NHKの番組二本

今週見て印象的だった番組。


土曜日に教育テレビで放送された『きらっといきる』という番組では、境界性パーソナリティ障害(BPD)と呼ばれる症状をもつ漫画家の女性が出演していた。
番組の内容は、下のホームページでかなり詳しく紹介されている。
http://www.nhk.or.jp/kira/04program/04.html


この障害は、感情の自己コントロールが難しく、怒りなどを激しく相手にぶつけてしまうため、人間関係が壊れてしまうというものだが、障害としてあまり認知されておらず「性格の歪み」というふうに片付けられてしまうことが多いそうである。
この女性の場合も、ずっとそういう状態が続き、絶望的な孤独感に苦しんできたが、正面から向き合ってくれる男性(現在の夫)と出会ったことと、二十種類以上の薬の服用の効果で、感情がコントロールできるようになってきたそうだ。


この人は、自分のこころのなかにブラックホールがずっとあるのだ、という表現をしていて、そのことと相手にひどい言葉をぶつけたりして関係が壊れてしまうこととが、どのようにかつながっているらしい。
相手に怒りの感情や言葉をぶつけることによって、孤独や不安感をかき消そうとしている、ということだろうか。


そうした障害をもつ立場から、自分(たち)と関係を作っていくために一般の人たちにはどうあって欲しいかと聞かれて、相手に怒りをぶつけたり攻撃的になっているときというのは「子ども」に戻っているような状態であり、不安感の裏返しのようなものだから、周りの人たちはそれで引いてしまったりせずに、「子どもがいる」というふうに思ってでんと構えていて欲しい、と答えていたのが印象的だった。
「子供に戻る」というのは、ぼくもしょっちゅう戻っているので、よく分かる。
「引いてしまわずでんと構えていて欲しい」というのは、無理な注文をしているように受けとられるかもしれないが、たしかにそういう態度が必要な人間関係の場というものもあると思う。「一般の人」と言われるような(ぼくももちろん、その一人だが)、個々の人たちが、それぞれに余裕や自信がなくなり、そのような「でんとした」関係を持つ力がなくなっている、またはそれを回避するようになっている、ということは間違いないだろう。本当の「問題」は、そちらの方ではないだろうか。
この漫画家の女性の場合は、結婚したことや、子どもを育てるようになったことも大きなきっかけとなって、自分のこころのなかの「ブラックボックス」と向き合うことになった。そのブラックボックスは、「今でもある」と語っていたが、そのことを直視するようになったのだ。
例えばぼく自身の場合は、そういうことができていない、と感じる。
それは、そうすることを回避している、ということである。
自分の気持ちと「向き合う」ということの大切さを、あらためて突きつけられるような番組だった。


番組の最後は、この人のこころの変化が映されていて、とても感動的である。
ただ、これはぼくの見方がそうなのかもしれないが、どうしても「一般の人」(障害をもたない人)である自分たちのところに、この人が少しずつ近づいてくる過程、という感動物語のように見えてしまうのが、ちょっと嫌である。
この番組を見た、ぼくのような「一般の人たち」が、自分自身の生き方や考えを見つめ直し、向き合っていくきっかけにしなければ、何も変わらない。


それから、木曜日の「ドキュメント・にっぽんの現場」という番組では、奄美の市役所で、多重債務に苦しむ人たちの相談に乗る係長の男性の仕事ぶりがとりあげられていた。
この人の仕事は、相談内容をよく聞いて、弁護士などの専門家や市役所の他の部署に引き渡す、といったものらしい。
ギャンブルとか生活の破綻とか倒産といった、いわば非日常的な特殊な理由があるのでなく、ごく普通の市民が、病気や商売の行き詰まりなどがきっかけで、いつしか多重債務の泥沼に入り込んでしまうというのが、ほとんどのケースらしい。
債務の問題は必ず解決できるのだが、その後の生活を健康で送れるかどうかが、一番大事だと、この人は話していた。自己破産などの方法をとることで、いったんはそうした地点に立った人をサポートするような公的なシステムが、やはり働きにくくなっているらしい。この番組でも、一刻もはやく手術が必要といわれた相談者の女性に生活保護の受給が認められず、この係長が何度か直談判して、ようやく認められる、という経緯が紹介されていた。
この人のような存在が役所のなかになかったら、この認可は出なかっただろう。


この係長自身が、母子家庭に育ち、経済的な苦労のなかで最初はアルバイトのような形で役所に入り、やがて現在の仕事をするようになったらしい。この人の人生の経験や考え方、感じ方のようなものが、その仕事ぶりのバックボーンになっているのだろう。
こういう経験や熱意を持った人が、行政の現場にいて、地域の困っている人たちを親身に助けているというのは、きっと地域性ということも大きいのだろうが、今の世の中では、こういう人の存在は本当に貴重なものになっていると思う。