反原発行動に(ちょっとだけ)参加して

このところ、主にここで紹介している関西の反原発関連の行動や催しに、ちょこちょこ顔を出したりしております。


福島の原発事故が起きるまでは、ぼくは原発のことには全く無関心だった。
一方で、何十年も反原発ということを訴えてきた人たち、その運動というのがある。
原発ということと、最近よく聞く脱原発という言葉とでは、明らかにニュアンスの違いがある。
これはあくまでぼくの漠然とした感じ方だけど、脱原発と言った場合には、厄介なものを脱ぎ捨てて、より安全で人間的な(?)意味での快適な生活を実現しよう、というようなニュアンスを感じる。そこから、今の生活の豊かさを維持したままで、エネルギーをもっと「安全な」ものに転換していこうという、経済合理的な考え方、オバマが就任演説で言ったことに近いのか、そういう「脱原発」の論調があると思う。
そこに抵抗を感じるが、一方でたしかに、そういう合理的な議論が、原発が強引に国策として推進されていくなかで抑圧されてきたこと、これは日本の社会にとって非常に大きな問題であることも事実だろう。もしかすると、これが一番大きな「原発体制」の弊害かもしれない(これは多分、「無責任体制」ということともつながっている。)。
たとえば、原発のコストが論じられる場合に、今回のような事故が発生した時に補償などでどれだけの費用が必要になるかということや、社会に原発が安全でクリーンなものだという考えを定着させるためにどれだけ莫大な宣伝・啓発費用が投入されてきたかというようなことが、きちんと議論されてこなかった、というより、それらを議論すること自体が抑圧されてきたという現実がある。総じて、原発の危険性やコストの高さを正確に知らせた上で、それでもなお原発を選ぶかどうかという、民主的な手続きの前提になるものが、「原発体制」の元では捻じ曲げられ封殺されてきた。そういう根深い非民主性(支配の問題)ということがある。
そういう社会や体制の基本的なあり方を批判し、それを変えていくという意味でなら、「脱原発」という言葉がはらんでいる方向性を肯定したいと思う。


だが同時に、われわれが豊かな生活を送っているということの意味自体が、「脱原発」という議論のなかで問われなくてはいけない。それは、原発を容認することで、現場の労働者や現地の住民たちの存在、生命が蒙る危険・被害・侵害に、目をつむってきた、ぼくたち自身の倫理的な問題、いやもっと本質的に、このぼくたちが容認しているこの社会体制自体を問う、ということである。
脱原発」という言葉のなかに、その大事な意味合いをスルーして、原発を自分たちとは無縁な危険物のようにして脱ぎ捨て、豊かさなり安全なり「人間的な生活」なりを維持もしくは「回復」していこうという、危ういニュアンスを感じるのも事実である。
そういう意味で、「反原発」という、政治的・倫理的な敵対性を明確にした言葉を、あえて掲げ続けたいと思う。


原発の存在が示してる本質的なものは、差別や植民地主義の構造だと、ぼくも思う。
犠牲者の存在を不可視にした上に成り立っていく、資本の集積の構図。
それは、石炭にしても石油にしても、産業資本主義は、そういうエネルギー資源を用いることによって成り立ってきた。炭鉱労働者(イギリスの子どもの労働者や、日本の朝鮮人労働者を含む)や、油田発掘のために土地を奪われる先住民や中東の遊牧民の存在には目をつぶってきたのが、近代以後のわれわれの社会だ。
他人の被害(犠牲)に目をつぶることによって、そういう生活のあり方が内面化されることによって、人は自分自身の心身の被害、権利や尊厳の侵害にも鈍感になっていく。そうなることによって、消費も資本の蓄積も円滑に進むのだ。それが、産業資本主義的な社会の仕組みということに、少なくともこれまでのところはなっている。
そして、この仕組みが、今原発事故のさなかの日本でむき出しになっている。


放射性物質は、目に見えず匂いも無いと、よく言われる。
しかも、その被害は、主には確率論的にしか生じない。つまり、何十年後かにはガンの発生率が何%か上がるだろうが、誰が放射能汚染の被害者であるのかを特定することは、原理的に不可能だとされる。
これはつまり、被害者が決して顕在化することがない、ということである。同時に、私自身の被害も、それが放射能の害によるものであるという現実(因果関係)は、決して意識化されない。
ここには、産業資本主義の社会というものの、究極的な本質が示されてると思う。
被害(犠牲)も死も、たしかにそこにあるのだが、それは決して意識(顕在化)されないのだ。
それは、私たちが暮らしてきた日常の、本質的なあり方でもある。
原発の存在を容認することは、そういう私たちのこれまでの日常のあり方、自分と他人の被害・侵害を黙認(否認)することによって成り立つ人生というものを是認し、そんな社会体制を担い続けることである。
それに対してこそ、ぼくたちは「反」を掲げるべきであろう。




はじめに書きたいと思ったことから、話がすっかりそれてしまった。
書きたかったのは、原発に反対する運動に長年携わってきた人たちと、新参のぼくやぼくたちとの関わりについてである。
「反原発運動をする人たちには、原発を押し付けられてる(自分らが押し付けている)地元の地域コミュニティーへの想像力が足りない」というような意見を目にすることがある。
そういうこともあるのかもしれない。
だがここで言いたいのは、原発に反対する運動も、人間が共同で行うものである以上、ひとつのコミュニティーだ、ということである。
ぼくたちがこの問題に無関心であった長い間、ずっと運動を続けてきた人たちの間には、「努力を続けてきたにも関わらずこのような事態を防げなかった」という自責の念や、悲しみ、怒りなどさまざまな感情が共有されていると思う。
そういうものに対して、ぼくらは想像力を持つことが大事だ。
そうした人たちの思いと、自分の身に危険が降りかかるような事態になるまでは、その人たちの思いに耳を貸そうとしてこなかった自分たちとの、考えや感じ方の隔たりのなかに、見つめるべき大事なものがあると思う。これは、その人たちを権威化したり美化することとは違う。運動という場の中にあっても、他者との差異のなかで自分を見つめるということだ(昔、こんなこと書いたなあ。)。
もちろん、運動に関わった年数に関わりなく、対等に関係を作っていくことが基本であろう。ずっと運動に携わってきた人なら、それを拒む人も居ないだろう。
だが、経験や立場が違えば、それぞれの思いは大きく異なるはずだ。それを尊重し、その差異をもとに自分自身を見つめることから、きっと意味のあるものが生まれてくると思う。