チェーホフ雑感

チェーホフの翻訳を、いくつか読んでみて思うこと。


戯曲『三人姉妹』、『桜の園』やいくつかの短編で彼が示しているのは、信じられる枠組みのようなものが失われたがために「空虚」な生活を生きるしかなくなった時代の人間たちの苦悩だ。
登場人物の多くは、この「空虚」に意味づけするために、未来の人たち、自分たちの後に来る世代の幸福を夢想しようとする。自分たちの苦悩は、その世代のためのものであると考えようとするのだ。
『三人姉妹』のヴェルシーニンの思想は、その極端な形を示している。

で僕は、なんとかして君に証明して見せたい――われわれには幸福なんかありはしない、あるべきはずがないし、この先もありようがない、ということをね。・・・われわれはただ、働いて働きぬかねばならんので、幸福というものは――われわれのずっと後の子孫の取り前なんですよ。(間)僕は駄目として、せめて僕の孫のまた孫あたりでもね。(新潮文庫桜の園・三人姉妹』神西清訳 p165)


現在の目から見ると、これはほとんど社会主義国家のイデオロギーのように読める。
未来(次の世代)の幸福のために、現在の幸福を断念せよ、というわけである。これは、魯迅がアルツィバーシェフの『諸君は、黄金世界を彼らの子孫に予約した。だが、彼ら自身に与えるものがあるか。』という言葉を引いて強く批判したタイプの思考だといえる(「ノラは家出してからどうなったか」)。
同じ戯曲のなかで、この意見に反論するトゥーゼンバフは、生活の不変さのなかにある神秘のようなものを強調し、そこに現在の幸福を見出そうとする。

しかし生活は、依然として今のままでしょう。生活はやっぱりむずかしく、謎にみち、しかも幸福でしょう。千年たったところで、人間はやっぱり、「ああ、生きるのは辛い!」と嘆息するでしょうが――同時にまた、ちょうど今と同じく、死を怖れ、死にたくないと思うでしょう。(同上p163〜4)

二、三百年のちどころか、たとえ百万年たったところで、人の生活はやはり元のままでしょう。それは変化せず、その持って生まれた法則にしたがって、常に一定不変のはずですが、その法則が何かということは、われわれの与り知るところではないし、また少なくも、とうてい知るときはないでしょう。(同上p165〜6)


不可知で、変わることのない生活の神秘。
この反進歩主義的というか、反啓蒙主義的な考え方も、チェーホフの作品ではよく書かれるもののようだが、これにはやはり魯迅を思わせるところがある。
魯迅チェーホフを比べると、魯迅の方が啓蒙主義への批判というか、距離のとり方がはっきりしていると思う。チェーホフは、「進歩」や「啓蒙」と、それへの批判の間で揺れている。
この違いは、欧米や日本などによって「近代」を強制される立場にあった魯迅の国と、あくまでヨーロッパの一部であったチェーホフの国との違いなのかもしれない。


それともう一点、上のヴェルシーニンの台詞のなかに、『働いて働きぬかねばならん』という言葉が出てくるが、労働を賛美し、すべての人間が労働するべきであるという主張(啓蒙)も、チェーホフの作品の登場人物たちがさかんに口にするものだ。
当時のロシアは、農奴制が廃止されてからもそんなに経っておらず、貴族や地主といった特権階級(要するに、働かないで富だけを得ている人たち)の存在が、社会のなかの問題として大きく浮き彫りになっていた。
なぜ、その存在が問題として浮き彫りになってきたかというと、産業資本主義の流入によって、旧来の社会秩序や共同体が急速に解体されつつあったからだと思う。つまり、自明だったものが、急に自明ではなくなってしまったのだ。
たとえば中篇『谷間』や短編『往診中の出来事』(いずれも、新潮文庫『かわいい女・犬を連れた奥さん』所収)は、そうした社会の変貌と、それに翻弄される人々の姿を描いた、優れた作品である。
そうした解体によって生み出された空虚を満たすものとして、多くの人々は、「すべての人間が平等に労働する社会」という社会主義的な共同体の理想に魅惑されたのである。
チェーホフが、そういう思想に対してどういうスタンスをとっていたのかということは、ずっと議論されてきたところだろう。
それはなんとも言えないが、ただ彼は、こうした急速な変化によって「空虚」のなかに投げ出されて生きるしかなくなった人たちの姿と苦しみを、誠実に描いたということは間違いない。


ところで、『三人姉妹』の最後でオーリガたち姉妹が語る未来への希望というのは、ヴェルシーニンの、現在の生身の人間に犠牲を強いるイデオロギーとなりかねない感慨とは、やはり違っている。彼女たちは、人が生きるためには理念(彼方、と言ってもよかろう)が必要であることを強調するのだが、そのために現在(生活)を断念することは耐え難いとも感じているからだ。

ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きていきましょうよ!楽隊の音は、あんなに楽しそうに、あんなに嬉しそうになっている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。・・・それがわかったら、それがわかったらね!(同上p241〜2)


カントのいう統整的なものとしての理念を信じようとしつつも、現在の生への愛を手放さない態度、苦悩を否認しない生活の姿勢のようなものが、ここにはある。これは、チェーホフ自身の姿勢でもあっただろう。


最後の傑作『桜の園』の中心にあるのも、「空虚」さがもたらす「今、ここ」の苦悩との戦いのなかに留まろうとする意志のようなものだと思う。チェーホフは、理念を信じようとしただろうが、理念によって現在を生きる人間の生活や心(幻想を含めた)を殺してしまおうとはしなかった。
この一点が、彼の「社会主義的志向」を、社会主義体制やイデオロギーから隔てていたのだともいえる。


だが、そういうチェーホフの、啓蒙(社会)主義者に対する眼差しは、批判や敵対や揶揄ではなく、慈愛や共感のようなものだった。
この点が重要だと思う。
桜の園』のヒロイン、ラネーフスカヤ夫人は言う。

あなたはどんな重大な問題でも、勇敢にズバリと決めてしまいなさるけれど、それはまだあなたが若くって、何一つ自分の問題を苦しみ抜いたことがないからじゃないかしら?あなたが勇敢に前のほうばかり見ているのも、元をただせば、まだ本当の人生の姿があなたの若い眼から匿されているので、怖いものなしなんだからじゃないかしら?わたしたちに比べれば、あなたはずっと勇敢で、正直で、深刻だけれど、もっとよく考えてね、爪の先ほどでもいいから寛大な気持ちになって、わたしを大目に見てちょうだい。(同上 p74)


たぶんこの眼差しが、作家チェーホフの、人間と社会に対する考え方、感じ方の、ひとつの到達点である。それは、啓蒙や進歩ということが、ひとつの破壊であり攻撃性であるとしても、その攻撃性自体を攻撃(批判)することによっては、破壊を止めることはできないという認識である。
必要なのは、攻撃性の応酬ではなく、自分と他人の具体的な生活と感情を見つめる「寛大な気持ち」と繊細さであるということ。
チェーホフの時代から百年以上が経った今日では、左翼的な思想自体も、社会の中の多くの人々の考えも、この位置までは来ているはずだし、来ていなければいけないと思う。
桜の木々が切り倒されたばかりではなく、それを学ぶための代償はあまりにも大きかったのだから。