退避について

このところ、高橋哲哉の旧著『記憶のエチカ』(岩波書店)を読んでいるのだが、アーレントにおける「記憶」の問題を批判したその第2章「《闇の奥》の記憶」を読んでいて、以前このブログにアーレントについて書いた感想を、修正しておきたいという気持ちになった。
それは、『暗い時代の人々』(ちくま学芸文庫)に入っている、レッシングに関する文章「暗い時代の人間性」への走り書き的な感想である。レッシングの考えについてのアーレントの賞賛を、肯定的に紹介したのだが、あれは批判しないといけないものだと気がついた。

記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ

記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)



まず、高橋の文章について書く。
この論考では、『全体主義の起原』のなかの、南アフリカのブーア人(Boers)の経験について書かれた文章が分析され、アーレントの記憶の概念が、彼女が人間的とみなすもの(ヨーロッパ)と、そう見なさないもの(アフリカ)との間を隔てる「壁」の創設に深く関わっており、壁の内部の「共通世界」における出来事と、外部の非人間的な世界の出来事との間で、いわば記憶の選別が行われていることが批判される。
アーレントの「記憶」は、この選別によって、自分たちこそを人間的と考える「共通世界」の住人のアイデンティティを強化・保障することに役立つだけで、『共通世界と政治的共同体の存立そのものを問い直すような記憶ではない。』(p102)というわけである。
高橋はさらに、ヨーロッパ人によるアフリカ人の「絶滅」的な行為を語るアーレントの語りのヨーロッパ中心主義的・差別的な性格を非難しながら、こう論をすすめる。

そしてアーレントにとって、これらの「絶滅」行為は記憶されるに値しない。
それらは共通世界の外部にあり、「人間が記憶し何らかの永続性をもちうる世界には属さない」。「絶滅」はあらゆる「人間的世界」の外に、「壁」の、「境界線」の、「法」の外にあるから、<法としての記憶>の対象にはならないのである。「絶滅」の記憶はアーレントの<記憶>の概念には属さない。したがって、逆説的なことだが、ユダヤ人「絶滅」(Vernichtung)の記憶も例外ではない。(p104)


以上の部分だけでも十二分にスリリングだが、ぼくが瞠目したのは、このすぐ後に、高橋がこう記していることだった。

思い切ってこう言うこともできよう。アーレントの<記憶>の概念は、厳密にいえば、暴力の記憶を排除している、と。(同上)


これはつまり、アーレントの「記憶」の概念、選別的であるいわばその「記憶の暴力性」の底にあるのは、レイシズムとかヨーロッパ中心主義といったものだけでなく(もちろん、それらもあるはずだが)、「暴力の記憶」を排除したいという(無意識的な)願望だ、ということではないだろうか。
アーレントが、「記憶の選別」の操作を行ってまで、「人間的」な「共通世界」の確立ということに執着するのは、アーレント自身を脅かしている根源的かもしれない「暴力の記憶」から逃れる(退避する)ためではないだろうか?
そしてこのことが、彼女が構想し、自明なものであることを希求する政治的・言論的空間の質を、決定してしまっているのではないか?






以上の視点を踏まえて、論考「暗い時代の人間性」を読み直してみよう。
アーレントがレッシング賞を受賞したときの記念講演である「暗い時代の人間性」は、大きく分けて二つの部分からなっているといえる。
ひとつは、アーレントが「暗い時代」と呼ぶナチス政権時代のドイツにおける、アーレント自身を含めたユダヤ人共同体の人びとの経験を、批判的な観点を交えて詳細に記述している部分。もうひとつは、レッシングという人の思想と言論のあり方を、とりわけカントの思想との対比においてとらえ、賞賛している部分である。
前者から見ていく。


この部分は、何度読み返しても汲み尽くせないほどの真実性に満ちた記述を含んでいるのだが、ここでの論の進行に関わる部分だけを引き出してみる。
要点はこうだ。
現実の(社会)状況があまりに過酷であるとき、人は(その)現実から退避してよい。そうしなければ、耐えて生きていくことが出来ないからである。
ただ大事なことは、自分が(いま)現実から退避しているのだという事実を忘れないことである。そのことを忘れるとき、退避は己の現実性を忘れて正当化され、いわば悪しきものとなる。

無気力な暗い時代に世界から逃避することは、現実が無視されるのでなく回避されるべきものとして不断に認められているのであれば、常に正当化されえます。人々がこうした方向を選択するとき、私的生活もまた、たとえ無力であろうとも無意味ではない現実性を保持できるのです。ただ、こうした現実の実在性はまったく私的なノートのなかには存在せず、こうした私的領域それ自体から生ずるものではないこと、それはかれらが逃亡してきた世界に帰属するということを認識することは人々にとって重要です。かれらは自分たちが不断の逃亡の途上にあること、そして世界の現実は実際にはかれらの逃亡に示されていることを忘れてはなりません。かくてまた、現実逃避主義の真の力は迫害から生まれ、逃亡者の人間的な強靭さは、迫害と危険が増大するにつれて増大するのです。(p042〜043)


この訳書ではアーレントは「逃避」という言葉を使っているが、現実の過酷さから避難して生きるための方途という意味で、ぼくは「退避」と言い換えておく。
この退避は、孤独なもの、非集団的なものであるがゆえに「政治的妥当性」をもつことはできない、つまり権力に対してほとんど無力であるが、それでも個人が生きるために逃げ続けること、そのなかで逃げながら権力への個人的な抵抗を行うための「強靭さ」を持つことは可能であると、アーレントは考えている*1
だが、それには条件があると、彼女は言う。

しかし、逃亡することと逃げながら抵抗するための本当の強靭さも、現実が無視されたり忘れられたりするところでは実現されえません――ある個人が自分自身をこうした世界に対抗させるにはあまりに自分が善良であり高貴でありすぎると考える場合、あるいはある時点における世界の状態を支配している絶対的な「否定性」に個人が直面できない場合、それは実現されえないのです。(p043)


ここまで、アーレントが言っていることに異議はない。
たしかに現実の世界を支配する「否定性」との直面まで忌避してしまうなら、退避や逃亡のなかで維持されるべき、孤立した個人の微力ではあるが「本当の強靭さ」は、現実性を喪失して何か他のもの(恐らくは外部の権力と、結果として共犯的な)へと変質してしまうだろう。
だが、先に述べた「暴力の記憶の排除」という論点を考慮するとき、これに続くアーレントの論述には、見過すことのできないものがあることに気づくのだ。

たとえば、耐えがたく愚かなナチスの密告者を単純に無視するということは確かに魅惑的なことでしょう。しかし、こうした誘惑に屈して、自分自身の精神の隠れ家に閉じこもることがいかに魅力的であるとしても、その結果は常に現実を見捨てることであるとともに人間性を喪失することでもありましょう。(p043〜044)


ここで明らかになることは、アーレントが、現実の過酷さへの直面を、「人間性」の堅持ということと同義に考えている、ということである。
つまり、この現実の過酷さは、人が「人間性」を保ち続けることによって克服が可能となるような種類の質のものなのだ。人がそれへの直面を避けていることが悪だといえるのは、そのことによって彼が「人間性」への信頼を手放してしまうことになるからである。
引用が長くなるので、このへんでやめておくが、アーレントが、「現実の過酷さ」や、世界を否定している絶対的な「否定性」というとき、それはあくまで人間的世界の出来事であり、「人間性」という問題系(空間)のなかで解決(克服)が可能な種類の出来事のことを指しているのは、明らかだと思われる。
言い換えれば、「現実の過酷さ」の「非人間的」と思われるような要素は、この議論から排除されているのである。アーレントは、現実(暴力)の「非人間的」なあり方については、語ろうとも考えようともしていない。
これが、「暴力の記憶の排除」ということではないだろうか?


アーレントは、ナチス時代のユダヤ人とドイツ人の友人同士の関係に触れ、その状況下で「われわれはともに人間ではないか」と口にすることは、「あるがままの世界」への抵抗を放棄する、現実忌避の態度であったといって非難している。
それはそうであろうが、こうした態度が欺瞞であるのは、(アーレントが言うように)現実の過酷さを否認することによって「人間性」の空間の内実を保障するような現実との関係を放棄し、「人間性」の空間の現実性を損ねたからというよりも、そもそも「人間性」という概念(空間)の自明性を瓦解させるような現実の暴力性を直視することを避けているからである。
アーレントは、「人間性」という空間への信頼を守りたいがために、「現実の過酷さ」から「非人間的」な暴力の本質を捨象してしまうのだ。


では、そこまで彼女が信じることを願望する「人間性」の空間、関係性の領域とは、どんなものだろうか?また、それが「暴力の記憶の排除」という無意識的な要請に発して構想されたものであるとして、では彼女が体験した「暴力」(危機)というものについて、われわれ自身は、どのように考えていけばよいであろうか?
それらの問いが、以下のレッシング論の部分に関わる。




アーレントが「人間性」と呼んでいる空間の質を理解するには、それと対置して「非人間性」とされるものが何であるかを見てみればよい。
じつにそれは、カントの思想であると言われるのである。

かれらの主張の真価はどうであろうと、カントの道徳哲学が持つ非人間性は否定しえません。こうした結果が生ずるのは、定言的命令が絶対的なものとして要請され、かつその絶対性において人間相互間の領域――それは本性上諸関係から成り立つ――にその基本的相対性と矛盾するものを導き入れるからです。唯一の真理と切り離せない関係にある非人間性がカントの著作のなかにとくに明瞭に現われるにいたったのは、かれが実践理性の上に真理を基礎づけようとしたからです。(p050)


じつはカントをよく知らないので、引用をこのへんでやめておくが、カントについて時々言われるような「彼の道徳哲学は非人間的な面があるが、だからこそ凄い」というような両義的な意味で、アーレントがここで語っているのでないことは確かだと思う。
彼女は、「人間相互間の領域」の「基本的相対性」を損ないかねない、カントの道徳哲学の「非人間性」を非難しているのである。
レッシングが賞賛されるのは、まさにこの点においてなのだ。

レッシングの偉大さは、人間世界の内部では唯一の真理は存在しえないという理論的洞察を持っていたということだけにあるのではなく、それが存在しないことを喜び、したがって人々の間の無限の語りあいは、いやしくも人間が存在する限り決して終わることがないであろうということを喜んでいたことにもあるのです。(同上)


カントもよく知らないくらいだから、レッシングについての知識がぼくにあるはずはないが、レッシングの思想がどうであるかということより、ここではアーレントがどのようにその賞賛を行っているかが重要であろう。
彼女によれば、レッシングは、この世に何らかの絶対的真理が現実にあって、それが自由な議論・言論の空間を抑圧することを嫌ったわけではない。そうではなくて、そのような絶対的真理が何かありうるという考え自体を、その考えを土台として議論が積み重ねられていくことがもたらす「不自由さ」を嫌ったのである。
アーレントは、宗教的・道徳的議論の厳格で唯一的な「真理」を求める傾向と、近代以後有力となった科学的議論の常に修正可能な「正しさ」を求める傾向とを一応区別するけれども、いずれにせよそれらは、人間的な空間の持つ真実性の価値に及ぶものではないという。
人間性」の領域における関係と議論との「自由」は、「真理」などに拘束されてはならないのである。

それゆえにまた、かれは論争のなかで、問題になっている事柄の真偽の程度を一応度外視して、それが公衆によっていかなる評価を受けているかに従って攻撃あるいは弁護することができたのです。「あらゆるものに攻撃されるような人々をそっとして」おきたいとかれがいうとき、それは勇気の現われであっただけではなく、十分な根拠をもって否定しうる見解でも相対的には正しさを持つという、いわば本能的な関心の現われでもありました。(p019)

レッシングは完全に政治的人間であったからこそ、語りあいによって人間化されたところにのみ、あるいは各人がまさにそのとき何が起こったのかではなく、かれが何を「真理とみなす」かを語るところにのみ、真理は存在しうると主張したのです。しかし、こうした語りあいは実際ひとりでは不可能です。それは、多くの発言が存在しているような領域、かつ各人が何を「真理とみなすか」についての言明が人々を結合するとともに分離しているような、すなわちそれが世界を構成している人々の間に事実上ある距離を確立しているような領域に属するのです。こうした領域の外部にあるあらゆる真理は、それが人々の善をもたらそうと悪をもたらそうと、文字通り非人間的なものです。(p055〜056)


レッシングに託して、アーレントが構想している「人間性」の領域、空間の内実が、よく分かるだろう。
「真理」は統整的なものとしての機能も否定されて格下げされたうえで、いわば「記憶」と同様に選別されることになる。
たとえそれが人に善をもたらすものであったり、科学的な根拠を持つものであったとしても、「人間性」の空間の自由さを損なうとみなされた「真理」は、その存在を消去されてしまうのである。


アーレントにとって、「人間性」の空間の死守が、その外部で起きるいかなる暴力や悲惨を犠牲にしてでも、目指されるべき絶対目標だったことが分かる。
いや、そうした暴力や悲惨を直視するのを拒むことによってだけこの空間は精神の避難所として維持されるのであり、この空間の機能は、その拒否(否認、退避)を成就することにこそあるのである。
言論の「基本的相対性」に基づく自由が「人間性」の名で称揚され、「真理」や「正義」の上位に置かれる場合、そこで密かに賭けられているものは、暴力(の記憶)からの退避の、この正当化、退避しながら他者の悲惨と自分との関係を否認して生き続けることの「正統化」なのである。


簡単にまとめよう。
「暗い時代の人間性」においてアーレントは、ナチス時代のユダヤ人共同体のあり方を、深い哀惜と共感をこめながらも批判し、自分たちが過酷な現実からのやむをえざる退避の生を生きているのだという事実を忘れてはならないこと、そうすることで外部の社会的現実とのぎりぎりの関わりを保持し、「抵抗」のよすがとすることを強く訴える。
その言葉は、胸を打つ。
だが、あるところで彼女は、自分自身が現実(危機)の非人間的な相貌から退避しようとして、「人間性」の領域という仮想的な避難所に「壁」を作って逃げ込んだのだという事実を否認するようになる。
そこから、この自由な空間(空間の自由)の死守が、「正義」や「真理」を犠牲にしても恥じない、至上の目標とされるようになるのである。




さて、アーレントをとらえて、こうした倒錯的ともいえる態度へと導いた「暴力の記憶」、その性格を、どのように考えるべきだろう。
アーレントをとらえた時代の暴力の無比の巨大さについて、またアーレントの危機の個人的・文化的な性格については、多くの論述がなされてきたと思うが、それを論じる力はぼくにはない。
「暴力の記憶」ということに関して、ここでは自分の経験に引き寄せて考えてみる。


高橋哲哉は、『大小さまざまなショアーがあったし、これからもあるだろう。』(『記憶のエチカ』p138)と書いている。
この言葉はもちろん、主には歴史上の事象について言われた言葉であろう。
だがぼくは、ショアーや「忘却の穴」、アーレントという個人を襲った根源的とも思える「暴力」の恐怖(危機)は、歴史のなかで起きてきたと同時に、日々ぼくたちの身体に降り注いでいるのではないかと思う。
高橋の上の言葉を、あえてその意味に解釈したい。
ぼく自身も、ある種の「退避」を繰り返して生きてきた。それは、職場や学校や、あるいは家庭や、さまざまな場所で誰もが日常的に受けている「暴力」による傷に対する、ひとつの対処の仕方だったと思う。
ひとつの仕方だというのは、この危機が耐え難いほど大きいと思われるとき、アーレントが言うように、人はそこから「退避」して生きることが珍しくはないだろう(他の選択肢が、死以外にありえない場合もあろう)が、その退避の仕方は様々だ、ということである。


この根源的かもしれない暴力の構造の起源を、植民地主義に求めるべきなのか、資本制に求めるべきなのか、ぼくには分からない。
だが、被害者としてばかりでなく、加害者としても、日々遭遇しているこの暴力の現象の仕方が様々であるように、そこからの「退避」の仕方も、また一様ではないのだ。
そのなかには、アーレントにその傑出した事例が見られたように、他者を端的に攻撃・排除するというよりも、そうした現実の暴力性をいわば不可視にしてしまうような中性的な言論・政治の空間を仮想することで、自分自身を、その暴力的な現実のさなかで生きているという自覚から防御するという、幾分か知的な手法もあるであろう。
この手法の展開は、社会や知の領域の至るところに見られるものかもしれない。


まったく卑近な例だが、ぼくも自分がネオリベ的でもある現実のなかで、様々人にひどい目にあったり、あわせたりしていながら、そのような現実のなかにいるという事実を否認したいという願望から、ブログにもネオリベ的な言説に対して妙に融和的なことを書いたりして、若い方からお叱りを受けることがある。
こうしたことも、現実の暴力の手ひどさから逃れていようとする、言論における防御(退避)の、ひとつの仕方ではあるのだ。
このところ、派遣社員のリストラがさかんに報じられていて、「屈辱に声を震わせ」というふうな記事を目にするが、まったく身につまされる。労働運動でも女性運動でも、どんな現場でもそうだろうが、不当に貶められてきた本人にとって、自分が屈辱的な現実に置かれているという事実、自分の身体を日々苛んでいる社会的暴力の生々しい棘を認める(意識化する)ことほど、辛いことはないのだ。
できるなら、その現実を否認したまま生きていたい。
もちろん世の中には、ぼくなどとは比べものにならない過酷な暴力を被った、日々被っている人たちは無数にいるだろうから、そうした「退避」の仕方をただちに避難することは、アーレントも述べるように、誰にも出来はしないはずである。


根本的には、「退避」が悪いのではなくて、「退避」を強いる社会やぼくたち自身の暴力性が悪いのであり、「退避」がいつのまにか新たな暴力の装置となってしまうというアーレント*2なメカニズムが悪なのである。
自らも許されがたいほどに深く他人を傷つけているとはいえ、日々傷を被っているのはまた、他ならぬこの私の身体でもある。
人々にこの傷を刻みつけ、あるいは他人に刻みつけることを強いさえする社会の力こそ、打ちのめされるべきであろう。


近現代の歴史のなかの、「ひとつの声さえも届かぬ」(パウル・ツェラン)無数の死者たちの傷について、高橋哲哉は語っている。
それこそは、決して贖われることのない暴力の傷跡である。
その暴力は、今も相変わらず、日常のなかで、人々の身体に降り注いでいる。
ぼくの身体は、この死者たちの屍を養分として、そのうえに生い立っているのだが、傷を受けたその屍のうめきを、ぼくは自らの傷の痛みを通して、日々かすかに聞きとり、世界へと届けることを強いられている。
自分に帰属することはない、贖われることのない他人の苦痛であるこの痛みを通して、ぼくの身体は歴史と世界に向かって有責的に開かれる。
ぼくが生への責任を負うことになるのは、この死者たちの声に対してだろう。

*1:たとえばベンヤミン、また中野重治金時鐘など、多くの歴史的な固有名が想起される。

*2:あえて、イスラエル的、という必要があるだろうか?