プロジェクトJAPANシリーズ 日本と朝鮮半島 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後

きのうの本放送と、今夜の再放送と、二回見た。


非常に印象的だったのは、後半に出てくる元GHQの男性が、「アメリカ側は次第に日本の(朝鮮人に対する)偏見に染められていった」と語っていた場面。
貴重な証言をしてる人の言葉にいちゃもんを付けても意味がないと思われるかもしれないが、誰にとっても大事な点だと思うので書いておきたい。


日本人と日本政府が、朝鮮人に対するいわゆる差別感情、より的確にいえば憎悪と反感と警戒心、恐怖心といったもので満たされていた(いる)ことは事実だろう。
だが上のような言い方ではまるで、自分たちアメリカの側は、そういう偏見とは無縁だったし、そうした感情があることを知らなかったし想像も出来なかった、みたいに聞こえる。
事実、番組でも、そういうニュアンスの説明が語られているところがあった。
だが、植民地統治のようなことを行えば、特に支配者である側の社会にどのような偏見と差別の感情が溢れるかということを、そうした統治の創始者ともいえる欧米、特にアメリカの政治家や官僚、軍人が知らないはずはないだろう。
自分たち自身が、そうした感情に基づいて日本を(原爆投下を含めて)爆撃し、朝鮮やベトナムで虐殺を行い、今もイラクやアフガンで非道な殺戮を繰り返しているわけだから。
いやそれ以前に、自国の内部で、先住民や黒人に対して、それを行ってきた。


それにも関わらず、日本人の朝鮮人に対する差別感情、及び朝鮮人の日本の支配に対する憤りを予測できなかったのだとすれば、それはアメリカの当局者たちが、自分たち自身の差別意識にあまりに浸かりすぎていてそれを自覚できなかったか、もしくは東洋人に対するあまりに深い偏見のために自分たちの問題とのアナロジーとして事情を把握できなかったか、さもなくばその両方かであろう。
要するに、いずれにしてもここには抜きがたい差別意識、いや差別の構造があるということである。
だがそのことは、少なくとも上記の事柄に関する限り、アメリカの当時の当局者たちの意識にはのぼっていないようである。


これは、在日朝鮮人をめぐる事柄について、根本的な責任や原因を有するのは、アメリカ(及び冷戦体制)なのかそれとも日本なのか、といった問題ではない。
そうではなくて、現在もなお世界中で多くの人の血が流され続けている現実を、私たちが正当化してしまうメカニズムが、ここにあらわれているということだ。
それはつまり、悪しきもの、たとえば差別や偏見というようなものは、どこか私たちの外部にあって、それに私たちが「汚染」されるとき、私たちもまた悪に迷い込んでしまうのだ、といった欺瞞的な発想である。
悪しき事柄を、なんでもかんでもアメリカの占領や「対米従属」のせいにする、多くの日本人も、同じ発想を共有していることは、言うまでもあるまい*1


東大阪のお寺のお坊さんが、「三つ子のときに、人間の魂の一番奥に手を入れて抉られた」というふうに苦悶を語っておられたが、それは決して過去の出来事ではなく、また私たちにとって「他人事である悪」ではないことを、肝に銘じるべきだろう。

*1:無論、日本の「対米従属」は、自国の元来の差別構造の温存どころか強化と、アメリカの侵略的な行動への加担を意味しているのだから、反対するのが当然ではあるが。