『病むことについて』

 

 

 

1925年に書かれた「『源氏物語』を読んで」という文章の中で、ヴァージニア・ウルフはこう書いている。

 

紫式部はたしかに、芸術家にとって、特に女性の芸術家にとって、この上もなく恵まれた時期に生きていた。生活は戦争に重きをおかず、人びとの関心は政治に集中していなかったのである。この二つの力の激しい圧力から解放され、生活は、振る舞いの込み入った事柄、男性が何を話したか、女性が何をはっきりと言わなかったか、静かな表面を銀色のひれでかき乱す詩、舞いや絵を描くこと、また、人びとが我が身を完全に安全だと感じるときにのみ生まれる、あの荒れ果てた自然への愛などに主として現われていたのである。(p68)』

 

 

このように述べてウルフは、生活における「ありふれたもの」や「実際に使うもの」を注視して、そのありのままの美しさを表現する『源氏物語』の完璧さを賛美している。

 だがその一方で、ウルフは、そうした『源氏物語』の美の世界の限界を次のように指摘する。

 

『(前略)だが、それにもかかわらず、それは一等星ではないのだ。ちがう。紫式部トルストイセルバンテス、あるいは西欧のその他のすぐれた物語作家に匹敵する存在であることを身をもって示していない。西欧のすぐれた物語作家の先祖たちは、彼女が格子窓から「みずからの思いに微笑む人びとの唇にも似て」咲き開く花を眺めているあいだ、戦ったり、小屋でうずくまっていたりしていたのだが。憎悪、恐怖、あるいは、さもしさという要素、経験の根といったものが東洋の世界からは取り払われており、そのため、粗野なことはあり得ず、下品さもあり得ないが、それとともに、活気、豊かさ、成熟した人間関係もまた姿を消しているのだ。そうしたものが欠けると、金は銀色になり、ぶどう酒には水が混じるのである。紫式部と西欧作家とのありとあらゆる比較は、彼女の完璧さと彼らの力を明らかにするだけである。(p71~72)』

 

 

 この文章は、一読すると、西洋の人であるウルフの「東洋の世界」に対する偏見を披歴したもののようにも思えるだろう。だが、ウルフがここで言っていることの核心は、別のところにある。

 なんといっても、この文章が(そして、作家ヴァージニア・ウルフの主要作品群が)、いわゆる大戦間期、1920年代から40年代の初めに書かれたものであることを忘れるべきではない。当時のウルフの主要関心事は、戦争やファシズムという形で露呈していた、この世界を覆う「支配」の論理に、どのように抗うかということであった。フェミニズムの問題も、またもっと後年、本書所収のものとしては1940年の「斜塔」においては明確になっている階級社会批判の立場も、もっとも一般的に言うならば、そこに源を持っていると言うことができよう。

 つまり、上の文章でウルフが『源氏物語』の限界として批判しているのは、階級支配や男性支配という形で現われてくる、その時代に応じた「支配」の仕組みを、この文学は脱することが出来ていないという点なのだ。それは『源氏物語』においては、天皇を中心とした貴族社会の支配の論理ということになろう。

 「女性の芸術家」が、戦争や政治の圧力から解放され、身の回りの生活(自然と人間を含んだ)の、ありのままの姿にあらわれる美を見出したと、ウルフは書く。だがそれは、本当は、政治や戦争を含んだ現実の根幹のところから女性が排除され、身の回りの生活の美だけを眺めているように規定された、そういう仕組みのなかに居るということである。

 もちろん、時代による限界というものはある。千年も昔の女性の文学者が、そういう自分を支配する仕組みを相対化したり、まして批判することは難しかっただろう。

 だが、ウルフが本当に批判したいのは、千年も昔のそうした美や文学のあり方が、ことさらに称揚される「大戦間期」の世界の、悪しき政治性だったのではないか。

 戦争や政治の現実から、女性や芸術家を分離し、身の回りの生活の領域にだけ閉じ込めておこうとすることは、戦争、とくに全体主義的な戦争を行なおうとする者たちには、必要度の高い振る舞いだったのだと思う(最近再評価が進んでいるという、帝国日本の「民芸運動」が想起される。)。

 その「支配」の力の現前に対して、ウルフは抗おうとしていたのではないか。

 そして、同じ「女性の」芸術家、文学者であっても、自分は、そのような支配の仕組みのもとに従属しはしない。設えられた格子窓から外の景色を眺めているだけの表現者にはならないという、この時代を生きる者としての決意が、上の文章には読みとれると思うのである。

 

 

 このように、この本に収められているウルフのエッセイや講演を読んで、強い印象を受けるのは、支配に対する明確な抵抗者、批判者としての彼女の側面であり、それは、源氏物語になぞらえて言うなら、「からごころ」とも呼べそうな部分である。この「からごころ」的なものを非難し、排除するところにこそ、源氏物語を称賛した(宣長に始まる)近世日本の文化的ナショナリズムの本質があったのだから、「源氏批判」を初め、この本での「女性の芸術家」(ウルフ)の言説が、天皇ナショナリズムにどっぷり浸かった現代日本の読者には受け入れ難く思えるのも、無理からぬところであろう。

 その(現代日本の)読者の立場で考えるなら、上の文章の「東洋の世界」という言葉を、「被支配の世界」と、そして、より具体的・政治的には、「天皇が居る世界」と置き換えて読んでみることが、適切であるように思われる。私たちは今もなお、「天皇」の磁場に閉じ込められて生きているのだから。ウルフの批判(闘い)から、私たちが読み取り、受け継ぐべきなのは、そういう姿勢だと思う。

 そう考えるとき、特に重要な意味をもって迫ってくるのが、1931年の講演「女性にとっての職業」の、次の印象深い一節である。

 ここでウルフは、すべての女性作家にとっての(内面の)不倶戴天の敵というべき存在、男性支配の秩序を受け入れて振る舞うことをささやきかけてくる「家庭の天使」との、格闘と殺害の不可避性について述べている。

 

『私は家庭の天使に襲いかかり、彼女の喉首を掴まえました。ありったけの力で彼女を殺しました。もし法廷に召喚されたら、自己防衛の行為だったと弁明するでしょう。私が彼女を殺さなかったら、彼女が私を殺したでしょうから。彼女は私の書評から核心部分を抜き取ってしまったでしょう。というのは、書きはじめたとたん分かったように、自分の意見がなければ、人間関係や道徳や性について真理と思うところを述べなければ、小説さえも書評できないのです。こうした人間関係や道徳や性の問題は、家庭の天使によれば、女性が遠慮なく率直に扱えないものなのです。女性は、自分の思い通りにことを運ぼうとするなら、魅了しなければ、懐柔しなければ―あからさまに言えば、嘘をつかなければならないのです。(中略)彼女はなかなか死にませんでした。その想像上の性質は、彼女にとって大きな助けでした。実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです。最後の止めを刺したと思っても、彼女はきまってこっそりと舞いもどってきました。(p106~107)』

 

 

 「実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです」。これはまさに、天皇制についての言葉として読むことが出来るものではないだろうか。

 この殺害に成功した人は、この国にどれだけ居るだろうか。一度成し遂げたと思っても、あるいはそう思いこんだ人ほど、いつのまにかその再来と、それへの従属を許す結果になったのではないだろうか。 

 天皇制の否定は、それがどれほど困難だったり危険であったりしようと、私たちが真に個人であり、人間であるためには不可欠なことだ。だが、その本当の困難さは、この不断の再来の経路を、どうやって断ち切ることが出来るか、ということにあるのだろう。それはもちろん、(世界中の誰もが行っている闘いと同型であるという意味で)普遍的な問いにならざるをえないものだと思う。