庄野潤三氏の作品から

作家の庄野潤三氏が亡くなった。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0922/TKY200909220111.html


好きな作家の一人である。
比較的初期の作品になると思うが、気になっているものを、二つ紹介しておこう。
いずれも、「戦後」と呼ばれる時代の日本の一面を、よく切り取って描いている、あるいは描こうとしているものだと思う。


新潮文庫の『プールサイド小景静物』に収められている「相客」という小品は、戦後アメリカの占領下にあった時期を回想する形式で書かれている。
語り手の兄は、戦時中ジャワ島で「俘虜収容所」の副官だったことがある。この兄は戦後、自身も俘虜生活を送った後復員してきて家族と一緒に平凡な生活を送っていたが、あるとき突然戦犯の容疑者として警察に連行され、東京に送られることになる。少なくとも語り手にとって、それはまったく思いがけないことだった。
語り手は、家族の中でひとりだけ連行される兄に付き添って東京行きの列車に乗ることを許されるのだが、列車に乗り込むとき、混雑のなかで押し込まれるような形になり、カッとした刑事が周囲の客に向って、「こっちは普通の人間やないんやから」と警告を発する。

「こっちは普通の人間やないんやからな」
  と刑事が云った時、私はひやりとした。私はそれが警察の者であることを相手に知らせるための威しの言葉だと云うことを承知していながら、「こっちと」いうのが私の兄ともう一人の人を指して云っているように感じたからだ。
 私は「普通の人間でない」という云い方からわれわれ日本人が関与することの出来ない、既に別の大きな力が支配している世界に移されてしまった人、と云うひびきを感じた。 
 勝手にさわってはならない人。そういう意味にも受け取れたのだ。(p102)


この兄が、その後どうなったかは書かれていない。
この小説は、込み入った構成になっていて、書き出しに、伝聞の形で、戦前(植民地だった)朝鮮に幼い時に一人で送られる体験をした男の話、そのときの苦い思い出から沢庵が食べられないという変った食習慣を持つ事になった男のことが語られる。そして最後に、上記の兄と一緒に戦犯の容疑者として東京に移送される元軍人、こちらは処刑が避けられないだろうことが暗示されているのだが、その人が戦地の生活の影響で、酒と食事を一緒にはじめないと酒の味がしないという、やはり奇妙な食習慣が身についてしまったという話が語られている。
戦地に送られて収容所の副官になり、自身も俘虜生活を送って帰還し、ある日突然連行されることになった兄についての回想が、その間に挟まれているのである。


もうひとつ、同じ文庫本に入っている「五人の男」というオムニバス的な短編のなかのひとつの話も、印象深い。
語り手の隣家の一部屋を借りて住んでいる男には、奇妙な習慣があった。部屋の中で祈っているようなのである。
この男は年は50ぐらいで、風貌は『ちょっとアメリカン・インディアンに似ているところがある。』(こうした風貌の人は、今の日本でもときどき見かける。)。
この男が、夕刻になると、壁に向って何かを祈っている様子である。

緊張しているようで、寛いでいる。寛いでいるようで、緊張している。彼の祈り方は、そういう祈り方であった。(p113)


男が何かの宗教に帰依しているのか、それとも自分独自の祈りであるのか、また男はどんな事情があってその年齢になってわびしい一人暮らしをしているのか、見ている語り手は、そうした疑問を持つこともなく、毎日その姿をぼんやりと見つめている。

私は正直に云うと、その姿が目に入る度に喜びを感じるのだ。
この気持ちはいったい何と説明すべきものだろうか?(p115)


プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)