野宿者と図書館

この記事が、最近話題になってるんですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000909-san-soci


ぼくが以前に書いたエントリーも、何人かの方が言及してくださってるようなので、いまこの記事を読んで思うところを少し書いておきます。


このように図書館に来る野宿者と思われる人の多くは、考え方として、本を読んだり図書館に居ること自体が好きで来てるか、他に居られる場所がなくて、やむをえず図書館に来てるかの、どちらかだろう。
前者なら、普通の利用者だということになる。この場合、利用する権利があること自体は、絶対に自明である。
勝谷誠彦は「税金を払わないホームレスを図書館に入れること自体おかしい」なんて言ってるけど、税金を払ってない子どもや他地域から来た人であっても、(貸し出しは出来なくても)本を読んだり、ちょっと息抜きにブラブラしたり座るぐらいはしてもいい、というか、してるだろう。「公共」という言葉を狭く考えすぎ、というより誤用している。
だが、他の利用客に迷惑になるような利用の仕方をする人は、野宿者であってもなくても、図書館としては困る。
だから、本を読んだりすることが目的の「普通の利用者」として来てる人に対しては、図書館は、その人の行動なり身なりに恐怖や不快を感じるという他の利用者が居る場合には、やはりそれなりの対応をしなくてはいけないだろう。
そして、この記事にある図書館の対応は、たしかに「苦肉の策」として、ひとつの努力のあらわれ、ではあると思う。
席を分離したということは、野宿者を排除してるわけではなくて(そのための布石になりかねないが)、いわば野宿者の人たちも図書館を利用する、ということが前提であろう。他の利用者が怖かったり、不快だったり、ということで、落ち着いて利用できない、というより時間や空間を過ごせないという人がいるのだから、不幸なことかも知れないが、空間を分離するという方法をとった方がいいんだろうなあ、と思う。
これは別に野宿者に限らず、ある利用者が他の利用者にとって、極度に不快だったり怖かったりということは、公共の、不特定の人たちが利用する施設というのは、こうした問題が必ずあるはずだから(例えば喫煙の問題)、ある程度は、こういう分離が行われることも、現状では仕方ないだろうと思う。
とくに、(重要なことだが)「怖い」という感情は、たしかにどうしようもない部分があると思う。
ただ、分離以外のうまい共用の方法があるのなら、もちろんその方がいい。
それは、「分離」によっては、自分が当たり前だと思っている感覚や思い込みを変える、打破する機会が、どうしても失われるだろうから、という理由からも、そう言える*1


だが問題は後者、つまり『他に居られる場所がなくて、やむをえず図書館に来てる』人たちをどうするか、ということだ。
前者、後者と言っても、もちろんスッパリは分けられないだろうが、後者の要素がありうる、ということをどう考えるか、ということ。
上の産経の記事にも、「雨天や暑さ寒さが厳しい時は」特に野宿者らしい人の利用が多い、という風に書いてあるが、炎天の日中などは、屋内の涼しい場所を確保できるかどうかは、死活問題だと思う。
野宿者の多くは、とくに夏場などは、体力を極度に消耗する日中を避けて、夜から未明にかけて空き缶集めをしたりするそうだ。だから、眠る、体を休めるのは、日中しかない。炎天の、路上やテントのなかで、休めるはずはないだろう。無料で、しかも涼しい屋内で休憩できる空間は、ぼくには図書館ぐらいしか思い浮かばない。
真冬も、同じような状況があるのかしれないし、ぼくには分からないが、他の時期にも、何かそういった事情があるのかもしれない。


実際、そのときにいわば避難所的に行くことになる場所が「図書館」になるということは、たしかに好ましいことではないだろう。
もっと安心して、気兼ねせず、体を休められる場所があればよいはずだ、とは思う。
だが、根本的に、野宿をしている人たちというのは、この社会のなかで、すでに排除されている人たちだ。排除され、行く場所がなくて、生きていくために休憩の場所として、図書館ぐらいしか行けるところがないので、そこに来ている。
その人たちを、迷惑だからといって、その最後の居場所からさえ追い出すということは、事実上死に追いやってるのと同じだろう。


いや、そこまで切羽詰って図書館に来てる人がどのぐらいいるのか、本当に他の選択肢はないのか、それは分からない。
だが言えることは、この人たちの選択肢は、すでに非常に限られてるはずだ、ということである。


図書館に来ている野宿者風の人たちの、少なくとも何割かは、そういう状況にある人たちだろう。
ぼくが考えるのは、そこのところである。
野宿者の人たち一般に対する差別の問題というのは、たしかに重要だが、ぼくはやはり、この追い出されれば死に瀕するかも知れない人たちのケースというのが、一番気になるのである。


ぼくがもし、この人たちに、「ここから出て行ってくれ」と言わねばならない図書館員かバイトの立場だったら(幸いそういう立場に立ったことはないが)、恐る恐るでも、結局は、そう言うだろう。
もちろん、自分がたんに不快だからといって、あるいは大して恐怖も不快も感じていないのに野宿者風に見える人たちが何となく目障りだという理由で、その排除を職員に迫るクレーマーが、もちろんもっとも醜悪なのだ*2
だが、そうは言っても、ぼくが野宿者に退去を要請した(命じた)ときに、もし万が一、それが上に書いたような切迫した状況にある人だったとすれば(そのことが確定できる場合は稀だろう)、ぼくはやはりその人を生死の境に追いやっていることには間違いない。
それでもやはり、「ここから出て行ってくれ」と言ってしまうだろうと思うが。


そしてそういう立場に立っていなくても、多くの人は日常的に、野宿の人を死に追いやったり、死んでいくことを放置しながら日常を送っていることは間違いない。

*1:しかし無論、そういう機会を持つことを、強制することもできない。ただ、持たないこともまた暴力的であることを免れないだろう、と言えるだけである。

*2:都市部では野宿者の問題はたしかに大きいだろうが、ほぼ全ての図書館にとって、もっとも頭の痛い問題は、このクレーマーの方だろう。