『<不在者>たちのイスラエル』

「不在者」たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ

「不在者」たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ


卓越した内容の著作であり、イスラエルという特異な(だが無論普遍性を持った)国の内情が非常に詳しく描かれているが、ここでは一点にだけ触れて考えたい。


「あとがき」に示された著者の真摯な自己分析は、この優れた書物の価値を、さらに大きく高めているといえる。
そのなかで著者は、この本の大きなテーマのひとつといえる、イスラエル国内のアラブ人(かつてこの土地に先住者として暮らしていた、パレスチナ人とも呼ぶべき人たち)に対する、自分の複雑な感情を打ち明けている。
イスラエルで暮らす以前に、アラブ諸国のアラブ人たちとの交流をすでに深めていた著者は、イスラエル国内の、アラブを蔑視・敵視するような雰囲気に接する中で、自分のなかの「アラブ」を強く自覚し、『自分がアラブであるかのような思い込み』が肥大するようになった、という。
そうした自分が、「中立の立場」でイスラエル社会を観察することなど、そもそも不可能だった、と振り返るのである。
このことは、著者が接したイスラエル国内のアラブ人たちに対する、次のような思いを生じさせることになる。

では私は、イスラエルのアラブ人の、よき友人であり得ただろうか。
 占領地のパレスチナ人や、近隣諸国で難民として暮らすパレスチナ人たちとの付き合いに比べ、イスラエルのアラブ人との付き合いはチャレンジングな経験だった。自分たちは「民主主義国家」に住んでいるという意識をもち、アラブ諸国に対する経済的な優越感を匂わせながら他のアラブ人について彼らが語っているのを聞くのは、辛いことだった。逆にイスラエル社会において自分たちがマージナル化され、差別されていることを強調しながら、占領地の状況に対する関心は一般的にはそう高いとは言えないことにも苛立つことは多かった。(p298)


そして、このようなアラブ人たちの間の意識の分断をもたらしているイスラエルという国家のあり方を考えながらも、次のように悩む。

(前略)イスラエル占領政策や、国内のアラブへの融和策に成功しつつあるイスラエルのあり方を批判的に捉え、こうであってはならないと考えることは、その中でたくましく生きようとしているアラブ人を否定することになるのだろうか。どんな立場から、そんなことができるのだろうか。今あるイスラエルのあり方を決して肯定しないと考える時に、他のアラブに対する優越感をも支えにしながら、イスラエルのなかで自己肯定感を得ようと必死に生きているアラブ人社会を「理解」しようとするということは、いかなることなのか。正直に書くしかないが、私自身がアラブ諸国の民衆レベルの対イスラエル感情を身体感覚で吸収していること、理性の上ではさまざまな留保をつけながらも、イスラエルの中に住むアラブ人への苛立ちや偏見が、私の中にもあるということを自覚するのは辛かった。(p298〜299)


この「イスラエルのアラブ人」たちのあり方というのは、そのさまざまな姿が本書のなかで描かれており、とても一概に語ることは出来ない。
その多様な姿を生き生きと伝えていることが、この本の眼目の一つと言ってもいいぐらいなのだ。


そのなかで、著者自身も、(戸惑いながらも)たいへん強い印象を受けたと語っている、次のような一面が書かれている。
それらは、著者の言う彼女自身の「苛立ちや偏見」の対象にあたるかどうかは分からないが、或る意識のずれのようなものを感じさせる体験だったのではないかと思われる。
たとえば、占領地のみならず国内においても露骨な人種隔離的な政策をとるイスラエル政府によって、困難で差別的な状況での暮らしを余儀なくされている牛飼いの老人は、著者に次のように語ったという。

見てみろ、今や動物の生活の方が、人間の生活よりよっぽど幸福に見えるじゃないか。人間はどうしてこう、皆で一緒に暮らすことが出来ないのか。誰もが存在していていいんだ。いちゃいけない人間なんていないんだ。だから俺は、アラブ人だけの権利を主張しているわけじゃない。アラブ人が幸せなら、ユダヤ人も幸せになるからだ。アラブ人の災いはユダヤ人にとっても災いだ。利益は共通のはずなんだ。そうやってお互い生きていくのが、理に適っているというものだ・・・。(p248)


この「あまりに寛大すぎる」と思える発言は、著者を戸惑わせる。
その大きな理由は、この老人が、イスラエル建国の際にもと暮らしていた村から追放された人たちが、人種差別的と言いうる法制度のために、水も電気も電話線も引かれていないような状況下で、行政による家屋の破壊の恐怖にさらされながら生活している「無認可村」の住人だったからである。


また、次のようなエピソードも書かれている。
サフニーンという町に立つ、アラブ人とユダヤ人の共同制作によるモニュメントには、かつて土地防衛のために立ち上がってイスラエルの犠牲になったアラブ人たちの名前が(しかしアラビア語のみで)刻まれるとともに、「両民族の相互理解を深めるために」という文言が、ヘブライ語アラビア語で書かれているという。
それを見た著者は、このモニュメントを、ユダヤ人による欺瞞的な「相互理解」の押し付けにアラブ人が参画しているだけではないかと考え、

現実には占領が続き、イスラエルによるパレスチナの抹殺が続いているにも関わらず、「両民族の相互理解」という美しい文字が刻まれている石面を見れば、白けた気持ちにもなる。(p274)


という風に感じる。
まったくもっともな感想だが、これには後日談がある。
このモニュメントを制作したアラブ人の芸術家から、この作品はそもそもアラブ人のイニシアティブで作られたのであって、ユダヤ人による「和解と共存」の演出にアラブ人が参画させられたものではなかったことを、著者は知らされるのである。

「両民族の相互理解」という言葉も、一九六六年の軍事政権終了後、「土地の日」の虐殺を経てもなおも残っていたアラブ人によるユダヤ人への期待の表明であって、自分たちの罪を顧みないままユダヤ人が謳った「相互理解」とはまた違う意味を持っていたのだ。(p288)


著者も書いているように、だからといって現状を考えるなら、この共同制作の作品と「相互理解」の文字が、「白々しい欺瞞に満ちている」と見えるのは、仕方のないことだろう。
だがそこには、著者の想像を越えた「イスラエルのアラブ人」の思いが込められていたということも事実であり、そのことが著者を深く戸惑わせているように思える。
「あとがき」の先の引用に続く箇所には、次のように書かれている。

一方で、イスラエルから経済的な恩恵を得ているわけでもなく、むしろひどい仕打ちを受けているとしか思えない占領地のパレスチナ人や、イスラエル国内の無認可村の人々が時に示すユダヤ人への好意や彼らを何とかして理解しようとする姿勢に、はっと目を覚まされることもあった。自分たちはユダヤ人を憎んでいるのではなく、イスラエル占領政策、あるいは人種差別やシオニズムを問題にしているだけなのだ。本で何度も読んできた言葉が、ここまで彼らの血肉になっていることを思い知った。(p299)


これらの事柄に限らず、イスラエルユダヤ人やアラブ人たちに直面して生じる著者自身の気持ちの揺れを、精密に描いていることが、この本の最大の魅力ではないかと思う。


それはともかく、ではこの「イスラエルのアラブ人」たちの、「相互理解」への期待や、「あまりにも寛大すぎる」と思われるようなユダヤ人に対する態度と発言などを、読者であるぼくたちはどう理解すればよいだろうか。
もちろん、ぼくにも分からない。
だが、こういうことが考えられるのではないか。
そこに現れているのは、迫害する者と同じ水準には立たない、という姿勢ではないだろうか。
実際、自分たちを迫害したナチスやヨーロッパの国民国家による差別・排除や人種主義と、ユダヤ人と呼ばれた人たちが同じ水準に立ってしまった結果が、イスラエルというシオニズムに基づく国家の建設だったはずである。
いま現在、その国家・社会によって迫害を受けている「イスラエルのアラブ人」には、そうと意識していなくても、迫害された者が他者に同型の迫害を繰り返してしまうこの構造が、本当の敵として、直観的に見えているのではないか。


そしてこのことは、国民国家の同一性のなかで生を送っている「アラブ諸国の民衆」には見えにくく、イスラエルによる統治という状況下にある「イスラエルのアラブ人」にこそ、よく見えるものなのではないだろうか。
実際、イスラエルという国が出来る前、世界の各地(多くは国民国家の内部)で暮らしていたユダヤ人たちが有したある種の認識上の優位性も、ここに関わっていたはずである。
ぼくには、シオニズムの興隆とイスラエルの建国の過程は、この優位性、つまり反復される構造に対する批判的な視点を、この人たちが喪失し、この大きな構造のなかに取り込まれていく過程であったようにも思える。


もしそうなら、ここに示されたイスラエルのアラブ人たちの「共存」や「相互理解」という言葉は、イスラエルの差別的な状況の中で「アラブ」に我知らず同一化している自分を見出して葛藤する、著者自身の心のあり方、その怒りや気持ちの揺れと、決して相反するものであるはずはないだろう。
むしろ、ここで真に問われるべきなのは、著者自身も書きつけているように、こうしたイスラエルのアラブ人たちの姿勢を眼前にして、

(イスラエルの)ユダヤ人たちは、パレスチナ・アラブたちから何を学ぶのだろうか。(p300)


ということなのであり、その問いはまさしく、この社会と世界のマジョリティである、ぼくたちにも向けられているはずである。