かんさい熱視線「“先が見えへん”〜東大阪 中小町工場の苦悩〜」

NHK、関西ローカルの放送。
http://tv.yahoo.co.jp/program/8052/?date=20081212&stime=1930&ch=d000



物作りの町として知られる東大阪市の中小企業の苦境をリポート。


中心的に描かれていたのは、高い技術力で信頼を得てきた小さな機械関連の会社の経営者と、地元の信用金庫の支店長さん。
東大阪の中小企業、工場の多くは、企業同士の横のつながりを背景にした高い技術力で世界的にも評価を得てきた。
だが、その品質を維持するには、ある程度のコストが必要である。


11月以降の世界的な景気悪化のなかで、ここでも企業はかつてない苦境に陥っている。
「首を吊らないといけない」という人や、「倒産を避けるために、全員の給料を下げるしかない」と語る社長さん。半数の機械が稼動してどうにかやっていけるという工場でも、いま動いているのは三分の一にすぎない。


資金繰りには融資が不可欠だが、地元密着の金融機関にも余裕があるはずはない。
機械関連の会社の経営者から融資の相談を受けた信金の支店長は、本店の上司に資料を持って審査を受けに行くが、「コストを低くして、もっと利益率をあげる余地がある」とされ、融資は見送られる。苦しいことが分かっている顧客と、本店の方針との板ばさみ。


経営者のところに戻った支店長は、本店の上司の見解を伝え、とにかく利益を出すことを主眼とするように迫る。
今の品質を維持しようと思うなら、コスト削減の余地が本当はないことは、支店長にも重々分かっているだろうが、融資するにはそう言うしかないのだ。
それを受けて、品質を誇りにしてきた経営者が、何と答えたか。


『好い物を作りたいという気持ちが、先走ってまして・・・』


条件をのまなければ融資が受けられないわけだが、これは辛いだろうなあと思った。
昨日だったかニュースで見た、リストラで職ばかりか住むところも失うことになった大工場の派遣社員(肩書きは労組の支部長)の会見の様子を思い出した。
こちらは今すぐ命に関わることではないかも知れないが、人として生きるための大切な拠り所を失う、自ら今までの自分の生き方や考えを否定せざるをえない辛さには、通じるところがあると思う。
これは、不況ではなく、いまの社会のあり方が、人間一人一人に強いているものなんじゃないか。


コストを下げながら品質を維持することは、本当は無理なはずだが、経営者としてはそうは言えない。
無理にでも、会社の信頼を保ちながら生き残らせていくしかない。
そうやって、多くの会社は無理を重ねて潰れていくだろうが、幸運に生き残る会社もなくはないだろう。
その結果が出た後で、それらの会社を指して、「競争力」がついた、という風に言われるのだろう。
実際はそのとき、日本経済の唯一の物的な財産だった、物作りの水準の高さが失われているばかりではない。
人の心からも組織のあり方からも、かけがえのない大事なものが失われているはずである。