- 作者: レヴィナス,熊野純彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/01/17
- メディア: 文庫
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この本の上巻で、「語ること」の重要性について述べられているなかで、「語ることにおいては、語る者が自分の言葉に居合わせる」というような表現がされている箇所がいくつかあった。
いま、ちょっと探したけど見つけられなかったのだが、たしかに何箇所かそう書かれてるところがあり、それが何のことか分からなかった。
それが、下巻のはじめの部分を読んでいると、次のように書かれてるところがあった。
表出に固有なできごとは、自己について証言をもたらしながら、その証言に責任をもつことである。(p47)
ここを読んでいて、上に書いた箇所の表現というのは、語っている私が、他ならぬ「この私」として言葉を発する、誰かに語りかけるということが肝心だ、という意味のことだったのか、と気がついた。
そう気がつくと、これは決して特別なことではなく、語る言葉が生きて誰かの気持ちに届くものであるための、一番肝心なことがシンプルに言われてるわけである。
その単純なことに、読んでいても、なかなか気がつかなかった。
たとえば、次のようにも言われている。
じぶんの現出に居あわせながら現出するとは、対話者をもとめ、そのことで対話者の応答と問いとに身をさらすことに帰着する。(p44)
この「現出」とは、そうした「語ること」において可能になる。
というか、それがレヴィナスの言う「語ること」であり、言語も思考も理性も、また社会も、この「語ること」の具体性から生じてくるものとして捉えられているのだ。