『ビヒモス』その3

フランツ・ノイマン著『ビヒモス』の読書ノートの三回目。

ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年)

ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年)




今回は、ナチスの政治形態や思想を論じた第一編のうちの後半について書こうと思うのだが、実は僕が持っている本(1976年発行の第七刷)では、この箇所に計8ページも落丁がある。文があるべきページがまるまる白紙なのだ。
はじめ気づいた時は、検閲か何かかと思ったほどである。古本だけに言って いくところもない。僕のような門外漢にとっては、それによって理解の程度が大きく左右されるということもないだろうが、得心のいかないことこのうえない。
いくらナチスを題材にした本だといっても、ページにまで「穴」を作ることはなかろうと思うのだが。


第一編第六章で著者は、ナチスの人種的帝国主義理論を分析している。
まず重要な点は、ナチズムはドイツ帝国主義の延長上にある、ということである。

ドイツ社会の帝国主義的諸勢力は、国民社会主義党に、帝国主義の大衆的基盤をつくるのに必要な同盟者を見出した。(p168)

戦争は実は大衆の自発的要求の結果なのであって、たった一つのグループの意識的な政策ではないというように見せかけるために、巧みな宣伝や下層階級に物的利益を与えることによってナショナリズムを強化することは、自由主義的デモクラシーの枠内ですら、今でもまだ可能なのである。(p169)

「今でも」どころか、その後もずっと可能であり続けていることを僕たちは身に染みてしっているが、当時のノイマンには、ドイツ国民は「宣伝とテロ」によってナチスに籠絡され、一時的に支持もしくは追従してるだけで、本心からのファシストになったわけではないはずだという強い思いがあった。だから、それを解除し、ヒトラーと民衆との間に「楔を打ち込む」ために、ナチスの「誘惑」のやり口を分析することは何より重大な関心事だったのだ。
では、この大衆への「巧みな宣伝」は、ナチス(国民社会主義党)においては、どのようになされたか。それが、「プロレタリア的人種帝国主義」というナチスの教説だと、ノイマンは言う。
ドイツとイタリアは、金権主義的・資本主義的・ユダヤ人的な世界に包囲されたプロレタリア的人種だという教説によって、ナチスは、一時はマルクス主義に惹かれていたドイツの労働者大衆のナショナリズム的心情に訴えたのである。
ドイツに元々強い人種的な国民概念・ナショナリズムと、ユダヤ人や資本主義やイギリスに対する大衆の反感や偏見に訴えかけ、またマルクス主義のレトリックを巧みに流用することで、ナチスは労働者を誘惑していった。
党名の「社会主義」は、左翼から奪った、労働者を取り込むための錦の御旗みたいなものだ。
社会主義」や「プロレタリア」という言葉を奪いとり、それを錬金術的に変質させてしまうことで、ナチスマルクス主義(左翼)を滅ぼそうとしたのだと、ノイマンは書いている。

新たな国民社会主義イデオロギーは明らかに、マルクス主義的な労働者階級を罠にかけることを目的として、マルクス主義イデオロギーをねじ曲げたものである。(p173)

都知事選を見ていても、このような「ナチスのやり口」が、日本ではいまだに大手を振ってまかり通っているのには、まったく唖然とするほかない。


ところで、大衆社会においてナチスの台頭を支えたのは、労働者(プロレタリア)階級よりも、何といっても中産階級だったことは、よく知られているところだろう。
ノイマンは、イギリスでは帝国主義の膨張にブレーキをかけたのは、大きなリスクや不安定を望まない利子生活者だったことと比較して、当時のドイツの状況を次のように述べている。

ドイツの利子生活者階級は、インフレ中に一掃されてしまった。戦争のために、外国投資はすでに破壊されてしまっていたし、インフレのために国内の蓄積も一掃されてしまった。繁栄していた中産階級の壊滅が、侵略的な帝国主義に対するもっとも強力な刺激となってあらわれた。というのは、重工業による再軍備帝国主義の推進に心からの支持を与えたのは、失うべきものをほとんど持たぬ中産階級部分だったからである。(p181)

つまり、当時のドイツにおける中産階級は、実際には没落してプロレタリア化していたわけだが、彼らの多く(とりわけ男性だろうが)は、それを認めたくなかった。「プロレタリア的人種帝国主義は、その心理に巧みにとりいったのだ。

彼ら(中産階級)にとっては、この新理論は、より大いなる栄光への心理的要求を具体的に公式化したものなのである。ワイマール共和国時代には、中産階級に属する人々は、プロレタリアなどと呼ばれることを、自分に対する侮蔑であると考えた。ところが今日では、彼をプロレタリアだと呼ぶことは、彼の地位に最高限の栄光を与えることなのである。(中略)社会帝国主義(「プロレタリア的人種帝国主義」とほぼ同義)は、国民社会主義イデオロギーのもっとも危険な公式である。(中略)それは、失業者、独占化の過程で安全を失ったがプロレタリアと呼ばれることを望まないあらゆる人々に訴える力をもっている。(p194〜195)

中産階級の、とりわけ家長主義的な傾向が強かった成人男性たちの、鬱屈した心情にとりいったところに、ヒトラーの成功の大きな要因があったというのは、ライヒなどとも共通する見方であろう。



最後にもう一点、日本の現状や歴史との類似ということで書いておきたい。
ノイマンは、ドイツの近代史を振り返って、こう書いている。

産業ブルジョワジーが、議会制民主主義のために闘う能力あるいは意志を欠き、帝国の半絶対主義的体制に屈従し、彼らの全精力を侵略的な帝国主義に傾注したということは、まことにドイツ史におけるもっとも驚くべき現象である。ドイツの政治的自由主義は決して穏健でも人道主義的でもなかった。それどころか――たとえその形態が民主主義的にみえようとも――それは侵略的で残忍であった。(p184)

ここで「産業ブルジョワジー」と言われているのは、直接には文字通り資本家や産業界のことだが、その後マックス・ウェーバーの名前が例に挙げられてたりするので、広く知識人や「自由主義者」を含んだブルジョワジー一般のことと捉えていいだろう。
それらは本質的に「侵略的で残忍であった」とノイマンは断じているのだが、それは明治以後の日本に、また戦後、とりわけ近年の日本にも、同様にあてはまるのではないだろうか?
ビスマルク時代以後、ドイツの自由主義勢力は、産業資本や軍部などの帝国主義勢力と結託してきた。そのもっとも極端な形は、「汎ドイツ同盟」と呼ばれる団体で、これは会員に自由党員、財界人、産業家、教員などを広く網羅し、ドイツ帝国主義の拡張と権益の擁護に努めて、ナチスの『イデオロギー上の直接的先駆』となったと、ノイマンは書いている。

これは、数の上では決して強大ではなかったが、異常な宣伝組織をもち、陸海の再軍備と植民地拡張と侵略的な反イギリス政策とを絶えず扇動した。(p186)

今で言う、日本財団みたいな団体か?


実は、こうした歴史の中で育まれてきたイデオロギーが、社会帝国主義であり、それが国民社会主義(ナチズム)の発想の原型なのである。
それは、軍備増強と植民地支配の拡張を行いたい軍部や産業界が、大衆や自由主義者を抱き込むために、社会改良(福祉政策など)の決定とセットにしていこうという戦略だった。
いわば帝国主義者たちは、社会主義者の「お株を奪う」こと、つまり「ナチスのやり口」の原型のようなものを覚えたのである。

社会改良と世界政策との融合によるより高次の統一とは、国民社会主義であった。(p188)

この辺を読んでいると、現在の状況はもちろんだが、大正デモクラシーの意味などについても、あらためて考えさせられる。


(次回へ続く)