『伊藤仁斎の世界』(読書中)

伊藤仁斎の世界

伊藤仁斎の世界

この本では、伊藤仁斎の思想の特徴が、二つのものに対置されて語られているといえる。


ひとつは、朱子学の特徴である形而上的なものの考え方。これは一口に言うと、天や自然界や人間の内面といったどこかに、現実に生きている人間の生を規定するような超越的な原理が存在するという発想だ。道徳の場面では、その原理が規範となって、人間の行動の是非を判定する、ということになる。
もうひとつは、儒家の古くからの伝統であり、仁斎以後の日本の人では荻生徂徠によって代表される「経世家的」な思考というものである。それは、統治者の観点から、人々(民衆)の感情や生を把握し、よき秩序形成のための道徳を語る。
この二つのものに対置されることにおいて、仁斎の思想は、いわば解放の思想として見出されているのだ。
著者はそれを、「人間主義的」という言葉で語ろうとしているようだが、別の言い方をすれば、「人人」の日常の実践を道徳的な社会形成の根本(主体)と考えるという意味で、民衆主義的とも呼べる可能性を持つものではないかと思う。


その思想のあり方は、たとえば、認識に対する実践の優位として見出される。
ちくま学芸文庫版の『存在と無』(松浪信三郎訳)の訳注によると、レヴィナスサルトルを論じるなかで『実存主義とは、動詞を他動詞として感じかつ考えるところにある』(第1巻訳注より)と述べたそうだが、この意味で、本書で語られている仁斎の思想は実存主義的、少なくとも非常に実践主義的なものだといえる。

個々の行為主体の実践の課題は、人がその日常においてかかわる個別的人倫関係において忠信を実現することである。しかしその忠信の実践によって、人倫的世界はその基址をうるのだし、またその実質をうるのである。(中略)人人がその日常でかかわる個個の人倫関係でする実践的工夫を外にしたら、仁義礼智もまた虚というべきだろう。(p105)