『オルタ』の新号から

先ごろ家に送られてきた『オルタ』の9・10月号、なかなか読むことができなかったのだが、ようやくいくつかの記事に目を通した。
http://www.parc-jp.org/alter/2009/alter_2009_09-10.html


「ココルーム」を経営する詩人の上田假奈代さんへのインタビュー記事は、たいへん読み応えのあるものである。
冒頭で、上田さんは次のように語っている。

ところが、抑圧された人たちは、なかなか自分を語らない。語れない。権力構造のなかで、語られないことはなかったことにされてしまう。だから、もしこれから、ほんとの意味で"民主主義"に向っていくならば、弱い立場にある人、これまで語ることのなかった人が自分の気持ちや思いを表現することがとても重要で、その実践の場をつくろうと。それがココルームで、ここで語られる言葉や交流そのものがアートだと思うんです。


ここを読んでいて、思い出したことがある。
ぼくが上田さんにお目にかかったのは一度だけで、それは「ココルーム」がまだ新世界のフェスティバルゲートにあった頃だが、あるイベントの時だ。
そこには、大阪の長居公園で野宿者を支援する運動をしている人や、野宿者の人、それから小川恭平さん、てつオさんの兄弟などが来られていて、たしか野宿のことと、ニートなど若者の問題とをつなげて考えてみる、というような趣旨の企画だったと思う。
そのとき、イベントの最後に、出席者・観客は全部で50人近く居たと思うが、司会役の上田さんが、一人ずつ丁寧に感想を聞いていった。
そのとき、(聞かれたなかで)ぼくだけが感想を言えなかった。
それを聞くと、上田さんは、少し間をおいた後、「それでは、家に帰ってから、感想の言葉を考えてみてください」という風に言われたと思う。


上田さんは、そういう場合に、感想を言わない(言えない)ということを受け流すのでも、無理に言わせようとするのでもなく、自分で言葉を紡ぎだす努力をするように勧める、その勧めるための言葉を丁寧に選ぶ人なのだということが、ここから分かると思う。
そのとき、ぼくが感想を言えなかったのは、そのテーマが、あまりに自分にとって身近なものを含んでいるからだったろう。
ではいま、それについて言葉にすることが出来るかと考えると、まったく心もとない。


それから、上田さんは、ここでこういうことも言っている。
あるとき、障害を持つ人たちが「ココルーム」に集まりカラオケパーティーをやった。そこから聞こえてくる声に、深く心を打たれた、というくだりである。

例えば、言語障害がある人は、いつも話し終える前から言葉を読まれてしまうことが多いんですね。そうやって、言いたいことも言い切れずに生きてきただろう彼らの、切実な何かがそこにはあったんですね。


ぼくも、相手が障害などから話しづらそうにしていると、その苦しさを緩和してあげようという思いから、次の言葉を予測して言ってしまうことがある。
だが、それは相手にとっては、言葉を語る機会、自分の言葉を発する機会を奪っていることになる。
言われてみると、その通りだろう。
第一、「苦しさを緩和してあげよう」というのは、そこで想像しているのは「自分にとっての苦しさ」に過ぎず、要は自分にとって時間や関係をスムースに進めたいというだけのことで、相手にとって何が本当に「苦しい」ことなのか、まるで考えようとしていない。
上田さんは、きっとそうしたことについても、非常に鋭敏なのだろう。
存在と無』のきのう読んだところに、こう書いてあった。

他者のまわりに寛容を実現することは、他者を、しいて一つの寛容な世界のなかに投げこまれるようにさせることである。それは、勇敢な抵抗、辛抱強さ、自己主張など、寛容でない世界の内において彼が発展させえたかもしれないそれらの自由な諸可能性を、原理的に、彼から除き去ることである。(松浪信三郎訳 ちくま学芸文庫版巻2 p480)

『オルタ』のこれ以外の記事のなかでは、五十嵐泰正の『もうひとつの「希望は、戦争」』が、示唆されるものがあった。
これは、日中戦争当時と現在の状況とを重ね合わせながら、コミュニティが瓦解しているなかで人々に「承認」と「連帯」を提供するものとして、「戦争」に対抗するものを探すことは容易でない、と述べたもの。
たしかに、最近そういう社会の「気分」のようなものを感じる。
逆に言うと、「戦争」という解決策は、その安易さの故に、人々を魅惑する危険が大きいのだろう。