ETV特集 安保とその時代(1)

敗戦の直後、朝鮮戦争の勃発までは「全面講和」「アメリカとの同盟反対」が多数意見だったのに、朝鮮戦争の勃発で世論がまるっきりひっくり返ったという話。


戦争を経験して、本気で平和を願ってた人は多かっただろうし、「平和問題談話会」の人たちの努力も学ぶべきところが多いのだろうとは思う。それを否定しようとは思わない。
でもやっぱり、隣の朝鮮半島、それも自分たちが戦争に負けるまでは植民地支配していて、その独立に手を貸したわけでもない国の人たちが、あれだけ大量に目の前で死んでいるというのに、その現実をどうするのかという視点を欠いたところで自国の「平和」を語ったり、安全保障の行方を決めたりというのは、そもそもまともな結果を生み出せるわけがないと思う。
だから日本の世論が全面講和やアメリカとの同盟の支持に動いていったこと、それに反発する場合も、ナショナリズム的な傾向を免れなかったこと、「平和勢力」が十分な抵抗を(恐らく)貫徹し得なかったこと、それらはやはり、当然の成り行きだったと思わざるを得ない。
そしてこの「視点を欠いた」という部分は、今の日本でもまったく変わっていない。
だからやはり、朝鮮半島の情勢が、軍事力の増強やアメリカとの軍事的関係強化の理由として、強力に機能するのだ。


これは、中国に対する関係でも同じ。
結局、自分たちが何をやってきたかということ、侵略戦争や植民地支配で巨大な被害を及ぼしたという現実に向き合ってないということが、「平和」を考える上での出発点のようになってしまってる*1
だから、自分たちの存在が、周辺の国にどう映っているか(映ってきたか)を客観視出来ないままに、簡単に「脅威論」が蔓延する。
この構造が、戦後60年以上経つのにまったく変わってない、むしろ強化されてるとしか思えないことに、目まいのようなものを感じる。

*1:ぼくの無知の故にこの番組で一番驚かされたのは、50年の中ソ同盟では、まだアメリカは明確な仮想敵国とはされず、「日本及び日本の軍事的同盟国を仮想敵国と見做す」と記されていた、という話。当時の状況を考えれば当然なのだろうが、これも日本に対する自他(特に侵略や支配の被害国)の意識の隔たりの大きさを象徴する事例だと思う。