道と拡充

『日本の名著 13 伊藤仁斎』(中央公論社 昭和47年)より。


仁斎の息子の伊藤東涯が、『童子問』の刊行(1707年)にさいして書いた序というのが、この本に載ってるのだが、それを読んでて気づいたことがある。


「道」(真理)というものが、この世界にはあるということだが、それはただあるというものではなくて、人間が日常の道徳の実践を通しておしひろめねばならぬものらしい。それは、人間の本性を充実させることによって、道をおしひろめるのだ。
人の本性は善であるというが、この本性を実践を通して充実させていくことが必要なのである。
「性善」というと何か、人工的な悪とか疎外を取り除いて、元来そうである人間の本性に戻ればよいという考えに思われがちだが、そういうものではないということを、父は言おうとしたのだと、東涯は書いてるわけである。


そこにポイントがあったのか。
魯迅の「地上にはもともと道はない。・・・・」という有名な言葉があるが、あれもこういう意味かなと、ふと思った。


たぶん貝塚茂樹によると思われる現代語訳を、一部引いてみる。

その本来そなわるものを基礎としそれを拡大充実させ、いたましく思う心を何とも思わなかったことにまで拡大充実させ、してはならぬと思う心をなんとはなしにしてきた事柄にまで拡大充実させ、しだいに順をおって善へうつり、悪から遠ざかり、その徳を成就させようとした。「推す」といい、「及ぼす」というのも、みなそのことであり・・・(後略)。(p447)


この「拡大充実」という訳語に脚注がついていて、こう書いてある。

拡大充実  拡充という語で『孟子』以来使用された。宋学では、本来の大きさにまですることを意味したが、仁斎はむしろ本来の大きさをさらに拡大し、世界のすみずみまでゆきわたらせることと解した。(p500)


また、『「推す」・・・「及ぼす」』とあるのも、やはり『孟子』からとられた語で、「拡充」に類似した意味だそうである。