辺野古の映画のことについて


こちらのエントリーに書いたように、15日から大阪で『Marines Go Home 辺野古・梅香里・矢臼別』という映画の上映が始まります。


TBをくださった『heuristic ways』さんのエントリーにも、この映画を案内する新聞記事が紹介されていますが、先日監督の藤本さんにお会いしたときに、この映画に関連する資料をいくつか分けてもらいました。
映画を見たり、基地や沖縄のことについて考えるうえでも、たいへんよい手がかりになるものだと思うので、少し抜粋して紹介してみます。

監督の手記

ひとつは、『辺野古でドキュメンタリーをつくる』と題された監督自身の手記で、「つぶて50」という出版物に掲載されたものだそうです。
これには、今回の映画に関することと、95年に東京から北海道の新得というところに移り住んで暮らすようになった監督自身の、ドキュメンタリー作家としての経歴と思いが書かれています。
そのなかでとくに印象的だったのは、藤本さんが1988年に土本典昭監督の『よみがえれカレーズ』という映画の助監督としてアフガニスタンに行ったときに、カブールで宿舎のホテルの近くにロケット弾が撃ちこまれてたくさんの死者が出た現場を体験したときの話です。

夕方の帰宅時間のバスターミナルだった。すぐに駆けつけると、あたり一面バラバラになった肉体が散らばっている。ちぎれた手や足。胴体からはハラワタが飛び出している。この一発で三十数人の市民が死んだ。撮影を終えてホテルに戻ると、靴に血と肉片がこびりついていた。


今回の映画の撮影で、米軍の訓練場がある韓国の梅香里や、自衛隊の演習場になっている北海道の矢臼別という場所に行き、砲弾の炸裂する音を聞くと、そのときのことを思い出す、というふうに書かれています。今回の映画をつくって、全国に広めていこうと行動しておられるひとつの背景に、そうした体験があるのであろう、と感じました。


また、米軍の再編の問題にもふれて、

だから辺野古は、アメリカの戦争を阻止する、その現場なのだ。そしてまた、今回の米軍再編は米軍と自衛隊が一体となって戦争できる体制づくりが大きな目的となっている。(中略)だから、辺野古への新基地建設は、沖縄の問題ではない。日本がアメリカと一体となって戦争する国になるのか、それを阻止するのかという日本と日本人の問題なのだ。


とも書いておられます。
この点は、お会いしてお話をうかがったときにも、繰り返し強調しておられました。

学生たちの言葉

それから、この映画は最初沖縄から上映が始まったらしいんですが、上映会をおこなった沖縄の大学生、院生の人たちによる座談会と、上映及びディスカッションについての感想文をいくつか読ませてもらったんですが、これが素晴らしい内容です。
読んでいて強く感じることは、これは以前とりあげた「基地雇用員のリアルタイム」という文章に書いてあったことに関係するんですが、沖縄の、とくに大学生ぐらいの人たちが、日常のなかで基地の存在や、それから辺野古のいまの動きということについて、どういうふうに感じ、思いを持っているのか、ということ。
ぼくなどは、沖縄の基地のことも、辺野古についても、情報として多少は知っている。沖縄に行ったことはないのに、情報としてはいくらか知ってるわけです。そのぼくが想像すると、沖縄の多くの大学生は、基地や辺野古の問題について切実に感じ、関心を持ってるんだろう、と決めつけてしまいます。
ところが、「基地雇用員のリアルタイム」には、多くの沖縄の若者にとって米軍や米軍基地の存在への抵抗はほとんどなくなってきている、と書いてあった。
そうなんだろうと思うけれど、その「抵抗がなくなった」ということの内実が、自分は沖縄の日常を生きてるわけじゃないから、分からないんですね。
その実情の一部に、これらの感想文や座談会の記録でふれることができる。


たとえば、ある上映の後の座談会のときに、辺野古で行動に加わっている若者たちが何人か来て、自分の思いを長時間語るということがあったらしいんだけど、それについて、座談会に出席した大学生たちは、『辺野古で活動している若者が語る場がないんだと思った』『辺野古の若者にとっても、大学が語る場になった感じかな』というふうに述べている。
これは、沖縄のなか、とくに若者のあいだで、基地に抗議する運動とか、辺野古のこととかが他から切り離されて、孤立するような感じになってることを示してるんだろうと思う。
でも、なぜそうなってるかというと、日常の生活のなかで、そういう問題、たとえば基地の存在について語るということ自体をしにくい、という雰囲気があるらしい。
それについて、ある大学院生は、こう書いています。

友人関係や職場など、自分が生活している空間で基地問題に触れにくいという発言は、他の上映会でも相次いでいた。私もいつもそこで悩み、悲しい気持ちになってしまう一人だ。友達との会話の中で基地問題を話題に出すときは、自分でも過剰だと思うほど慎重になる。友人の誰かが基地に勤めているわけでもない。基地を話題にしたことで、非難めいた言葉を投げられた覚えもない。ただ、親しい、友人たちから「あっち側の人間」「意識の高い人々」という言葉で線引きされた経験が、私の行動を引き留める錘のようになっている。


こういう、形にならない圧迫みたいなものが、沖縄の人たちの日常を覆ってるということが、基地のことや辺野古のことについて話題にならない、関心が薄いとされている現象の背景にあるんじゃないか、というふうに思いました。
そうするとやっぱり、「今では沖縄の若い世代は、基地に対する関心もなくなって」というふうには、沖縄を知らない、ぼくの側としてはちょっと言うわけにいかないと思う。


それと同時に、上に引用した文で言われてるようなことは、ぼくら自身の日常にも、やっぱりあると思う。それは、雇用とか、労働とか、教育とか、いろいろですね。
たしかに、ぼくも職場で「労働問題」とか「ネオリベ批判」とかは、やっぱり簡単にできないです。問題を感じてても口にできないという、そういう人がほとんどじゃないかと思うけど、それを外から見たら「関心がない」とか「抵抗がなくなった」というふうに、やっぱり見える。
そして、それについて発言したり行動してる人とは、やっぱり「線引き」をこちらの側でして、溝ができていくんだろうと思う。


上の文章を書いたのは、大城さんという沖縄の院生の女性らしいんだけど、この文には、ほんとにいろんなことを考えさせられました。
この人は、こういうふうにも書いてます。

だがやはり、あえて私は自分と友人の間に感じた行き違いや溝を忘れたくないと思う。悲しさ、怒り、虚しさも覚えていたい。友人たちの中には、呼びかけに応えなかったり拒絶する人もいる。でも、その人たちも私にとっては大切な存在で、排除せずに語りかけていくしかないと思う。


そして、悩んだり足踏みしたり、行きつ戻りつする中で、『いっぺんに「みんな」に届く言葉は見つけられなくても、それぞれの大切な人たちに宛てた小さな言葉を見つけることができるかもしれない』とも書いている。
ぼくも、そういう身近な人たち、大切な人たちに届くような「小さな言葉」を、行動や悩んだりすることを通してみつけていくということが、いまの時代にはすごく大切なことなんじゃないかなあ、と思います。


この映画の上映が、いろんな思いや行動や言葉を生んで、広がりをつくっていってるといういうことで、そのことも踏まえながら、ぼくも映画館に足を運びたいと思ってます。
この作品についての詳しいことは、こちらのホームページをご覧ください。
http://www.hayaokidori.squares.net/marines_go_home/index.html


なお、16日に大阪で、この映画に関連して、辺野古の行動に参加した若者たちによる討論会があるそうです。
ぼくはたぶん行けないんですけど、関心がある方は、下の記事の最後をご覧ください。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000604130003