『生政治の誕生』(ドイツの新自由主義)




(承前)この後、「国家と原子力」というトピックに少しだけ触れた後、フーコーの議論は一気に二百年ほどをスキップし、現代社会、第二次大戦後の「自由主義」のあり方の分析へと移る。この時代の「自由主義」を、過去のそれとは区別して、フーコーは「新自由主義」と呼ぶのだが、その特徴については随時触れていく。
ともかくこの箇所の分析は、色々と目の覚めるようなものだった。
 フーコー新自由主義のモデルとして重視しているのは、米国のもの(ルーズベルトからジョンソンに至る民主党政権の政策への反対として具体化してきた)と並んで、第二次大戦後のドイツ(西ドイツ。ただし、この本には「西ドイツ」という呼称は一度も出てこない。)におけるものである。
 フーコーは、「経済政策の実践によって国家の枠組みを新たに形成していく」(概意)ということを、新自由主義思想の、それ以前の自由主義とは大きく異なった特徴の一つと見なしているのだが、それを現実の政策として実行するのに、ナチスというそれまでの政治体制が徹底的に否定されて解体され(もっとも、フーコーはあまり触れていないが、ナチス自身がそれ以前の国家機構を解体するようなものだったということもあると思う)、なおかつ東西に分断されて、過去からの連続としての「国家」という枠組みを参照できなくなったという戦後のドイツの特殊な事情が、有利に働いたと考えているのだ。
 そうした新自由主義的な主張が、その後必ずしもドイツの経済政策の全てを支配したとはいえないが、それは戦後ドイツの「経済成長」にとって、その初期の段階から大きな役割を果たしたそうである。
 このことは、ドイツと似たような状況にありながら、「護送船団方式」という言葉に代表されるように、あるいは岸信介のような人物にも象徴されるように、戦時中の「統制経済」の継続のようにして遂行された戦後日本の経済成長と比べると、対照的といっていいほど違いがあるのではないかと思った。
 その一方で、いま書いたように、経済を中心とした政治の実践・国家の形成(経済以外のものを国家の中心に据えることは戦後ドイツにとってはタブーのようなものだったのだから)ということは、新自由主義的なイデオロギーに沿ったものだといえるが、ドイツにおいてその遂行を現実に保証し可能にしたものこそ、「経済成長」だったと、フーコーは言う。

 つまり、この自由主義システムの支持が、法的正当化以外に、過剰生産物として、恒久的コンセンサスを生産するということです。そして、経済制度から国家へと至る系譜と対をなし、経済制度から体制およびシステムの包括的支持へと至る回路を生産することになるもの、それが、経済成長であり、その経済成長による安寧の生産です。(p102)

したがって、もはや歴史の時間性ではなく経済成長の時間性であるような時間性の新たな次元がドイツに設けられることになる。その限りにおいて、歴史の断絶が記憶の断絶として生きられ受け入れられうることになります。時間軸の反転。忘却の許可。経済成長。私が思うに、こうしたすべてが、ドイツの経済的かつ政治的システムが機能するやり方の核心そのものにあります。安寧の増大、国家の発展、歴史の忘却の増大によって生産されるものとしての、経済的自由。(p103〜104)

 この、経済成長の国家イデオロギー化と、歴史の忘却とのつながりというところだけは、日本と重なると思う。このフーコーの講義が行われた70年代末には、まだ歴史修正主義をめぐるドイツでの論争は起きていなかったと思うが、少なくともこの時期までは、日本とドイツの「歴史」に対する社会全体のとらえ方(経済成長の中での忘却)には、(上述の違いにも関わらず)共通性があったということだろう。


 さて、戦後ドイツの政策決定において力をもった新自由主義的思想の源流を、フーコーは戦前の「オルド自由主義者」と呼ばれるドイツの経済学者たちのなかに見出していく。このくだりは、特に興味深かった。
 フーコーの要約を一言でいうと、「オルド自由主義者」と呼ばれた人たちは、ナチスに反対したわけだが、ナチスを資本主義的矛盾の産物や延長であるとか、または国家機構の破壊者であるという風に捉えるのではなく、逆に国家主義の極北のようなものとして捉えたのだった。そして、市場経済の自由を抑圧するところに、ナチスというものの本質を見出して批判した。したがって、スターリニズムも、ニューディール政策をはじめとする米国民主党政権の政策も、イギリスの福祉国家体制も、すべてナチズムの同類とされ、「市場の自由」の名において非難されることになるのだ。

 オルド自由主義者たちが主張するのは、この定式を完全に反転し、市場の自由を、国家をその存在の始まりからその介入の最後の形態に至るまで組織化し規則づけるための原理として手に入れなければならない、ということです。つまり、国家の監視下にある市場よりもむしろ、市場の監視下にある国家を、というわけです。(p143)

市場は実際に国家と社会とを形式化する力を持ちうるのだろうか。これが現在の自由主義の重要な問題、主要な問題なのであり、その限りにおいて、ここには、伝統的な自由主義的企図との関係において絶対的に重要な変異があります。問題は、ただ単に経済を自由にしていくことではありません。問題は、政治と社会に形式を与える市場経済の力がどこまで拡張されうるのかを知ることです。(p144)

 すなわち、憎むべきは「国家の支配」であり、擁護されなくてはならないのは「市場の自由」である。
 ここでは、市場経済の現実を、認識するべき「自然」として捉えた従来の自由主義からは、根本的な変更が生じている。市場の現実を構成する根本原理である「競争」(19世紀末に、自由主義者たちはこの概念に主役の座を与えたのだが)は、たんに「自然」として見いだされ認識されるような所与ではなく、むしろ政策的な介入によってその十全な状態が実現されねばならないような理念的なものと考えられることになるのだ。
 フーコーは、ここに「オルド自由主義者」に対するフッサールの思想の影響を指摘している。

こうした競争の問題を中心に据えた自由主義、競争を中心に据えた市場の論理に対して、オルド自由主義者たちは、[彼らに]種別的なものと思われる何かを導入することになります。(中略)フッサールにとって一つの形式的構造がいくつかの条件なしには直観に与えられないのと同様、本質的な経済的論理としての競争は、注意深く人為的に整備されたいくつかの条件のもとでしか出現しないし、その諸効果を産出しないでしょう。(p146〜148)

したがって新自由主義は、自由放任の徴のもとにではなく、逆に、警戒、能動性、恒久的介入といった徴のもとに置かれることになるのです。(中略)つまり介入する自由主義です。(p164〜p165)

「介入する自由主義」、これが新自由主義の、従来の(自然主義的・自由放任的)自由主義とは大きく異なる特徴の、もう一つの言い表し方だ、ということになる。 
 それは、「競争」という市場の根本原理をより十全に働かせるための制度を作り出すために、積極的な政策介入を行うことを旨とするような「自由主義」なのだ。


 引き続いて、フーコーはより具体的に、1950年代のドイツにおいて「オルド自由主義者」たちが理論化して提示した「介入」のあり方を紹介していく。
 それは例えば、その目標としては、唯一「価格の安定」ということがあるのみである。それ以外のこと、例えば完全雇用の維持であるとか、購買力の維持であるとかいった目標を立てるなら、それは「市場の自由」を損ねる誤った介入とされる。
 次に、その目標を実現するための道具としては、金融政策の利用(公定歩合の創設)をはじめとして、税制の変更など幾つかのものがありうるが、市場の自由を損ねる計画化的な道具は一切用いてはならない。とりわけ、失業率に介入してはいけない。失業はむしろ、競争と市場の自由が十全に実現されるために必要なものでさえあるのだから。
 さらに、もっと重大なことに(と、フーコーは言う)、この自由主義においては、「枠組み政策」という名で、市場経済の外部的な条件を整備するための積極的政策介入が必要とされる。その対象は、人口、技術、学習と教育、法体制、土地の使用権、さらには気候、などである。「新自由主義」は、経済(市場の競争)には極力介入しないが、外部的な条件に対しては大規模な介入を行うのである。
 次に、社会政策に関していえば、それまでの自由主義においては、社会政策は、競争によって生じた不平等を是正し、社会を補完していくような意味があった。ところが、新自由主義にとっては、社会政策は逆に、『不平等を作用させておく必要』(p176)から要請されるのである。再分配は、せいぜい最低限の生存の保障のために行うものであって、決して不平等の是正というような目的をもって行われてはならない。不平等を不可欠のものとする競争原理の十全な展開のためにのみ、社会政策は行われるべきだ、というわけである。
 さらに、フーコーは、こうしたものとしての社会政策を実際に担うのは、「民営化」以外にはありえないと指摘する。新自由主義は、病気や事故などといったリスクから個人や集団を守ることを、決して社会に要請しない。それは結局、社会保障が消滅し、各個人が「資本」となって、各々の稼ぎと貯蓄でそれぞれに「保障」をまかなう、ということである。これは当時のドイツで、「個人的社会政策」と呼ばれたそうだが、要するに社会政策の個人化、社会保障という制度の消滅といっていいだろう。
 以上のことから、『真の根本的な社会政策はただ一つ、経済成長のみである』(p178)という考えも生じてくる。
 新自由主義的社会というのは、決して『商品効果に従属した社会ではなく、競争のダイナミズムに従属した社会である』(p181)と、フーコーは言う。言い換えれば、それは消費社会ではなく、「企業社会」である。その意味は、各人がたんに企業に従属してるということではなく、各人が「企業」となり、企業(競争)の論理のもとに一生を送る、ということだ。
ホモ・エコノミクスとは、決して消費する人間ではなく、企業と生産の人間だ、とフーコーは言う。
 たとえば、「オルド自由主義者」の代表的な一人である、ある経済学者は、家族や地域社会の有機的な再構築といったことを含む社会全体のあり方の提言を行っているが、その意図するところは、生の全体を政策によって「企業」の論理のもとに染め上げることだった。

社会体の内部において、このように「企業」形式を波及させること、これこそが、新自由主義政策に賭けられているものであると私は思います。問題は、市場、競争、したがって企業を、社会に形式を与える力のようなものとすることなのです。(p183)

 1930年代から「オルド自由主義者」たちによって提唱されていた新自由主義の統治術が目指したものとは、

商品や商品の画一性にもとづく社会を得ることではなく、逆に企業の多数多様性とその差異化にもとづく社会を得ることなのです。(p184)

 ここには、同時期のドゥルーズの管理社会論と同様の考え方が認められよう。
 さらに、フーコーハイエクを引きながら、新自由主義社会における法制度のあり方に言及し、そこでは『国家は、経済プロセスに対して盲目でなければならない』のであり、『個々人にとってと同様、国家にとって、経済は一つのゲームでなければならない』(p213)と語る。つまり、国家は法制度によってゲームの規則を定めるのみであり、「企業」(個人など)を主体として行われるそのゲームの内容に介入することは、出来もしないし、許されないのだ。
 そこでは、国家・公権力がこのように市場というゲームの場から退くことによって、それに代わって「企業」間の調整・仲裁の役割を果たすものとしての裁判や訴訟の重要性が増してくることになる、とされる。


以上で、本書の前半が終わり、ここからこの時代のフランスと、米国の新自由主義が論じられていくようだ。
僕はここまでを読んで、テレビや新聞の経済ニュースで、また政治家・官僚や学者・評論家の発言において、どういう論理が語られているのかを、かなり具体的に直観できるようになったと思う。もちろん、それへの賛否は別である。