死の強制労働から即時解放せよ

夕方、原発からのテレビ中継を見てて、あらためて本当に怖いと思った。


今起きている危機的な事態、それが何をもたらすのかは、もちろん怖い。
だが、それよりも具体的に、いつ大爆発が起きるか分からない、しかも常時恐ろしい数値の放射線にさらされながら、そこで働いている、作業をさせられている人たちの感じている恐怖が、自分の身に感じられるように思えたのだ。


ぼくはもちろん、現在の福島原発のような状況はもちろんのこと、普段の原発のような危険のなかで働いたことなどない。
だが、これまで非常勤の色んな仕事をしてきて、補償のまったくない状態で危険の伴う労働をさせられる時の心境、またそれが今の社会では「当たり前」のことになってる、ということは知っている。
そういう労働の場では、危険を拒んだり選んだりするような自由意志が働く余地は、そもそもあまりない。自由意志が保証されるような条件がないのである。


今回の事態でも、自衛隊や警察・警視庁は、自分たちの隊員や警察官たちの安全が極力確保されるように、上層部が努力していることがうかがわれる。
働くものの安全や健康が、国の命令に抗ってでも最大限考慮されようとする職場が、自衛隊と警察だというのは、なにか逆説的な感じがする。
とはいえ、こうした配慮自体は、まったく正当なものだろう。
だが、それは、自衛官や警察官が公務員という立場によって守られてるからだ。


前回も紹介した「原発労働者」と呼ばれる人たち、実際にはこの人たちが日本の原発産業の現場を成り立たせてきたのだが、この人たちには、そんな保証、守ってくれる組織や制度のようなものはない。
いま実際に現場で作業にあたっているのは、東電の社員ではなく、こうした、原発労働者であるらしい。その人たちは、偽装請負によって雇われていて、普段から危険を押し付けられて働いており、そのことを隠すために、東電は作業に従事している人の名前や住所を明かさないのだという。


そんな立場の人たちが、死と完全に隣り合わせの、恐ろしい作業に従事させられている。
この人たちには、この危険な労働を拒むことが出来るだろうか?
自分の経験から、ぼくには、それは非常に難しいと思える。
断れば、失職して路頭に迷うような人たちが多いと考えられるし、そうでなくても、「誰かがやらなくてはいけない」とされている(だが、その人たちである必然性はない)あの状況で断ることが出来るか?
いや、そもそもそういう断るとか引き受けるとかいう判断・決定を自由に行う条件を奪われてるのが、非常勤労働、とりわけああいう極限的な労働現場の特徴でもあろう。
だから、たとえ当人の志願や承諾があったとしても、そういう人たちに危険な作業をさせてるということは、元々全て強制であって、許されるものではない。


つまり、あの人たちは、普段からそうだが、今まさに、強制によって極限の作業、死の労働をさせられてるのである。
これは絶対、やめさせなくてはならないことであろう。
そして、企業や行政には、こんな労働のあり方をただちにやめさせて、その人たちへの補償をさせるべきだ(これはもちろん、今の社会における労働のあり方全体のことにつながる。)。


もちろん、自衛官や警察官、社員であっても、危険にさらされるべきでないことは何ら変わらない。
だが、「原発労働者」に人たちには、何らの守ってくれるものもなく、ひたすら強制によって(当人の承諾の有無に関わらず)この死の労働(作業)の現場に置かれてるということを、重視するべきだ。


また、さらに怖いのは、こうした人たちが作業にあたったという事実が、闇に葬られたまま忘れ去られるのでなければ、それは「尊い奉仕的な労働」とか「あるべき労働者・国民の姿」の典型のように用いられ、社会全体の労働と生のあり方を、このようなものとして決めてしまうのではないか、ということだ。
あの原発で命を賭して作業した人たちのように、人権などなんだのを棄て去って働くことで、この非常時・国難を乗り越えよう、そういう雰囲気が形成されていくことも恐ろしい。


この作業を、誰かがやらなければ、甚大な被害が生じるだろう。
だから、ぼくたちは、その作業を誰かには押し付けざるをえないのが、現実である。それをしなければ、とりかえしのつかない被害を蒙る他者たちが、きっと無数に居るだろうからだ。
だが肝心なのは、その現実は、原発という存在がもたらした理不尽さであって、その責任はひとえに、欺瞞によってこんなものを推進してきたものたちにあるはずだ、ということである。
それが根本であって、その責任の一部を、この社会の構成員としてのぼくたち自身も、もちろん負っている。ぼくたちが果たすべき責任の形は、告発と社会を変化させるということである。


まずこの極限の作業の現場から、強制されてそこに居る「原発労働者」の人たちを解放せねばならない。
そして、自衛隊員や警察官を含めた多くの命を、この危険のさなかへと追いやっている、原発という存在と、この社会のあり方とを、怒りを込めて自覚するべきだ。
われわれは、生きるためには誰かを殺さねばならない存在であるとしても、この社会は、あまりに多くの殺戮と「犠牲」を、ぼくたちに強いているのである。




http://mowgli.dreamlog.jp/archives/5014207.html


http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20110317/1300289557