パクリ企画・私が選ぶ今年の三冊

『G★RDIAS』で「2007年の3冊」という企画をやっているので、自分も真似をして選んでみようと思ったのだが、とにかく買った本も読んだ本も数がとても少ない。
ことに新刊本はほとんど買ってないし、読んでない。
それで「新刊でなくても」とハードルを下げると、なにしろぼくの場合は『私的所有論』(立岩真也)を初めて読んだのも今年である。重要度からいえばこうした本になろうが、「今年の収穫」と銘打って、こうした本をあげるのは、あまりに「私的」選択すぎるだろう。
読んだ総量の少なさには目をつぶって、今年出版された本から選んでみることにする。


ずばり、ぼくが選ぶ今年の3冊は、以下である。


生田武志『ルポ 最底辺』(ちくま新書

テッサ・モーリス‐スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(朝日新聞社

横塚晃一『母よ! 殺すな』(生活書院)

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)

北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる

北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる

母よ!殺すな

母よ!殺すな



このうち、『母よ! 殺すな』は再刊だが、あえて選んだ。
この三冊にした大きな理由は、日本の戦後社会の「過去」と「現在」との関わりが、それぞれ問われている内容だと思ったからである。


いわゆる年金問題にしても、薬害肝炎(薬害だけが、けっしてこの問題の全容ではないが)の問題にしても、戦後の日本の社会の歪みが噴き出た、もしくはこれまで特定の人たちだけに押し付けられてきたその歪みが、社会全体の多くの人々に向けて拡散するという事態が、もちろん今年に限らず、近年目立ってきている。
歪みから生じるものの負担が、特定の人たちに限られていた間は、歪みを生み出す構造の問題は大きな議論になることがなかったが、「歪みの再分配」とも呼べる問題は、ここに来て社会全体の関心を呼ぶ事柄になってきている。
いま起きていることは「戦後日本」という無謬のシステムの瓦解ではなく、その欠陥性の全体化であるという可能性があるのだ。
そこでわれわれは、「歪み」が存在しないかのように扱って、その負担を特定の人たちにのみ押し付けてやり過ごしてきた、自分たちの社会の歴史を批判的に再検討せざるをえない。それなしでは、どんな「改革」も「展望」も、欺瞞の更新にしかならないのである。


生田の著作では、著者自身の労働と支援の体験をベースとして、80年代中ごろの大阪釜ヶ崎の労働者たちの状況が語られ、現在の労働者や野宿生活者の問題と重ねあわされる。そして、現代の若者や女性達の状況が、かつて労働者たちが置かれてきた構造と結びつくものとして照射され、そこから逆に、過去と現在の支配的な社会のあり方をくつがえす連帯の可能性が示唆される。
「われわれ」が排除してきたもの(他者)との出会いを通して、われわれが生の可能性を回復するという道筋が、提示されているのである。


一方、スズキの著作では、帰国事業・帰国運動の再検証によって、この出来事が戦後の日本社会のあり方を深く幅広く問い直させるものであることが明らかにされる。
ここでも問われるべき存在は、在日朝鮮人という他者の排除を欲望し、加担した「われわれ」の社会の仕組みであり、精神のあり方だ。
また、生田の著作と同様、著者(ここでは研究者である)の立場は、記述の対象である「他者」の存在に対して常に距離を保とうとし、著者自身の声や存在は他者の存在の海に隠れるのだが、そのことによって(つまり、「他者」との関わり、その肯定)によって、逆に著者の身体性が獲得され、その肉声が届けられることになっている、という印象を受ける。
この二つの著作には、著者と他者との関係という点で、似通ったものがあると感じられるのである。


横塚の著作は、70年代の障害者運動のドキュメントとして、まさに「歪み」を押し付けられ、その生存自体を否定されてきた当事者の声を記録したものだが、それらがこれほど生き生きと、また強烈に現在の読み手の心を打つのは何故なのか。
「生存自体の否定」という事態に直面している人の層は、いまや当時よりもはるかに広がっているといえる。その意味で、この本に記された当事者の叫びが、多くの人に「共感」されるのは当然と思われるかもしれない。
だが、横塚の著作においても、その言葉は、あくまで「他者」に向けられているということを見過ごしてはなるまい。横塚は、それを「人間」と呼ぶ。
人間の存在を否定するような社会のあり方は、自身がその被害の当事者であろうとなかろうと、決して許すわけにはいかないのだという「社会的な怒り」の声が、この本の全体を満たしているということこそ、要点である。


こうしてわれわれは、これらの著作から、人間の存在を否定しないような社会を構築していくことへの呼びかけを、たしかに聞き取ることになるのである。
そのようなアクチュアルな意味から、今年創刊された雑誌『フリーターズフリー』と、強制撤去された長居公園テント村の記録集『それでもつながりはつづく』の二冊を、ここに付記しておきたい。


それでもつながりはつづく―長居公園テント村行政代執行の記録

それでもつながりはつづく―長居公園テント村行政代執行の記録