ブログ・読書・富嶽百景

寒風に凍りつく鳩たち

ある話題についてのブログ上での言及を集約して紹介する「まとめサイト」と呼ばれるものが世の中には数多くあるそうで、このブログの記事も時々そこでとりあげて紹介してもらっているようだ。これはブログを運営する者にとっては、たいへんありがたいことだが、膨大な数のサイトに目を通し、文章を読んで要約したり、コメントや運営者についての紹介を書き添えたりすることは、たいへんな労力であろう。
ぼくは、正直言って他人の書いたインターネット上の文章、それも長文のものはあまり読まない方なので(自分がこれだけ長文を書き散らしているのに恐縮だが)、こうした営為には、ただただ頭が下がるばかりだ。
ぼくからすると、こうした紹介をしてもらうのがありがたいのは、もちろん、その事柄に関心を持つより多くの人たちに自分の文章を読んでもらい、このブログの存在を知ってもらうきっかけになるということもあるが、特に要約や引用などが添えてある場合、自分の書いたものが他人にどのように読まれ、どの部分が関心をもたれ、どのように受け取られているのかを知ることができるからだ。
自分がポイントだと思っている部分に反応されたり(これは、コメントに関しても言えるが)、引用や要約でそこを取り上げてもらっていると、自分の言いたいことがちゃんと伝わっていることが分かって嬉しいし、逆に自分にとって思いがけない要約や引用のされ方がしてあると、「ああ、こういうふうに読まれているのか」と思って、示唆を受けたり自分の表現を反省させられたりもする。
なんにせよ、これは書き手にとってたいへんにありがたいことである。

ブログと読書

話は変わるが、以前から愛読している鈴木邦男さんのサイト(アンテナに加えました)のコラムを読んでいたら、作家の高橋和巳の言葉として、読むことと書くことは時間的に八対二ぐらいの比率でなければいけない、ということが書いてあった。ものを書こうと思ったら、それだけの蓄積や勉強が必要だということで、鈴木さん自身もこの言葉を実践しておられるとのことだが、これには反省させられた。
「3時間原稿を書いたら、12時間本を読め」と書いてあったが、これはすごすぎる。
ぼくの場合、ブログをはじめて以降は、読む時間よりも、ここに載せる文章を作っている時間の方が圧倒的に長くなっている。ぼくは元来、あまり本を読まないほうだが、今年に入ってブログを始める前には、わりあい気合を入れて読んでいた本があって、読書の時間はぼくにしては長かった。しかし、ブログに文章を書くようになると、読む時間が減少したというだけではなく、心理的に「読む」というモードになかなか入れなくなった。時間はあるのだが、読書に没入していけない。読むとしても本ではなく、ネット上の断片的な文章をいきあたりばったりに、流れに任せて読んでいることが多くなった。
本を読むということと、こういうところに文章を書くということとは、両立しにくいところがあるのだろうか。どうもスイッチがうまく行かない気がする。
本を集中して読んでいたとき、ワードには結構熱心にノートをとっていたりしたので、どうしてブログとだけは両立しないのか、余計不思議である。
ブログの場合、公開しているわけだから、「表現」しているのだという心理的な解消のようなものがあって、それが頑張って勉強しようという真面目な気持ちを削いでしまうのだろうか。
そう考えてみると、今のように誰でもネットを使って「表現」が出来るようになった時代というのは、蓄積されたり圧縮された情報の伝達が生じにくくなっているといえるかもしれない。難しい読み応えのある本を読んでいると、「表現」したいものが内部に蓄積され膨らんでくるような感じになるものだ。インターネットは、そういう欲求を知らぬ間に減退させてしまうところがある。
「表現」という行為を、すごく薄っぺらなところでしかとらえられなくなる。


それで思い出したが、たしか開高健だったと思うのだが、小説が全然書けないスランプになったときにどうしたらいいかを井伏鱒二に質問した人があって、井伏は「なんでもいいから、とにかく原稿用紙に文字を書け」と答えたのだそうだ。「へのへのもへじでもいいか?」と聞いたら「へのへのもへじでもいい」と言ったという。
井伏は、「本の時代」の、つまり近代的な表現の欲望というものが、幻想にすぎないことをよく知っていたのだろう。「表現したい」という内容や内面などなくても、「書く」という行為自体によって、この幻想は作り出せる。
だが、「本の時代」の表現の欲望と同様に、インターネット時代の表現の概念もまた別種の幻想であって、気をつけていないとどんどん型にはまり書くことの力が失われていく。「表現」にまつわる心理的なエネルギーが減少することによって、精神的な受容能力自体が失われていくのは、人間が生きるうえで決していいことではあるまい。
これは、現代のコミュニケーションのあり方全般に関していえることだとおもう。

富嶽百景

内容に反してというか、内容通りにというか、今日もまとまらないボヤッとした話になったが、井伏鱒二の名前が出たところで、井伏とつながりの深かった太宰治の小説『富嶽百景』の一節を書き写して終わりたい。
この小説は、「富士には、月見草がよく似合う。」という一文がとても有名だ。たしかにあの文はきれいに決まっている。昭和14年という時代背景を考えると、「富士」とその対極に置かれた「月見草」にたとえられているものが何かも読者には想像しやすい。しかし、ちょっと「作りすぎ」ではないかとも思う。
こういう対置の仕方は、同じ昭和14年頃の出来事を回想した武田泰淳の、先日引用した双葉山についての話(『滅亡について』)にも見られたものだが、あの泰淳の書いていることの方が率直なところで、『富嶽百景』の「富士」と「月見草」の対比は、作り事の域を出ていないように思えるのだ。
それよりも、この小説はやはり書き出しの段落が、すごい。これも「美学的な抵抗」でしかないと言えばそれまでだが、たいへんな緊張感のみなぎっている文章だ。

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西及び南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと広がり、東西、百二十四度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとえば私が、インドかどこかの国から、突然、鷲にさらわれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落とされて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだろう。ニッポンのフジヤマを、あらかじめあこがれているからこそ、ワンダフルなのであって、そうでなくて、そのような俗な宣伝を、いっさい知らず、素朴な、純粋の、うつろな心に、はたして、どれだけ訴えうるか、そのことになると、多少、心細い山である。低い。すそのひろがっているわりに、低い。あれくらいのすそを持っている山ならば、少なくとも、もう一・五倍高くなければいけない。


よくこんな文章が書けたものだとおもう。