日本政府による蛮行を非難する

http://www.asahi.com/politics/update/1124/TKY201011240154.html

http://www.asahi.com/politics/update/1124/TKY201011240386_01.html


今回の朝鮮半島での出来事が、誰にとっても看過することのできない深刻さを持つのは、それが本格的な戦争と混乱の危機を、そこに暮らす人々の上にもたらしかねないからだ。
そこで、日本の政治家たちも公式に発言しているように、この事態が大規模な衝突に発展しないように努力する責任が、この半島に関わる全ての者にあるといわねばならない。


だが、この事態に対応して、日本の政権が行おうとしている朝鮮学校無償化の「手続き停止」は、この責任を放棄するどころか、国内と地域に憎悪と不信の種を撒くような愚行、いや「蛮行」である。


朝鮮学校が、朝鮮民主主義人民共和国の国立の学校ではないということは、すでに言われ続けてきたことだし、また日本政府自身、朝鮮学校への制度適用について「政治、外交上の問題は配慮しない」との見解を示してきたことは、上の記事にもあるとおりだ。
国内の全ての高等教育機関への普遍的な制度適用という趣旨を、ここで政治の事情によって捻じ曲げるということは、日本という国が、政治的対立を理由にして、対立国に関わりがあると「見なした」人々(少数者)の人権を公然と奪う国であるということを、内外に宣言するも同然である。


しかも朝鮮学校の無償化をやめたところで、国際政治上、それがどんな(制裁的な)効果ももたらすはずのないことは、いかに政治音痴の政治家たちであっても、誰でも知っていよう。
ましてそれが、平和や事態の沈静化に関わりのあろうはずがない。
にも関わらず、あえてそれをするのは、しかも総理大臣自身が「自分が指示した」と自慢げに語るというのは、「国内世論」の支持をあてにしてのこととしか考えられない。
「北の暴走」に対する強硬な態度で、支持率の回復を狙ったのだろう(日本の政治家には、朝鮮半島の平和などどうでもよく、自分たちの政権の安定の方が大事なのだろう。)。
これはすなわち日本の政府は、国内の排外主義的・差別的な世論を抑えられないどころか、それを拠り所にさえしようとしており、権力や自国の権益のためには、国の内外に公然と「敵」を作り出して、そこに非道な攻撃をしかけることも厭わない体質を持っていると、自ら世界に示唆するようなものである。


こうした姿勢は、日本による支配や侵略の過去を忘れていないアジアの人々には、この国の悪しき体質の復活として受けとめられ、緊張と反感を惹き起こすだろう。


実際に今回の「手続き停止」措置は、公然と「敵国の人間」のように扱われ、政府によって人権を否定されることで、権利を失うのみならず、国内の(圧倒的多数の国民による)排外主義的な暴力のさなかに突き出される形になるであろう人たちにとっては、まさしく「人身攻撃」であり、国家暴力と呼んでよいものである。
これはたんに、「日本は差別的な社会だ」というようなこととは違うのだ。国家による、排除の対象の名指しのようなものである。


国家が、社会全体の「敵」、公然たる排除と攻撃の対象を指定する国、その方向に日本が決定的な一歩を進めるということであり、要するに日本が再び軍事国家の方向に進みだすということだ。
こうして日本は、内外に、不和と緊張の芽を撒いていく。
かろうじて維持されてきた平和(それに非差別)という貴重な薄皮を破って、周辺地域に戦争と迫害の不安な火を再び広げようとしているのは、むしろ日本なのだ。