Nスペ・ワーキングプア

NHKスペシャルで「ワーキングプア」をとりあげていたのを見たが、いい番組だった。あの内容だったら、きっと多くの人がブログでもとりあげると思うから、ここでは印象に残ったことを少しだけ。


都会での状況というのは、ぼくは自分自身のことでもあるから、そんなに驚かなかったが、地方があれほど深刻だとは思わなかった。
秋田県では県民の平均所得が200万円台だそうである。インタビューを受けていた初老の男性は、年収が24万円ぐらいしかなかった。別の年老いた男性は、毎食にかける費用が100円から200円の間らしい。この人たちは、いずれもちゃんとした定職を持っているのである。ちょっと信じられない。
見ていて、戦争前の東北の農村とかを思い出した。


番組の前半に登場した34歳になる青年は、地方から東京に出てきたが、ずっと非正規雇用の職を続けてきたため、スキルがない。30歳をすぎてからの再就職はたいへん難しいので、なかなか職につくことができない。
貯金も底をつき、住む場所もなくダンボールを敷いて寝ているような状態なので、ハローワークに行って面接先を紹介してもらっても、住所をちゃんと書くことができず、結局不採用になる。住み込みで仕事のできる会社を紹介してもらうが、面接に行くための交通費がなく、断らざるをえない。
2ヵ月後、やっと見つかった洗車の仕事をしている姿が映っていたが、手取りは月10万ぐらいで部屋を借りることもできない。


宮本みち子が、働いても働いても貧困から脱出できる見込みのない「ワーキングプア」の増大について、こうした若者たちの内面が荒廃していくということをあげていたが、一番の問題は、内面の荒廃した人たちを多く作ったほうが管理する側には都合がいいと考えられていることではないかと思う。
アメリカがイラクをあえて権力の空白地帯にしているのと同じで、「上昇」とか「抵抗」とか「連帯」とかを積極的に考えないような人間を多く作ったほうが政治家や官僚や経営者には都合がいいのではないか。


ただ、この番組で一番印象的だったのは、こうした新たな貧困層が世代を越えて継承される(宮本みち子は、このテーマをずっと以前から扱っていた)ということの例として、最後に登場した35歳の路上生活をしている青年。
この人は、両親が離婚し、母親も家に帰らないようになって、学生の頃から貧困のなかでアルバイトで働きづめの生活だったが、やはり30をすぎて職を見つけられなくなり、路上で暮らすようになった。ゴミ箱に捨てられている雑誌を集めて売り、その日の食費を稼ぐというだけの毎日である。
希望のない悲惨な境遇なのだが、表情を見ていて「荒廃した」感じはなく、現実から逃避しているという様子もまったくなかった。テレビ画面をちょっと見ているだけなので、はっきりしたことは言えないが、「暗さ」や「重さ」のようなものを感じず、「あきらめた」感じといってもすさんだものではなく、不思議な印象が残った。
正規雇用の増大と社会保障の削減が続いて、ワーキングプアを生み出す構造的な要因が強化されていくことによって、こうした世代を越えた貧困層が社会のなかに当然のように生まれてくるなかで、人が生きることのまったく新しいあり方も形成されていくのかもしれない。
この青年を見ていて、そう感じた。


ていうか、自分自身のことでもあるんだが。