長居公園のことについての記事の紹介

きのう、年上の女性の知人と、文楽を見に行った帰りに鍋焼きうどんを食べながら、職場の話を聞いた。
仕事の内容がコンピュータ化されて、自分たちの年代には居る場所がないと感じるという。仕事をやめたいが、やめて何をするか見当がつかない。
長年帰属した場所が、急速に自分の居場所ではなくなるということが社会の方々で起きていて、その外に別の場所を見つけようとしたとき、選択肢がじつは異様に狭まっていること、たくさんの道が用意されているようには見えるのだが、それはすべて自分の足で歩きたいと思う道とはどこか違っている。そのことに突然気がつく、というふうになってるんじゃないかと思う。
「この社会」という入れ物は、誰のために設えられたものなのか。仕組みだけは動いているのだが、それが人間を幸せにしているような実感があまりない。
これは、(人が)生きるという根本的なことの意味が、ちゃんと考えられない世の中になっているということだと思う。
自分自身のこととしても、そう痛感するのである。


『P-navi info』さんの、長居公園の問題に関する記事をこちらにも紹介させてもらいます。
公園に住んでおられる方々の弁明書にもリンクされています。

http://0000000000.net/p-navi/info/info/200701222057.htm