『彼女の「正しい」名前とは何か』

彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想

彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想


ぼくは不勉強で、この著者の書いたものを、これまであまり読んでいなかった。
最近、2000年に出版された本書を読んで、ショックを受けた。
卓越した内容、文章だ。ぼくがただ漠然と「重要だ」と思っているようなことが、すべて感じとられ、考え詰められ、完璧に文章にされている、といった感さえある。
一例として、次のような一節。

もう一つ大事なことをデイリーの例は、教えてくれる。それは、発話者のポジションがいかなるものであるかということは、発話という行為が完了してはじめて、その発話から事後的に明らかになる、ということである。発話者の位置とは、何事かを語ることにより、その結果として、「私」がはからずも占めてしまった位置のことである。「私」の語りの結果として、他者との関係性において「私」がいかなる位置を占めているかが、炙り出されるのである。
 (中略)そして、私たちが誰を忘却しているか――それはまた、私たちがいかなる者であるか、ということでもある――は、私たちが言葉を発するという、まさにその行為によってはじめて、明らかになるのだ。何も語られなければ、そこにおいて、何が忘却されているかも分かりはしない。だからこそ、私たちは語らねばならない。私たちが誰を忘却しているのかを知るために。私たちがそのような忘却を生きることが可能な特権的位置にあったことを知るために。(p193〜194)