競馬場で見かけた人々

Arisan2005-02-28


春近し
チューリップ賞
稽古かな


この週末、久しぶりに仁川の競馬場に行ったら和服姿のお相撲さんを見かけた。
関西では、阪神競馬場でお相撲さんたちの姿を眼にするようになったら春の訪れだ。
競馬場と力士と早春という組み合わせ、それに関西という土地柄は、妙にマッチするところがある。


力士ではないが、やはり阪神競馬場で、元阪急ブレーブスバルボンさんを見たことがある。競馬場の建物の中央部、パドックの上の部分から階下に降りるエスカレーターの乗り口の所に仁王立ちになって、ものすごいスペイン語訛りのブロークンな関西弁をまくし立てている大男の黒人のおっさんが居て、あれは間違いなくチコ・バルボンだった。
ラジオの阪急戦の中継のなかでマルカーノやブーマーのヒーローインタビューのとき、この人が通訳する独特の「スペイン語化された」日本語や英語が耳に残っている人も居るだろう。どう聞いても堂々たるスペイン語なんだけど、単語とか文法とか語尾のイントネーションは関西弁なんだよなあ。
彼は革命以前の1955年にキューバから日本にやってきて、阪急ブレーブスのキャッチャーとして活躍したらしいのだが、現役時代の記憶は阪急ファンだったぼくにもない。何か事情があって、母国には帰れなくなったんだろうね。ダルビッシュのお父さんとかと、似たような事情なのかなあ?こちらの事情もよく知らないんだけど。
その後球団職員になって、オリックスでも仕事をしておられたようだが、合併ということになって現在はどうしているのか。
最初日本に来たとき、キューバのような常夏の島だと思い込んでいてアロハシャツ一枚で真冬の羽田空港に降り立ったそうだ。びっくりしただろうな。でも、まさか永住することになるとは思わなかっただろう。


競馬場というと、淀の方(京都競馬場)で見た、作家の高橋源一郎さんの姿が忘れがたい。
あれはたしか、当時は秋に行われていた京都新聞杯京都大賞典の日だったと思うのだが、この頃高橋さんはプロ野球解説の江川さんなどと一緒にバーボンカントリーという競走馬を所有していて、その馬のデビュー戦(じゃなかったかな?)が行われるので競馬場に来ていたようだ。バーボンカントリーは、この日は武豊騎手が騎乗したと記憶しているが、普段は村本騎手などが乗っていたと思う。たしか新潟記念で若干の見せ場を作ったが、結局大成しないままで終わってしまった。
午後のレースで、ぼくがパドックを見終わって、いつもどおり建物のなかのコンコースをくぐってコース前に抜けるため歩いていると、誰かを周りからブロックするように人垣が出来て移動しているので、何事かと思って覗き込むと高橋さんだった。周りの人は、たぶん高橋さんが司会をしていた「スポーツうるぐす」の関係者の人たちだろう。ぼくはもともとこの天才的な小説家のファンだったので、握手かサインでもしてもらおうと思って後をついていった。
建物の下を通り抜けてスタンドに出たとき、周りに居た人たちがすーっといなくなって、ぼくの目の前に高橋さんの姿がぽつんとあった。京都競馬場のあの場所の雰囲気は、行ったことのある人しか分からないと思うが、建物の下の暗がりを抜けてスタンドに出ると、日光の下で広々とした景色が迎えてくれてなんとも気持ちがいい。
ゲーリー・クーパー主演でルー・ゲーリッグの生涯を描いた『打撃王』という映画が戦前に作られていて、死を間近にしたゲーリッグと妻が、ヤンキースタジアムのロッカーから、引退セレモニーの行われるグラウンドに向かって地下通路の暗がりの中に消えていく、オルフェウスの神話みたいな見事なラストシーンがあるのだが、その場面も思い出させるような空間だ。
その光のなかに出て、高橋さんがぐっと背伸びをして深呼吸している姿を見て、ぼくは声をかけるのをやめにした。本当にリラックスされているようだったので、この場所で見知らぬ人間が声をかけて緊張させるのが気の毒になったのだ。
自分も同じ気持ちで競馬場に来ているのだし、他人の楽しみを邪魔しないのは、競馬好き同士の仁義みたいなものだ。


公式サイトの「日記」によると、高橋さんは先日小倉競馬場でなんと三連単六連勝、しかもすべて万馬券という快挙を成し遂げたらしい。まさに天才の業である。ぼくらとは格が違うんやろなあ。
ぼくの体験からいうと、どんな人間でも一生に最低一回は、神がかり的な大当たりが続く時期があるものだ。このときは、ほんとにどう買っても当たるし、一番配当のいいのが当たるのだ。まるで、伝説の名打者榎本喜八がヒットを打ちまくった昭和38年のシーズンの「奇跡の二週間」みたいなものである。打ち終わって打球の行方を見ると、その通り道を作るように野手の間隔がスーッと広がっていくのがスローモーションではっきりと見えたというのだが、それに近い。
誰でも一度は、いやもしかするとたまには(だったらいいな)、そういう時期がめぐってくるものだと思うが、高橋さんの場合には、それがかなり頻繁に訪れるようだ。これは努力や心がけだけではどうにもならないものだろう。羨ましい限りである。