- 作者: ジャン=ポールサルトル,Jean‐Paul Sartre,松浪信三郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/01/09
- メディア: 文庫
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サルトルが「根本的な企て」と言ってるものは、結局、「我有化する企て」のことらしい。
人間は誰もが、全ての行動(と非行動)において「神になること」を目指して、すなわち、それぞれの仕方で世界と自分を一体化させることを目指して(根本的に)投企している。この意味で、全ての行動と非行動は、等価である。
この「我有化する企て」以上の規範のようなものは存在しない。
つまり、自由って、ことだよな。
サルトルが、人間の全ての生を「我有化する企て」と定義している意味は、われわれの行動が、徹頭徹尾「自由」だというところにあるのだろう。
規範に従属することを根本にしている「新自由主義」などは、やはりサルトル的な「自由」の対極にあるものだと言えそうだ。
また、「神になる」といっても、責任を免れるということではなく、置かれた状況のなかで、無限に責任を引き受けていく、というような意味らしい。
このへんは、読み直さないと、よく分からないな。
これまでいくつかの思想書を読んできたけど、やはりこの本は、特別なものがある。
これだけ読者を勇気づける、元気づける哲学は、他にあまりないだろう。
文中、キルケゴールの名前が出てくるのは、一箇所だけである。それは、ヘーゲルを乗り越えるものとして出てくる。サルトルは、ヘーゲルから甚大な影響を受けたはずなので、キルケゴールの名が一度しか出てこないことは、逆に彼にとってのキルケゴールの存在の大きさを示しているのではないだろうか?
松浪信三郎氏による訳文も、はじめは「京都の老舗のかばん屋みたいな名前だなあ」ぐらいにしか思わなかったが、読み進むうちに、素晴らしいものであると実感した。