原発への抵抗とアジアの歴史・現在

いつもこのことを忘れがちなのだが、福島の原発事故が起きるまで、ぼくは原発の問題を真剣に考えたことなどなく、福島や福井をはじめ原発が置かれている地域のこと、またそこで働いている人たちや、ウランが産出される土地の人たちのことも、当然ながら意識したことなどなかった。
この、自分が意識しないままに、無自覚なままに過ごしてきた膨大な時間、そこでの他者との関わり(その欠如)について考え引き受けていくということが、原発に反対するということにおいては、どうしても必要であると、ぼくには思える。


土曜日、TBSの『報道特集』のなかで、福井県で長年原発反対運動の精神的支柱になってきたという住職の方の話が紹介されてたのだが、胸をつかれるものがあった。
この人は、いま電力会社や財界、政府などが言っている「電力が不足するから」という再稼動の理由というのは、三十年ほども前から繰り返し使われてきた原発推進のレトリックに他ならないことを指摘する。
番組の最後で、男性のキャスターが「いま、この長年使われ続けてきた理由(電力の不足)を持ち出し、安全性をなおざりにして再稼動を行うのであれば、われわれにとって3・11の体験とは一体何だったのだ?」と問うたのは、けだし名言だと思った。
ところで、この住職が、再稼動への圧力が高まっているここ数日の状況を受けて、次のような感想を述べておられた。
それは、もし再稼動ということになれば、それは本当にひどい結果だけれども、ただ原発や再稼動をめぐって議論や活動がなされたこの間の経緯は、それが関西と福井との関係をきちんと捉え直す契機になるのであれば、一つの前進ではあった、という意味の言葉だった。
この言葉には、長年、原発のある地域に危険や困難(地域・環境の破壊など)を押し付けながら、そのことにはまったく無自覚なままに過ごしてきた関西の、特に都会の人間に対する、厳しい人間的な呼びかけのようなものが含まれている気がした。
人間同士の関係として、あなたたちは、本当に今までのようなあり方、生き方でよいのか、という問いである。
この問いに、呼びかけに答える意志なくして、原発への反対ということは意味をもたない、とさえ思う。



話は変わるが、日曜日、大阪市内で行われた、映像ジャーナリストの中井信介さんによるベトナムへの「原発輸出計画」の現地の様子を伝えるビデオ上映とお話を聞く会に参加した。
ベトナムでは現在、日本政府の原発輸出推進政策による原発建設が進められようとしているのだが、政府による言論の統制が厳しく、福島の状況を含めた原発放射能の危険性についての情報は、都市の知識人を除く一般の民衆にはほとんど伝えられていないという。
そのなかで、日本とロシアの協力による(それぞれ別個の)原発建設の予定地となっているファンランという地域では、住民の立ち退きが進められている。
中井さんの映像は、この土地の人たちの様子を詳しく伝えている。
人びとは、住みなれた豊かな土地(先住民が居た土地の、開墾地でもあるようなのだが)を離れることには辛い思いを抱きながらも、「国が決めたことだから仕方がない」という諦めの気持ちで、立ち退きに応じている。
ただそのなかで一人だけ、頑強に立ち退きを拒み、原発が建設されてもその敷地の中に家を建てて住むのだとまで言っている老人(おじいさん)が居る。
ぼくが特に印象的だったのは、このおじいさんの映像である。


この人は、ベトナム戦争で片目を失い、また多くの肉親を失った。
また住む場所を変えざるをえなくなるなどの、辛い体験をしてきたようである。
部屋には、戦争のときの表彰状や、亡くなった家族の写真などがいっぱい飾ってある。
中井さんがカメラを向けて話を聞こうとすると、カメラが銃であるように思え、ひどく怖れる。そして、インタビューの最中にカメラが爆発するのではないか、という不安も口にする。
戦争が心に残した傷が、生々しく感じられる場面だ。
この人だけが、原発建設のための立ち退きという政府の決定に、断固として抵抗しているのである。
原発放射能の危険についての知識はまるでなく(与えられず)、だからこそ「原発の敷地の中に住む」などという表現になっているのだが、それでも、そこには生命や生活を脅かす力に対する深い直感のようなものがあるのではないかと思う。それが、この人を突き動かしているのではないか。
恐らく戦争をはじめとする人生の困難な体験から、この立ち退きの強制という暴力が、絶対に応じたくないもの、応じてはならないものだという感情が、自然と込みあがってきて、この人を動かしているように、想像されるのである。
原発という、国家や資本の力が介在する巨大な暴力への抵抗のあり方として、ぼくたちがもっとも尊重し学ぶべきものは、こういう人の姿ではないだろうか?


ベトナム戦争という、日本も加担した巨大な国際的な力との戦いに参加し、多くのものを失ったこの人が、いま同様の巨大な暴力を押し付けてこようとしている自分の国に、どんな思いを抱いているのかは分からない。
ただ、いまこの人が抱いている思い、国家の押し付けに対する抵抗の根底には、ぼくら自身もそこに関わっている「歴史」の重苦しい記憶というものが、身体に深く刻まれたものとしてあるはずだ。
その、知らず知らずに他人に押し付けてきた暴力、他人の心身に刻んできた傷の深さ、それに気づいていくことが、原発という巨大な暴力の仕組みに反対していくということの、ぼくら自身にとっての意味であり、同時に、アジアの全ての国々に住む民衆と一緒に、反暴力的な未来を作っていくことの条件でもあるのではないかと思う。



下は、この問題に関する緊急署名を求めるブログの記事です。
今朝九時が一次締め切りなのですが、末尾のリンク先にもベトナムの現状についての情報が載ってるようなので、紹介しておきます。
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-cd04.html