岡真理の本を読んで・他者ってどこにいる?

先日、岡真理の『記憶/物語』という本を読んだ。
いくつか考えたり、感じたことがあったので、おいおい書いていけたらいいと思うが、ここではひとつだけ。


この本に書かれている重要なことのひとつは、人間が個として生きること(体験)は、他者の存在にあらかじめ媒介されている、というようなことではないかと思う。
だから「他者の排除」は、個としての自分自身の生(及び死)を根本的に損なうことになる。というか、ぼくに言わせれば、それは生の根源的な否定という意味で「死の正体」みたいなものじゃないかと思う。他者のいない生って、ゾンビみたいなもんだろう。


こういう読み方をすると、この本に書いてあることは、すごく同意できるような気がするが、少し違和感があるのは、「他者」をどこに見出すかという点だ。
ここで例が挙げられているのは、難民とか、虐殺されたり迫害される人とか、そういう極限的な体験をしてる人たちである。そうした人たちの体験は、ぼくたちには想像することがほとんど不可能であるというふうな意味で、たしかに「他者性」をとくに強く体現しているとは思う。
でも、どんな存在であっても、他者性(他者であること)は、特定の存在に帰属するものではない。
同じ共同体のメンバーであっても、他者性は、いや他者性を体現する瞬間を持つ可能性は、じつはあるはずなのだ。もちろん、同じ共同体のメンバーになるということは、そのことがひどく見えにくくなる、ということなのだが。


著者には、これはよく分かっていると思うのだが、この本を読んでみて、ぼくにはそう感じられないというところに違和感をもった。


記憶/物語 (思考のフロンティア)

記憶/物語 (思考のフロンティア)