遺骨の話

また、北海道の遺骨のことを書きます。


先日書いた、朱鞠内という場所での朝鮮人や日本人の遺骨の発掘作業と、遺族への返還は、じつは97年に「東アジア共同ワークショップ」が行うずっと以前から、「空知民衆史講座」という地元の人たちの組織による運動として行われてきました。
戦前・戦中にダムや鉄道を建設する工事の過程で亡くなり、埋められた遺体というのは、日本人も朝鮮人もほとんどが土葬で、火葬のものは少数しかなかった。これはどうしてかというと、当時は物資が不足していたので、火葬にする燃料がなかったのだそうです。
土葬にされたものにせよ、火葬のものにせよ、元々は木棺に入れて埋葬されたのだろうけれども、長い年月のなかで木棺そのものが腐って土に一体化してしまい、土中に直接遺骨が埋まっているような状態になっている。だから、これを掘り出すというのは、はじめは生い茂った熊笹を取り除いて、その下の土を掘り起こす力仕事ですが、最終的には考古学の発掘のような慎重な作業になっていきます。
それをどうにか掘り出して、副葬品などから身元を割り出し、さらに日本や韓国で遺族を探し出してお返しするということになるわけですが、これはたいへん難しいことであるようです。発掘自体ももちろんですが、死亡者の身元の割り出し、遺骨の分析、遺族調査と返還、すべてがたいへんな作業であるらしい。
こうした困難な事業を何十年も続けてこられた地元の方々には、本当に頭が下がる思いです。
このなかで、遺骨の発掘と分析というのがなぜ難しいかというと、一つには土のなかでばらばらの骨片になってしまったものを丁寧に掘り出して修復し、同定することの困難さです。


ここでぼくが思うことは、人間は死んで骨になると断片になるんだ、ということです。生きているときは、別々の体を持った一人一人だけど、死ぬとそれぞれが断片になり、土に戻っていく。
そうやって死んで断片になってまで、個人の個別性や、国籍や民族に縛られなくてはいけないのか、という気がするときがあります。


これは朱鞠内とは直接関係ないのですが、これも前に書いたように、札幌の西本願寺別院というところで、近年、強制労働で亡くなった方たちの遺骨が発見されたが、それらは「合葬」されていて、どれが誰のものか分からなくなっていた。つまり、遺骨の個別性がまったく失われていたわけです。
韓国から来られた遺族の方は、このために自分の肉親の遺骨を持って帰れないのです。
強制労働に関しても、遺骨の「合葬」に関しても、悪いのは日本の政府と企業であることは間違いありません。
しかし、ぼくはそれとは別に、人間が死んで骨になってまで、個別性や属性の刻印から逃れられないかのような姿に、やりきれなさをかんじます。


生きているときに、元来そうした人間としての個別性や属性を奪われて生き、死んでいったわけだから、その回復を求めることは人間であるかぎり当然でしょう。特に遺族の方たちにとっては、故人にそれを取り戻させることが切実な願いであることは、疑いありません。
しかし、同時にこうもかんがえます。生きている人間が、国籍や民族といった、さまざまな属性をもつのは、それを付与する側の問題は別にして、付与される人間の側にとっては、一個の個体であることによってはじめて可能になることです。死んで骨になるということは、この個体であることから解放されて、どんな属性も持たない、無名の存在として大地に戻るということではないか。それが、死というものの尊さではないか、と思うのです。


死んで骨になっても、その解放をえることができない死者と遺族の無念や悲しみ、怒りを思うと、そうした感情を持ち続けることを強いた国や企業の犯罪行為が、いかに罪の重いものであるかが、いっそう明らかになるのではないでしょうか。
遺族の方々をこの感情から解放し、亡くなった人たちの遺骨に本当の安らぎを得てもらうために、これからするべきことは多いのだと思います。