バーリン『自由論』

自由論

自由論


本書の著者、アイザイア・バーリンについては、最も有名な講演「二つの自由概念」において、「積極的自由」(自己実現)と「消極的自由」(非干渉)を明確に区分し、両者は基本的に相容れないものだとしたうえで、「積極的自由」の支配に警鐘を鳴らし、「消極的自由」の価値を強く擁護する主張を行った人として、20世紀後半の個人主義自由主義の先駆者のように考えられているようだ。
その場合、彼が警鐘を鳴らした「積極的自由」の弊害については、ルソーやマルクスなどの革命的思想の追求というものが、実際にはジャコバン派や共産圏諸国の全体主義的・抑圧的体制をもたらしたこと、あるいはまた社民主義的な理念の重視が、英米などにおける「大きな政府」による「消極的自由」への圧迫を生んだことなどが、思い浮かべられることが多いようである(同時に、「啓蒙主義・合理主義」への批判ということが論点とされるが、ここではそれには詳しく触れない)。
だが、この『自由論』に収められたバーリンの主要論文(上記の「二つの自由概念」を含む)を読んでみると、バーリンの疑念は早くから、それらばかりにではなく、むしろ個人の「自由意志」と呼ばれるものとか、それらの「自由意志」の集約の制度とされるデモクラシーといったものに向けられていたことが分かる。
「二つの自由概念」のなかの、次の一節は、そのことをよく示している。

なぜなら、(中略)デモクラシーそのものは(中略)個人的自由の不可侵性を保護することはできなかった。これまですでにいわれているように、政府が欲するようなある意志をその被治者の側に生じさせるようにすることは、どんな政府にとってもいともたやすいことなのであった。「独裁専制政治の勝利は、奴隷たちに自分が自由だと言うようにさせることである。」(引用者注:バンジャマン・コンスタンの言葉)(p378)

 ここでバーリンは、政府が強制によってではなく、大衆宣伝やメディアによる情報操作などによって、人々が(主観的には)「自由意志」によって、奴隷であることや他者への抑圧を選択するような社会の出現を、眼前のものとして警戒しているのだ。
 それでは、バーリンの政治的な立場は、大衆への不信、デモクラシーの否定であるかというと、そうとは思えない。彼の立場が鮮明になっていると思えるのは、講演「ジョン・スチュアート・ミルと生の目的」のミル論においてだ。

 もし最大多数の最大幸福(最大多数はめったに理性的であることはない)が行動の唯一の正当な目的であるとすれば、非理性的な人間こそ満足をうることができるのではなかろうか。(中略)もし幸福が唯一の基準であるとすれば、人間をいけにえに捧げるとか魔女を火刑にするとかというような習慣が強くかつ広い感情を広い感情により支えられているような時代には、そうしたことは疑いもなく大多数の人びとの幸福に寄与していたわけです。(中略)ミルはそうした事柄に考慮を払ったことは全くありませんでした。というより、それ以上彼の確信に反するものはなかったといった方がいいでしょう。ミルの思想や感情の中心を占めていたものは、(中略)人間は善の選択の能力とともに悪の選択の能力によって人間的となる、という深い確信でした。過ちうること、あるいは過つ権利を自己改善の能力の系として認めること、斉合性や終局性を自由の敵として嫌うこと、これこそはミルが一度も放棄したことのない原理であります。(p425〜426)

しかし、彼は、そうした人たち(理性的エリート)にも、プラトンのいう≪国の守り手(統治権をもつもの)≫の地位を与えようとはしませんでした。ほかの人たちも、その人たちのように教育しうるし、教育されたときには、選択をなす資格をうるだろうし、こうした選択は、一定の限度内では他の人びとによって狭められたり指図されたりすることがあってはならない、とミルは考えたのであります。(中略)彼は教育と自由の双方を求めたのであります。(p435〜436)

人間を非人間化する大衆文化の結果についての現代での鋭い意識、大衆宣伝やマス・コミのメディアによってあざむき操作しうる非理性的生物として人間を扱ったり、従ってまた無知、悪徳、愚鈍、因習、「疎外されてしまう」被造物というように人間を扱うことによって、個人や共同体の真の目的が破壊されてしまうという鋭い意識、こうした鋭い意識をすべて、(中略)ミルは感じとっていたのであります。(p440)

 ここに、ミルだけでなく、バーリン自身の自由主義の精髄(彼が何に対抗しようとしたか)も語れらているのだと思う。 
 

さらに付言するなら、バーリンが警鐘を鳴らした「積極的自由」の危険について、それは共産主義に代表される(とかつて考えられていた)「合理的理性の支配」を想定したものと思われがちだが、冷戦突入寸前の1949年に語られた「二十世紀の政治思想」の次のような一節を読むなら、彼の危惧は同時に、(マッカーシズムに代表されるような)大衆社会の非合理性の危うさにも向けられていたことは間違いないと思える。
それはもちろん、現在のわれわれ自身の問題でもある。

それどころか、この人びとは、多くは深刻な内面の破産とか恐怖から起った、理性を棄てた信仰と懐疑への盲目的な不寛容とをもっていて、ここには少なくとも安全な港があり、たとえ狭くて暗い、他から遮断されたものであったにしても、安定しているのだという、頼みにもならぬ希望に執着しているのである。この意味における安定を購うためなら、意識的または無意識的に人間の活動範囲を扱いよい程度に狭め、人間を全体の部分、もっと容易に組み立てられるようなパターン全体の部分品―すなわち、取り換えることもできれば、前もって作っておくことさえできる―になるように訓練しようと組織的にやっている人びとの統制に、人生の莫大な領域をまかせることを認めるという代価をさえ払おうとする人びとの数は、次第に殖えているのである。必要とあらば最低水準―それ以上おちこみようもなく、裏切られよう筈もなく、おとされることもない―であっても安定をえたいという、こんなにも強い安定の欲求に直面しては、すべての古い政治原理、もはや新しい現実に適応しない信条の弱々しい象徴は消え去りはじめたのである。(p148)