軍隊化する日常と私

今日読んだ、長居での出来事についての文章のなかから、とりわけ印象深かったものをふたつ紹介し、自分の考えたことも書き添えます。


橘安純さんの手記(加筆中)。

http://robou.exblog.jp/5470673/


これは、なにもコメントできません。野宿の人のテントが撤去されるということの、現実がこういうことなのだと思う。
みんなそれが分かったうえで、苦渋の選択として、あの演劇による抗議・抵抗という道を選んだ。そういうことだったと思う。


次にミュージシャンのヒデヨヴィッチ上杉さんの、とりあえずの手記(本格的な報告は、もう少し先になるそうです)。

http://blog.livedoor.jp/hideyo327/archives/50704879.html


冒頭のメールの一文を読んで、「やっぱり天王寺までしか行けなかったんだ」と思って、辛い気持ちになった。気力や体力が、そんなに残ってたはずがない。
そして、上杉さんの書いておられることは、ほんとうによく分かる。

この中の誰か一人でもいいから業務拒否してくれたら…、あるいは、せめて力を抜いてサボってくれたら…と真剣に願いながら、俺らは人間対人間、個人対個人の会話をしようとした。ほとんどの職員は視線を泳がせて目を合わせようとしないが、じっとうつむく初老の職員、どんどん表情が固くなっていく若い女性職員もいた。それは悲しく、やりきれん光景だった。


ぼくも今回の体験の核心は、なんといってもあの数時間に及ぶ、行政側の人たちとの対峙だった。
ただぼくの場合は、自分も普段の日常では、「あちら側」に身を置いて生活しているという意識があった。だからぼくの視線も、いくらか「泳いでいた」と思う。
あの制服の人たちのなかには、ぼくよりも「人間の目」をした人も、いたと思う。
本当にひどい、荒廃した目をした人たちもいたけど。
ぼくは、そういう目を見て「怖い」と思ったが、その「怖さ」は、自分自身のなかにあるものと無縁ではない。
ぼくの目も、やはり「怖い」時があるはずだ。


座り込んでる人のなかから、「今のあんたたちは傭兵と同じだよ」という声が行政側の人たちに浴びせられた。
それは、たんなる「怒声」や「罵声」ではなく、熱い愛情のようなものを含んだ呼びかけだったと思う。あの場には、そんな声が充満していたのだ。


だがところでぼくが思うのは、戦場の軍隊のような日常を生きているのは、普段の自分も同じではないか、ということだった。
学校や労働現場で、まともに人として扱われず、社会保障も切り詰められ、一度(競争に)敗れたり、降りたりすれば、ただちに野宿生活や路上での死へとつながりかねないような社会。
そこでは、「サボること」、「弱者に共感すること」、つまり組織や上司からの命令に一体化していない「自分自身」の部分を心のなかに残しておくことは、生き残れないことに通じてしまう。
だから、そういう独立的な、あるいは他人と通じ合えるような複数的・社会的な「自分自身」の部分に対して、強い抑圧をかけ続けなければならない。
たぶんそのことが、人の心に過剰な攻撃性を育んでしまうのだ。


戦場にいる軍隊のような日常は、人の心に過剰な攻撃性を育む。
たとえばこちらのエントリーの最後に引かれているような行政の行為の非人間性は、そこにひとつの理由があると思えるが、それは野宿者に対する「襲撃」の心理とも無縁ではないだろう。


そして、その攻撃性は、自分自身のなかにもある。自分もまた、この社会の仕組みにどっぷりと浸って生きているのだから。
ぼくがあのときに感じた恐怖とは、そのことに対するものだったと思う。