文楽を見に行って思ったこと

月曜日、招待券を譲ってくださる方があったので、別の知人の方と二人で国立文楽劇場(大阪・日本橋)で公演をみる。
文楽を見に行くのは生まれてはじめてだ。
演目は、「花競四季寿」、「御所桜堀川夜討(弁慶上使の段)」、「壺坂観音霊験記(土佐町松原の段・沢市内より山の段)」の三本。


まず会場を入って、想像してたよりお客さんが多く、華やいだ雰囲気であることに驚く。
やはり年配の人が多い感じで、上等そうな着物を着た女性も多く、最初は緊張したが、休憩時間にはロビーに出てみんなで持参した軽食を食べたり、慣れてくると面白い雰囲気の場所だと思った。
劇場は、文楽という芸能の性格からか、大きすぎないちょうどよい規模であると思った。座席のすわり心地もたいへんよく、四時間に及ぶ公演だったが、疲れを感じなかった。


そして何より、内容が素晴らしかった。
大夫(つまり、謡い)、三味線、そして人形と、すべての部門が圧倒されるほど完成度が高い。人形の動き、声の質、三味線の音色、それに照明の技術、また黒子による口上まで、堪能させてもらった。
話には聞いていたけど、人形の動きというのは、背後で見えている人間の存在をまるで意識させない見事さがある。「そこに現に在るのに、見えていないことにさせてしまう」という点で、封建時代のというより、現在に通じる権力性(ドゥルーズとかが書いてるような)を想起させる凄みさえある。
また劇の展開も、まったく無駄がなく、エピソードから次のエピソードに瞬時に移行して飽きを感じさせない。ともかく、スピードとか激しさを、ものすごく感じさせる芸能だと思った。
主君のためにわが娘を殺す弁慶の話にせよ、有名な壺坂霊験記にせよ、すごく封建的な、理不尽な内容の物語なのだが、それゆえにというか、芸術を作っている人たちの情念みたいなもの、潜在的な怒りや闘争のエネルギーみたいなものが垣間見える。たぶんそこに、この芸術ジャンルの魅力の核があるのだろう。
ストーリーとしては、日本特有のというか、耐え忍ぶ、こらえて内に包んだ情念の物語であり、その忍苦が美化され肯定されるという制度的な嫌らしさがもちろんあるのだが、ときとしてその形式美みたいなものが裏切られ、何かが透けて見える気がすることがあるのだ。それが本当の「芸の力」なのだろう。

夫の別れ、子の別れ、二つ嘆きを一筋に、見捨てて御所へぞ立ち帰る


という、「弁慶上使の段」の結末の理不尽さは、強烈な力、むしろ力の空白みたいなものを感じさせる。
これは「前近代」なのだが、むしろ「反近代」「脱近代」へとつながりうるようなエネルギーを秘めているのだ。
また崖上で懊悩しやがて身を投げていく夫婦の人形の動きが鮮烈な壺坂の物語は、最後には観音の加護によって二人が命を取り戻したうえに夫の視力まで回復しているという大サービス的な解決、宮澤賢治のいくつかの童話のような唐突な垂直的救済を迎えるのだが、ここでもそうした筋書きのイデオロギー性を裏切る表現の強度みたいなものが感じられた。


なんにせよ、あの芸の迫力は、生で見ないと絶対分からない。
ぼくは、競馬場に行くときのためにいつも鞄の中に双眼鏡を携帯しているのだが、今日ほどそれが役立ったことがなかった。小さな人形の表情や細かい仕草まで克明にたしかめられた。観劇される方にはお勧めである。
仔細に見れば、たぶん名だたる人形遣いの方の何人かは、その表情にも重厚な存在感があることに次第に気づく。吉田文雀、吉田文吾、吉田玉女、桐竹勘十郎
またそれぞれの大夫の声音と節回しの見事さは、表わす言葉がないほどだが、この他にぼくが印象的だったのは、最初の演目のとき、壇上に並んだ数人の一番端で三味線を弾いていたおじいさんの、わずかにくずした座り方、弾き方のかっこよさである。
エリック・クラプトンみたいな、老練のブルースやロックのギタリストみたいな雰囲気があった。あとでパンフレットを見ると、この人は重要無形文化財保持者の鶴澤寛治という人であったらしい。


国立文楽劇場は、大阪の日本橋にある。
この場所は、天王寺新今宮釜ヶ崎にも程近いが、その天王寺は昔から、紀伊半島方面からの大阪への入り口とされてきた場所で、中上健次が書いたように、都の権力に対する反権力の「闇の国」とされた大和や紀州の山々へと開かれた大阪という町の、いわばある種の命の源だった。
その見えざる場所から大阪に流入してきた無数の命の流れが、この土地で溜まり、泡立ち、とぐろを巻くようにして、この文楽という異様な芸術は生まれたのだろう。
その意味でこそ文楽は、この町の成り立ち、その歴史の本質をわれわれに教えてくれるものだといえる。


http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku/index.html