『歴史主義・保守主義』その2

『歴史主義・保守主義』(マンハイム・森博訳)から、論文「保守主義的思考」について。
これは、日本でも単独で文庫になっているほど名高い論文である。


ここで言われていることは、煎じ詰めると、たいへんシンプルだ。
つまり、保守主義というのは、近代の中央集権的・官僚的な国家体制、および啓蒙主義的思想という二種類の合理主義の流れに対する、非合理主義からの反動として生じたものであるというのが、マンハイムの考えなのだ。

この際、保守主義的思考から着手しなければならない理由は、近代の歴史観がその主要点においてまさにこの潮流の創造物であったからであり、またこの思考様式の本質的業績は、われわれの考えでは、一方では宗教意識の変容によって、他方では近代的合理主義によって駆逐された思考方法が、歴史における非合理的要素をとらえるための機関を生み出した点にこそ求めらるべきであって、そのような仕事には自由主義社会主義も、その中に本来的に作用している衝動からして、ついぞかかわることがなかったからである。(p78)

ここでは、19世紀末のドイツ(プロシャ)における保守主義の発生と展開が分析されているが、そのプロシャの政治体制に範をとった明治から大正にかけての日本社会の動向との類似に、あらためて気づかざるをえない。
つまりプロシャでは、封建社会の残滓というべき身分的思考が、中央政府啓蒙主義という二つの合理主義に対抗して同盟を結んだというのだが、同じ事が日本でも繰り返されたと思われる。伊藤博文が設計した近代的・中央集権的国家体制と、ブルジョア啓蒙思想とに対抗する、非合理的・右翼的思考(「維新」)の台頭である(伊藤と山県との共犯性というようなことは、今更言うまでもあるまい)。
その保守主義的思考と体験の重要な特徴について、マンハイムは次のように指摘していく。

この保守主義的な体験と思考との本質的特徴のひとつは、直接に現存するもの、実際的に具体的なものへの執着である。(中略)一切の「可能的なもの」、「思弁的なもの」に対する極端な嫌悪を意味する。(p93)

ここに、具体的な所与の状況に即した思考の名において、「あまりにも高度の前提」からする構成的思考に対する闘争が行われる。(p157)

この思考(政治的ロマン主義)は、概念にたいする生の強調への衝動を、メーザーにおけるような単に官僚主義的合理主義に対する反動からだけでなく、また同時に、当時の合理主義の変種、すなわち、ブルジョア合理主義に対する反動から獲得する。(p166〜167)

先にも書いたように、マンハイムは、保守主義の根底に「生の哲学」の潮流を見出している。
つまり、合理主義に対する非合理的なものの反抗、その気分を巧みに回収するイデオロギーという見方だ。
下の一節は、その事情をよく説明していると思う。

現代における生の哲学のさまざまな変種は、(中略)ブルジョア合理主義の二変種、カント主義と実証主義とに対する、かれらの共通の反抗によって、そのすべてが反革命ロマン主義的根源を露呈している。さまざまな生の哲学ロマン主義的起源をもっている。というのは、それらの中には一般化された概念への共通の反抗が、なお広く存続しているからであり、かれらは現実にリアルなものをば、概念的構成によっては洗い流されてしまう・合理的に蔽いつくせない・現象学的な純粋体験の中に求めるからである。生の哲学は、今日の段階では、もはや反革命的なとは称しえないものになり、少くとも政治的には中立的なものとなった。しかしそれはかつて保守主義的根本志向から生れたところの思考・体験志向によって生きているのである。もともとロマン主義的潮流が、そのよって立つ政治的基盤(中略)を喪失したからこそ、生の哲学は(中略)この「純粋に動的なもの」をますます内面化することができたのである。(p190〜191)

「政治的基盤の喪失」は、日本では明治の民権運動の挫折において生じたと思われる。
そこから、現実政治への関与の意志を欠いた、観念的な社会主義や労働運動の傾向が生じてくる。つまり、「生の哲学」の時代である。たとえば大杉栄を、その代表的な一人と考えることができるだろう。