劇団タルオルムの公演を見て

さる6月19日、東大阪朝鮮初級学校で行われた劇団タルオルムの公演、『金銀花永夜−クムンファヨンヤ−』を鑑賞してきた。
http://hamoblo.com/talorum/


この劇は、ある朝鮮学校の校長を勤める女性を主人公にしたものである。
彼女には、朝鮮学校が日本に作られ、また激しく弾圧された時代の記憶が鮮明に残っている。劇の始まりでは、暗転すると何の前触れもなく、客席とまったくフラットな舞台の上で弾圧当時の回想シーンが演じられ、観客は一気に緊張感に包まれる。「我々は朝鮮学校の存在を許さない」というスピーカーの声が響き、異様な服装の男たちが室内に乱入して人びとに暴行を働こうとしているその禍々しい回想には、どこか現在の状況が二重写しにされているようでもある。
朝鮮学校を取り巻く苦しい状況のなかで、子どもたちだけでなく、教師たちの数も減り、この年配の教師の負担も多大なものになっているのだが、ある日彼女は、癌で余命いくばくもないという告知を受けるのである。
新たに辞職する若い教師も出て動揺する学校に、死の告知を受けて病院から戻ってきたこの女性校長が言う台詞、

明けた朝は、新しい朝を迎えるために、必ず一度は暮れる


という言葉は、「暗い夜も、いつかは朝を迎える」という風に容易く(やや他人任せに)希望を語るのではなく、目の前に迫った過酷な現実を見据え、いつか遠い未来にであっても希望の光を次の世代に勝ち取らせるために、今はすすんでこの現実を受け入れよう。それを耐える決意を、未来を信じて立ち向かう力に変えようという、強靭な意志を感じさせるものだと思った。
この女性自身が共に歩んできた朝鮮人たちの歴史の苦難が、この言葉の背景に込められていることを思わせる。


また、終盤近く、校長の訃報を聞いた若い女性教師が、その事実を校長を慕う子どもたちには伏せたまま、文化発表を行う子どもたちの姿を見守る場面で、「子どもたちに嘘を言ってもいいのか?」と同僚に訊かれて、

この子たちには、(嘘を言っても)今は希望こそが必要なのだ。これからさき、どれほどの苦難が待っているか分からないのだから


と語る台詞も、現状の過酷さに胸を突き刺される思いがすると同時に、その過酷さから目をそらさずに生き抜いていこうとする、生への強い意志が感じられて、強い印象を受けた。



もうひとつ、たいへん印象深い場面がある。
それは、主人公を含めた数人の教師たちが、夜の酒や食事を共にしているときに、ある年配の男性教師が、胸に溜まった思いをぶちまけるところである。
彼は、今の若者や子どもたちを見ていると、自分の若い頃とは違って、「野生の朝鮮人」がいなくなった、と嘆く。
分かりにくい言葉だが、その真意はこうである。
朝鮮学校では、朝鮮人として立派に生きていく子どもたちを育てることを目的にしているという。
だが、教えているわれわれ自身、朝鮮の本国で、たとえばどういう風に運転免許をとったらいいのか、交通法規は具体的にどんなものがあるのか、正確に答えられる人がどれだけ居るか?
そういう、朝鮮の社会で生きるにあたっての具体的な知識を身につけさせるということが行われていないのなら、今のこの朝鮮学校の教育は、(言葉や歴史は教えても)立派な朝鮮人の子どもを育てるという目的を、ほんとうに実現してるといえるのか?
それは、この日本の社会のなかで生き抜いていくための教育にはなっていても、自分の国の生活の現実からは遊離した、どこか虚しいものではないのか。
おおむねこのような内容だったと思う。


この台詞に躓く思いがしたのは、私は普段朝鮮学校について考える場合、「朝鮮の本国で生活する」ということとの関連において、考えるということがなかったからだ。
どうしても、日本の社会が文化的な多様性に寛容であるべきだとか、いわば、朝鮮学校を「日本にある学校」として捉える前提のもとで考えてきた。朝鮮学校に通う人たちの問題を、いつもどこか「われわれと同じ日本社会のメンバーの問題」として共有すべきことと考えてきたのである。
だが上の台詞においては、朝鮮の本国における具体的な生活に結びつかないような教育は、自分たちが目指しているものとは違うのではないかというジレンマが語られている。
日本社会における問題、というのとは全く別の地点で、人びとの悩みや葛藤が語られているということ、その彼我の意識の隔たりを突きつけられた思いがして、戸惑ったのだ。
無論そのことは、私の考える「われわれ」なるものが、いかにこの人たちの存在を、とりわけその「悩みや葛藤」の内実を視線から都合よく排除したところに成り立っているものかを示している、と思うのだが。


とはいっても、この台詞は、実際に朝鮮学校を出た人たちが、朝鮮という国で生活するようになるということとは、必ずしも結びつかないだろう。
ここで語られているのは、生きる上での心の拠り所の問題だと思う。
自分たちが拠り所とする国(土地)における実際の生活と結びつかないのなら、どんな教育も知識も、どこか足場のない抽象的なものになってしまう。
日本人マジョリティーである私は、普段そのことを意識しないけれども、現実に生きていくためには、抽象的でない、自分の存在と世界とをつなぐ拠り所としての場所が必要であり、そういうものとして、「祖国」(故郷)はここでは考えられているのではないか。
かりに生涯を日本なら日本で生きる場合でも、その拠り所との結びつきが心のなかで得られているなら、それは子どもたちひとりひとり、大人たちひとりひとりにとって、生きる力の土台のようなものを提供するだろう。
だが実際の今の朝鮮学校の教育は、その理想から離れてしまいつつあるのではないか?
それは、日本の社会で生きることに適合するものではあるかもしれないが、どこかしらその人が生身の人生を生きる力とは離れた、虚しいものなのではないか。
これが、「野生の朝鮮人」がいなくなった、という嘆きの意味だと思う。
ここでは、そういう苦しい思いが語れていたと思うのである。


つまり問題なのは、誰にも、当たり前に生きていくための確かな拠り所が、提供されなければならない、ということである。
在日朝鮮人は、日本の社会のなかで、ずっとそういうものを奪われてきた人たちだった。
朝鮮学校は、それを提供するための場所として、きわめて重要な機能を果たしてきたし、今もやはりその役目を担っているのだと思う。
いまそれが危機に陥ったり、あるいは(この教師が言っていたように)変容しつつあるのだとすると(無論私は、この主体的な変容のあり方の是非を判断する立場にはないのだが)、それはこうした人たちが、再び(当たり前に生きるための)確かな拠り所を失いつつある、ということだ。
すでに奪われてあり、いま性懲りもなく、二度目の剥奪が行われようとしているのである。


私たちは、この危機を阻止しなくてはならないと思うが、同時に思うのは、こういうことである。
この人たちは、そうした数多くの危機に立ち向かい、自分たちの「拠り所」を守り続けてきた。
それが、朝鮮学校の歴史そのものだろう。冒頭のシーンをはじめ、この劇で繰り返し描かれ語られるのは、その記憶である。
だが私たち自身は、社会のなかで、支配的な権力に抵抗しながら生き抜いていくための、そうした「拠り所」を、自分たちで築いたことがあるだろうか?
そもそも「拠り所」というものを保つことの重要さ、切実さを、強く自覚したことがあるだろうか?
その経験と自覚のないものに、他者の「拠り所」を擁護することなど、そもそも出来ないのではないか?


この演劇から伝わってくるのは、大切なものを支配に抗して守り抜くこと、闘いつづけることの意義を、身をもって知っている人たちの、生への信頼と、意志の強さ、誇り高さだ。
この人たちは、私たちに「擁護」されることなどを、求めてはいないだろう。
彼ら彼女らは、ずっとそうしてきたように自分たちの闘いを続けてゆくだろうし、それが「当たり前に生きる」ということの意味そのものなのである。
当たり前の生を生き続けるための闘いを、このどうしようもない社会のなかで、これからもこの人たちは続けてゆくであろう。
その姿を目にして、同じ道を進むのかどうかは、ただ私たち自身の決断に委ねられているのである。



付記: この劇の作・演出を手がけた金哲義さん主宰の劇団Mayのマダン劇『碧に咲く母の花』が、14日水曜から3日間、大阪の中津で上演されるそうです。

http://may1993.hp.infoseek.co.jp/rear3aonisaku.html