(東北や過疎地への冷遇、負担の押し付けの撤廃を含む)の回復への意志は、その意味を否定され、不正義と差別の継続と強化こそが、目指されるべき集団的目標として人々に強いられるのだ。


ぼくは、企業や行政などによる「雇い止め」とか不安定な雇用のあり方の非人間性が、責任の所在を「個人の生き方」という抽象的な判断材料に押し付けることによって、不問に付されてしまうような腐った社会に生きることが嫌である。
有権者の差別心を満足させるために、その都度機会原因的に理由をとってつけては「無償化」の対象から朝鮮学校を外し、あげくの果てに震災の被害を受けて一番苦しんでいる時に、その土地の朝鮮学校補助金を打ち切りにして追い打ちをかけるような、人の心を心とも思わない浅ましい社会のあり方に憤りを抱く。
それは、労働の現場で日常的に労働者たちを被曝の恐怖にさらし、これほどの危機が起きても彼らを危険な環境のなかに放置して恥じない原発の実情と、基本的に重なるものだ。
要するに、人間を蔑ろにすることによって、他人と自分の心や身体を蔑視することによって成立するような社会に、その一部として、ぼくらは生きているということだ。


そして、「復興」という言葉によって、言語に絶する人々の被害の現実が盗み取られ、数万、数十万の人たちの生と死が、権力と権益の維持のために利用されつつある、この社会の現状と、それを容認してしまっている自分自身に、ぼくはいっそう憤るのだ。
いまなされるべきことは、(支援や連帯による)人間的な社会の「回復」ということであり、なされてはならないことは、「復興」の名のもとに人々の生が、従来よりもなおいっそうひどい矛盾や差別のなかに置き直され固定化される事態である。
人間的な社会の回復という目的のためにこそ、ぼくたちは被災地の人たちと共に、様々な暴力によって踏みにじられ傷つけられたこの社会のなかで、とりわけ自分自身の日々の生活のなかから、行動を始めるべき時だ。