「原民喜の回想」

『死霊』は、ぼくにはつまらない小説だが、埴谷雄高の書いた戦後文学史に関するエッセイのような文章は、本当に面白い。
埴谷は、荒、平野、佐々木、本多、山室、小田切と共に、雑誌『近代文学』の創刊メンバーでもあり、その周囲の文壇の人間模様のようなものを、あぶらののった講談師のような語り口でユーモラスに描いている。


なかでも忘れられない文章は、原民喜が鉄道に飛び込んで自殺する直前、埴谷の家を訪れていたことを書いたものである。
原が訪れたとき、たまたま埴谷自身は留守で、夫人が内職の南京豆の皮を剥いていた。原は普段から無口な人であり、その日も埴谷の帰宅を待ちながら、夫人と差し向かいで数時間、うつむいてただ黙々と南京豆の皮を剥くのを手伝っていたという。結局、埴谷に会うことはなく、あきらめたのか原は埴谷の家を出て行き、その直後に、自殺する。
非常に重い出来事なのだが、原の葬儀で弔辞を読むほどに親交のあった埴谷は、このエピソードを深いユーモアをたたえた文章で描くことにより、故人の人柄と存在の核のようなものをしっかりと伝えていた。
なくなった作家の人柄を伝える文章として、中上健次が亡くなったときに安岡章太郎の書いた文章や、三島由紀夫の死にあたって武田泰淳が書いたものと並んで、ぼくには忘れがたいものである。


中学か高校のときに読んだ物なので、内容に記憶違いがあるかも知れません。
原民喜の回想」という題の文のようです。興味のある方は、さがしてみてください。