サルトルと私と労働

存在と無』(ちくま学芸文庫)を読んでたら、こんなところがあった。

朝、鳴る目ざまし時計は、私の可能性たる私の仕事に、出かけていく可能性を指し示す。けれども、目ざまし時計の呼びかけを、呼びかけとしてとらえることは、起き上がることである。それゆえ、起き上がる行為そのものが安心を得させてくれる。なぜなら起き上がる行為は《仕事は私の可能性であるか?》といったような問いを免除してくれるからである。したがって、起き上がる行為は、クイエチスム(静寂主義)や、仕事の拒否や、ついには世界の拒否や、死などの可能性を、とらえる余裕を私に与えないからである。要するに、目ざまし時計の音の意味をとらえることが、その呼びかけに応じてすでに起き上がっていることであるかぎりにおいて、この把握は、目ざまし時計の音にその要求を付与するのは私でありしかもただ私だけである、という不安な直観から、私をまもってくれる。同様に、日常的な道徳とでも名づけることのできるものは、倫理的不安とあい容れない。私が諸価値に対する私の根原的な関係において私を見つめるとき、そこに倫理的不安がある。(?、p151〜152)

これは、道教的という以上に、引きこもり的といってよい思想だろう。
レヴィナスも『実存から実存者へ』などで、同様のテーマを扱っていたが、ニュアンスがだいぶ違う気がする(どう違うんだろう?)。
サルトルレヴィナスも、ここでは実存の引き受けということを、労働の拒否ということに結び付けてるように思える。
レヴィナスの場合は、そこから労働の拒否を肯定する方向には行かなかった気がするが、サルトルが言おうとしてるのは、「私の社会的な存在から私の実存を分かつのは、無(自由)のみである」というようなことではないかと思う。
そこで、「労働の拒否」の可能性を認めることには、倫理的な意義が込められることにもなる。


まったく大雑把だけど、そういう風に言えるのではないかと思う。
さて、このような思想が、実存主義のひとつの核心のようにみなされることがあった。それは、「引きこもり」の特徴である、「社会的な生」に対する自明性を喪失しているという事態に、「実存的な生」の現われを見る、というような立場だろうと思う。
ここで思い出すのは、日本ではかつて柄谷行人が、「自明性の喪失」というフランクルの言葉を引いて、このようなテーマを扱っていたことである。
今からでは想像しにくいかもしれないが、初期の柄谷は、秋山駿を継承する実存主義的な評論家と見なされていた。実際、『探究』ぐらいまでの彼の仕事は、すべてその線上にあるものと見なせるだろう。つまり、実存的な「この私」にこだわる思想、ということだ。


ぼくの場合は、80年代のはじめぐらいに、社会的な行為だけではなくて、本を読むということについても、全ての本が同じ内容を書いている堂々巡りのようなものにしか思えず、まったく活字を読めなくなったことがある。
このときに、唯一「読む意味」のようなものを見出せたのが、柄谷の著作だった。当時住んでいた四国の地方都市にあったほとんど唯一の大型書店に、柄谷の新著が並ぶのを心待ちにして、それだけをむさぼるように読んだ。
それが、サルトル的な意味での「実存」や「自由」に関係していたのかどうかは、分からない。まったく違うことだったかもしれないが、ともかくそういうことがあった。


それから25年か30年ぐらいたち、ぼくも年をとり、柄谷の仕事がどうかは知らないが、日本の社会もずいぶん変わったのだろう。
「社会」や「労働」に対する自分の位置は、あまり変わってない気がする。
「労働」についての、日本の社会のあり方、構造の方はどうであろう。
「労働の拒否」の問いかけによって提示されたものを組み込むような形で、労働というものが人々のなかに位置づけられるというようなことがあっただろうか。
そしてぼく自身は、そうなっていくための問いかけや努力を(個人的・実存的にも、社会的にも)、少しでもしてきただろうか。
「倫理的」と呼べるほどのことではないが、やはりそう自問せざるを得ない気がするのである。


存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)

存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)