恐怖と秘密

ドゥボールが言うには、六八年以来、社会はもはや愛されようとすることをやめた。そうした夢はもはや捨てられねばならない。それは恐怖されることを好むようになるのだ。(酒井隆史著『自由論』第5章「恐怖と秘密の政治学」より)


酒井によれば、ドゥボールが彼のいわゆる「統合されたスペクタクル社会」を、このようなものとみなすのは、システムが自らを「情動であふれた社会的摩擦の場」から抽象し、変革のための批判が欠落した成員相互の「鏡映的関係」のうちに自己を閉ざしてしまったためである。
つまり、革命や社会変革といった理念が放棄されたことにより、人々は「摩擦の場」としての社会的空間から退き、相互不信と相互監視が支配する「鏡映的関係」のなかに自ら閉じこもっていくというのだ。
このような社会においては、人々にとって、「恐怖」はたんに(権力によって)強いられるのではなく、むしろひそかに要請され、欲望されているのだといえそうだ。
社会が恐怖されることを好むというだけでなく、人々の側もいつか恐怖することを愛するようになる。


ここで思いだされるのは、やはりカントの「啓蒙とは何か」だろう。
変革に向かう「理念」が失われた以上、人々が「摩擦の場」をわざわざ求めず「鏡映的関係」のなかに閉じこもるようになること、そのようにして形成された空間においては「恐怖」に支配されるままに相互監視をみずから求めるようになるのは、ほとんど不可避的なことなのだ。
そうならないほど、人間は強くない。だからカントは、彼のいわゆる「非社交的社交性」を、また「統整的理念」の重要さを主張することによって、この「摩擦の場」のなかに、なんとか人々を引き出し、またひきとどめようとしたのだろう。
カントの哲学が、秘密と危険に満ちた当時のヨーロッパの政治的状況のなかに身を置いて練り上げられたものであることは、よく知られている。


ところで、国境を越えた高度な情報管理の現状がくわしく分析され、批判された後で、この章の最後に酒井は謎めいた文章を書き記している。

古くから言われるように恐怖政治はむしろ政体の弱さの表現なのだ。それゆえそれに対して抗うことは、ひとつには恐怖と愛のループからできるかぎり身を解き放ちながら、秘密を少しずつ探り、恐怖のネットワークを掘り崩していく営みになる。私たち自身、その営みのなかで秘密に満ちた存在になっていくにしても、それは恐れてはならないのだろう。(同上)


そして、『常に女性や子供や小鳥が、秘密裏に秘密を知覚する』という『千のプラトー』の一節が参照される。
秘密を抱き続けるある種の狡猾さ、自己のなかに外部からの光(監視)にたいする内壁を形成する孤独な意志を、酒井は現代の一見強大な管理と監視の権力への抵抗の拠り所として見出そうとしている。
なぜなら、管理と監視のネットワークの完成を可能にしているものは、ほんとうは、「秘密の不在」、他者なき透明な社会的空間を欲望する、われわれの「恐怖と愛」にとりつかれた心のあり方そのものだからである。