緊急署名とテント村について

はじめに、前回書いた、13日に瓦礫受入れ説明会の会場で不当逮捕された四人の人たちの早期釈放を求める署名が募られています。下記のサイトから、ご協力をお願いします。
http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/e/b508730134dd941778e8b8ec9ec7e52e


ウェブ署名を先行させていますが、メールでも可とのこと。一次締め切りは、22日(木)の午前中です。


ところで、今回逮捕された人たちのうち三人が中心的メンバーとなっていた、大阪市役所横の監視テントだが、市側による行政代執行を待たず自主的に撤退し、テント村も姿を消した。
http://occupyosaka.net/archives/107
僕は、このテントには数回足を運んだだけだが、強い印象を受ける出来事だったので、簡単に感想を書いておきたい。
瓦礫受入れ問題に対する考えに関わらず、このような場所の「占拠」という手法には戸惑いを抱いたり、迷惑な気持ちや不快感を持った人も少なくなかったかもしれない。僕自身も、自分にはとても真似の出来ないことであり、心理的な距離を感じなかったわけではない。
ただ、今になってみると、はっきり言えることがある。


それは、この「占拠」に対抗して市役所が周囲に張り巡らしたバリケードまがいの構築物による一帯の封鎖(それは、テントの撤退後、さらに拡大されている)と対置してみると、結果的には、このテント村の存在が、それらの行政側による封鎖から「場所の自由」を確保するものになっていた、という逆説的な事実である。
実際、離れた場所から見てみると、市によるバリケードは、人々の行き来を極端に阻害する、非人間的と呼べるような障害物であり、ただテント村の一帯だけが、解放感のある人間的な空間に思えたものである。
それは、僕が運動側で、こうした行為とテント村の存在に共感を抱いてたからそう思えるだけだ、と言われるかもしれない。たしかに、物理的には、テントが張られたことによって、あの場所は以前よりも狭くなっただろう。


だが、テントが張られる以前の「広さ」や「自由さ」とは、結局、今のように行政の恣意によっていつでも人々の行き来が「合法的に」封じられてしまうような、表面的な「自由」に過ぎなかったのである。テント村の出現は、それに対抗しようとする行政側の過剰な防御反応(実力行使)によって、その「現実」を露呈させた。
つまり、われわれが「自由」だと思っていた空間は、実際には、非人間的になりつつある行政などの公権力や、大きな資本の力などによって、密かに「占領」されていたのだということである。
占領者は、いま行っているように、いつでも合法的に、人々の(ここでは通行の)自由を奪い、路上や広場・公園の使用を禁じることができる。それはまったく恣意的に、そう出来るのだ。
テント村は、「占拠」という手法によって、僕たちが置かれている、この非人間的な現実を明るみに出したのであり、まさにそれゆえに、人々の心を不安にしたり居心地悪くさせ、苛立たせたのだと思う。
つまり、自分たちが実際に置かれている現実の不当さに気づきたくない人たちを、その存在は不安にさせたのである。


そう考えてみると、あのテントやテント村の存在は、瓦礫拡散に反対する運動が、世間に対して与えるイメージに、やはり似ていると言うべきなのであろう。
どちらも、人間に牙を向いている、政治や公権力や資本の、また差別的・排外的な社会の雰囲気の暴力という現実に、人々が気づき直面させることを余儀なくさせるものであるが故に、それらは人々から煙たがられ、また弾圧や排除の対象ともなる。
しかし、そのことから来る苦悩や孤独のなかにこそ、「占領」からの人間の解放(そして生存)につながる道は存在するのだということを、あのテント村の光景は、示唆してくれたのだと思う。