長居から戻って

4日の夜8時ごろに長居公園に入り、5日の夕方までいた。
ニュースで伝えられてるように、行政代執行は行われ、野宿の人たちのテントは撤去された。


今回の代執行に対する抵抗・抗議は、テントのひとつの上に設営された舞台での、野宿者と若者たちによる演劇の上演という形で行われた。150人以上いたのではないかと思われる他の支援者の人たちは、その舞台の周囲を三重ぐらいに取り巻く円を作って座り込み、スクラムを組んで守ろうとしたのだ。
ひとつ書いておきたいことは、この形をとるということは、野宿の人たちが生活してきた他のテントが壊されていく様子を手出しせずに見守るということを意味し、野宿の人本人や支援者にとっては苦渋の選択以外のなにものでもなかったはずだ、ということである。
それでも、あえてこの方法が選択されたのである。


それは、長居公園で、野宿の人たちと支援の若者たちとが長年積み重ねてきたコミュニティー形成の実践、また地域の人たちとの関係を作っていこうとする取り組みの積み重ねを、演劇の形に集約し、それを人と人との関係のあり方、生のあり方に関するメッセージとして、舞台を見つめる行政の人たち、ガードマンの人たちにぶつけようということだったのだろうと思う。
抵抗・抗議が演劇による表現という形をとったということは、だから「たたかい」や対立の厳しさが回避されて、安易であったり融和的な方法がとられたということではなく、非常に鋭い「人間として」の投げかけを、相手側の人たちへぶつけたということなのだ。


野宿する人たちを「人間として」扱わない行政の手法に対して、(行政権力のように)行政の人々を「人間として」扱わないことによって報いるのではなく、逆に「人間として」のメッセージ、人間から人間へのメッセージを、舞台上からぶつけようとした。
それは、「人間として」という審級を空無化していく行政権力の非対称な仕組み(壁)を嘲るように飛び越えて、人間の胸から人間の胸へ、いつかは届くメッセージの種子を上方から振り撒こうとする懸命な試みだった、とでもいえばよいだろうか。


だから、この抵抗の新しい試みを、ぼくは素晴らしいと思う。
また、この試みを、抵抗の方法として選択できた意思決定の過程も、賞賛に値すると思う。
しかしほんとうは、それらを「評価」できるような位置には、ぼくはいない。


この新しい試みの意義深さにもかかわらず、今回の行政代執行を経て、大阪市の野宿者をめぐる状況は、ますます厳しくなっている。
来年には、他の大阪市内の大きな公園で、やはり同様の措置がとられるのではないかとの予測が既にでており、この動きは減速しそうにない。こうした大がかりな、目立つ形でなくても、行政による野宿者のテントの撤去は、しばしばあることのようだ。
一般的に言って、野宿者をめぐる状況は、今日の社会における生命をめぐる状況の多くがそうであるように、深刻さを深めつつあることは、間違いがないのだ。野宿者が増えた、減ったという、単純な統計上の問題として語れないことが、そこにあると思う。
だが、そうした困難の原因を、「運動」する人たちのあり方のなかに見出す気持ちに、ぼくはとてもなれない。
問われているのは、自分自身がなにをなすべきかということ、それだけであるように思える。
今回長居に行ってみて、あらためてそう強く思った。