プルーストと戦争


プルーストは、この大長編小説の各所で、主観(精神)的なことこそが重要であり、客観的な対象(他人、事物)などはそれに比べればほとんど意味のないものだという考えを繰り返し主張し、またそのように小説を書いているので、執筆当時のフランスをめぐって起きていた現実政治の大事件や戦争についても、あまり関心を持たず的確な洞察を示さなかったと思いがちである。
だがこの小説を読んでいくと、むしろそのような独特の「主観重視」の考えを持っていたからこそ可能になったと思える鋭い洞察を、政治・外交や社会的事象、また軍事そのものに対しても行っているところがあり、驚かされる。
プルーストの主観主義のようなものは、もちろんマルクス主義的な観点などとは全く異質だけれども、現実世界のある側面(いわば主観的な側面)を分析することに関しては、非常にすぐれた働きを示すのである。


それは、プルースト自身がドレフュス支持派として熱心に活動したドレフュス事件に代表されるような、フランス社会の反ユダヤ主義の動きについても見られるけれども、また第一次大戦をまたいで書き続けられることになったこの作品においては、再びの(普仏戦争に次ぐ)戦争へと次第に高まっていく独仏関係の緊張をめぐっても、鮮やかに示されている。
たとえば、次の一節は、主人公(語り手)が、同棲している恋人アルベルチーヌとの恐ろしく複雑な心理の駆け引きを、(暗に独仏関係を思い浮かべていると思われる)外交上の顛末になぞらえたくだりである。

でたらめな諺によると、平和の意志を貫徹させるためには戦争の準備をすべきだそうだが、事実は逆で、事実はまず双方の心に相手が決裂を望んでいるという核心を作り上げ、その確信が決裂を導き、しかもいざ決裂となった場合にこれを欲したのは相手方だというもう一つの確信を双方にもたらすのだ。たとえおどしが本気でなかったとしても、それが成功すればまたおどしを繰り返すようになる。だがどこまでおどし文句が成功するか、その正確な点を決めるのはむずかしい。もし一方が行きすぎると、それまで譲歩を重ねてきた相手方が今度は前進を始める。しかも前者はもう手段を変えることもできず、決裂も恐れない振りをするのが決裂を避ける最良の方法だという考えに慣れきっており(今夜アルベルチーヌに対して私のとった態度がそれだ)、そのうえかねがね譲歩するくらいならいっそのこと戦って倒れたいと考えているので、どこまでもおどしを続けてゆき、ついにどちらももう退くことのできないところに至る。でたらめなおどしが真剣さにまじって交互に現われることもあり、昨日は芝居だったことが明日は現実にもなり得る。(鈴木道彦訳 集英社文庫版第10巻 p303〜304)

こうした外交や軍事の機微についての、プルーストの関心と知識・洞察は、驚くべきもので、たいへんな意外な印象を受ける。
同じように「主観(精神)のこと」を重視した西田幾多郎のような人には、こうしたものは無かったのではないかと思えるからだ。
そこに、よく似ているように見えても、洋の東西の違いという要素があるのだろうか。


ところでプルーストは、先にも述べたように、ドレフュス事件に際しては(主人公と同じく)ドレフュス支持派として活動したわけだが、ドイツとの戦争が勃発すると、愛国者として振る舞い、志願兵として従軍さえする。
その愛国主義も軍事への傾倒も、決して偶然的な要素ではなく、プルーストという人の本質の一部を形成するもののひとつに思える。つまり反ユダヤ主義への反発もそうだが、愛国主義や軍事好きも、性愛や「主観(精神)的なもの」への異常な惑溺と、決して矛盾していないようなのである。
また、「反ユダヤ主義への反発」ということと、愛国主義・対独強硬論との両立は、一見成り立ちにくいようでもあるが、現実にドレフュス支持派から対独強硬派に自然に(必ずしも転向・変節したわけではなく)移行した人が多かったことは、本作にも書かれている。
もちろん、反ユダヤ主義と反ドイツ主義とは別物ではあるから(ユダヤ人もまたフランス国民だという原則的立場をとるなら)、不思議でないともいえるが、こういう移行をして対独強硬派になった人たちは、明確にそういう立場に立っていたのだろうか?


本作の重要な登場人物のひとりである大貴族、シャルリュス男爵の場合は、ちょうどその逆で、ひどい反ユダヤ主義者であったが、ドイツの王族との血縁関係をもっていた彼は、ドイツとの戦争のさなかにも「ドイツ贔屓(びいき)」であることを隠そうとしない人物だった。
そして戦時下におけるそのような態度は、当然庶民を含む多くのフランス人たちの非難の対象になった。
そこには、近代の国民国家の枠からはみ出す「血統」の論理で生きる貴族たちに対する、ナショナリズム化した庶民たちの、一種の階級的な憎悪も込められていただろう(だが愛国的な貴族たちは、むしろ庶民たちの賛美の的となり、そういう貴族たちの為に死にたいと、庶民たちに渇望させるのである。)。
主人公(語り手)は、そのシャルリュスに共感を抱くわけではないが、しかしそうしたシャルリュスとの対話は、主人公に、自らが自明なものとして抱いていた「愛国心」や「反ドイツ感情」を客観視する機会を与える。

何はともあれドイツの思い出は遠いものであるのに対して、ドイツをぺちゃんこにするなどと嬉しそうに語っていやな気持ちを与えるフランス人は、彼にその欠点がよく分かっている人たち、虫の好かない顔の連中だった。こういう場合に人が同情を寄せる相手は、知らない人びと、想像で思い描く人びとであり、すぐそばで卑俗な日常生活のなかにいる人たちではない。もっとも人が完全に周囲の人びとと同化し、それと一体になっているなら話は別である。そしてそのような奇跡を行うのが愛国心で、人は恋のいさかいで自分自身の味方になるように、自分の国の味方になるのだ。(同第12巻 p177〜178)


これは非常に面白い分析で、ここでは「愛国心」というものが、人間にとっての自然な感情を除去してしまう「奇跡」として、やや皮肉交じりに見出されている。
しかし、読んで分かるとおり、この「自然な感情」の方も、一種の偏見として描かれている。(愛国心という病から免れている人は)すぐそばの「卑俗な」人々よりも、「想像で思い描く」だけの他国の人々の方に同情や共感を寄せるのが、人情である。つまりこの「人情」は、一種の偏見を含んでいる。
とりわけこうした偏見的な感情は、シャルリュス氏のような特権的な階層の人々に(自国の庶民たちへの嫌悪感を含んで)有されることが多い、というわけである。


ここで思い出すのは、最近たまたま読む機会のあった、江戸前期の浮世絵師、西川祐信という人の文章である。
この人は、美人画というのか、たいへん艶っぽい女性の姿などを描いて人気の高かった人らしいが、寛保二年に出た『絵本倭比事』という本の中(第10巻)で、こんなことを書いているという。
日本の絵画というのは「上古以来」、「唐調」(中国の絵画)の影響を強く受けすぎて、絵の題材には「唐調」のものばかりを選び、日本の事物や人々の生活の様子などが描かれることが少ない。

『是遠く他の国を信じて、近き我国を卑むるの心ならずや』


というわけである。
「浮世絵」とは、身近な人々の実際の生活の様を描くから「浮世の絵」、浮世絵でと呼ばれる。
江戸時代の浮世絵の隆盛については様々な見方が出来るだろうが、ここに見られるのは、高い地位や学識を持った人々が、他国の文化や生活には(多くの場合、遠いが故の)関心・共感・同情(真の共感である場合も、たんなる同情である場合もありうるが)を寄せても、自国の庶民の暮らしにはたいして共感せず、むしろ嫌悪しさえするという傾向への、庶民たちの反感が、(後の時代の)ナショナリズムと結びつく形で勃興している様子だろう。
これはまだ「階級的な感情」というものではないし、また一方「ナショナリズム」と呼びうるものにもなっていない、(制度に取り込まれる前の)その原型のようなものではないかと思う。
ここには排外的な偏見の芽があると同時に、支配層の偏見と呪縛を打ち破って、実際には国境にとらわれない(グローバルな)庶民たちの生の姿に目を向け解放していこうとする意欲も、感じられると思うのである。




失われた時を求めて』に話を戻すと、第12巻(最終章「見出された時」の前半にあたる)の終りの方では、主人公がシャルリュスとの対話から得た、自分の「愛国心」の客観視ということが、「主観(精神)的なこと」の重視という枠組みのなかで語られることになる。
つまり、私たちにとっての全ては主観に支配されており、純粋に客観的に正しい(事物・事柄についての)感情と呼べるものなど、実は無いのだという考えである。

最後に、ある意味でシャルリュス氏のドイツ贔屓は、アルベルチーヌの写真に注がれたサン=ルーの視線と同様に、私をドイツぎらいから抜け出させはしないまでも、少なくともドイツぎらいが純客観的な正しいものだという信仰からは一瞬のあいだ抜け出させてくれて、こんなふうに考えさせてくれた、たぶん憎しみも愛と同じではないのか、今この瞬間にフランスがドイツに対して抱いている恐ろしい判断、ドイツ人など人類のうちに入らないという判断のなかには、とりわけある種の感情――サン=ルーにラシェルを、私にはアルベルチーヌをたいそう貴重な存在と思わせたあの感情のようなもの――を客観的と見なす態度があらわれているのではなかろうか、と。(同上 p457)

また、(公平にも)こうも付け加える。

おまけにこうした主観的側面は、中立国民の会話のなかにもはっきりあらわれており、たとえばドイツ贔屓の人はドイツ軍によるベルギーでの残虐行為が話題になると、理解しようとするどころか、一時話に耳を傾けることさえやめてしまう能力を持っていた。(にもかかわらず、その残虐行為は本当の話だった。私は憎しみにも、また視覚それ自体にも、主観的なものがあるのを認めたが、だからといって対象が実際に長所や欠陥を備えていないわけではないし、いささかも現実が純粋な相対主義のなかに解消されるわけでもない。)(同上 p458〜459)

読者の中には、語り手のこうした主観主義(「客観的な正しい感情などは無い」)や「公平さ」に、不満をだくひとが居るだろう。
私も、プルーストがこの小説で書いている思想には、何か決定的に欠けているものがあると感じる。
だがそれを批判する以前に、プルーストがその散文によって示した、こうした慎重な断定、世界の出来事に対する接し方のもつ積極的な意味を、よく理解してみようとする必要がある。
私自身はそこから、学ぶべき多くのものがあると感じている。
最後に、作者が老残のシャルリュス男爵に語らせている、戦争に関するひとつの見解を引いておこう。これもまた、さまざまな(自らの)偏見の渦を見つめ続けたプルースト自身の「肉声」であったと思う。

そもそも、社交界ではナショナリストや軍人が不相応に重視される一方で、好戦的でないいっさいの文明は有害なものとされ、芸術を愛する者はだれでも祖国にとって不吉なものにかかわっていると非難されましたが、あのとき私以上に強くそれに抗議した者がいたでしょうか!(中略)私が守ろうとしていたのは単なる社交のしきたりにすぎないと、あなたは言われるかもしれない。けれど、見かけは浮わついたものでも、社交界のしきたりはたぶん多くの行きすぎを食いとめたはずです。私は常に文法や論理学を擁護する人たちを尊敬してきました。五十年後になったら分かるのです、そうした人たちが大いなる危険を回避してくれたことが。(同上 p222〜223)