円山公園の集会から

18日の日曜日に、京都の円山公園で行われた「反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」の集会と、その後のデモに参加しました。
その時に印象的だったことを幾つか書いたものです。


まず、やはり沖縄の安次富浩さん(ヘリ基地反対協共同代表)の講演。
辺野古の18年間にわたる闘いの成果として、いま沖縄の現地で行われているのは、ただ反基地闘争というだけではなく、環境保護や経済的自立という将来へのビジョンをもった闘いでもあるということ。
環境保護については、祖先から受け継いできた辺野古・沖縄の自然を守っていこうというさまざまな取り組みが、国際社会に向ってもなされている。
そして、「基地」にも「本土」(中央)にも依存しない、沖縄の経済的自立への取り組みを強調された。それは、沖縄の真の自己決定権への意欲、ということだと思う。
そこから、大阪や京都など「本土」の各地域にも、中央のネオリベ的な経済政策(駅前再開発など)からの離脱、真の自立を促す安次富さん。これは、前日聞いた酒井隆史さんの話とも通じるものを感じた。
そういう、人々が生活する現場である各地域の、真の自立(独立)が、アジア・太平洋の、国家という枠組みに支配されない民衆の「平和の共同体」の実現につながっていくはずだという、大きなビジョンの提言だった。


その安次富さんも含め、沖縄や京丹後の基地建設に反対する人たちの多くが行っている、韓国済州島の(韓国軍の)基地建設への抵抗運動との交流が、複数の発言者の方から話題にのぼった。
特に京丹後のバンドレーダー基地は、済州島のミサイル基地と連動するものだそうで、韓国の人たちの関心は極めて高いとのこと。
印象的だったのは、京丹後出身で、バンドレーダー基地反対運動を京都でやられている吉水さんという方のお話で、済州島の建設現地に行ってみると、バンドレーダー基地の作られた宇川と同じような田舎の村だという印象を受けたが、ただ違うところは若者や子どもの元気な姿が見られたということ。受け継いできた地域の自然・伝統・コミュニティを守ろうという意志を強く感じたということは、安次富さんも言われてたと思う。
また、辺野古・沖縄の基地にせよ、済州島の基地にせよ、それらは自衛隊や米軍との間での共同使用が初めから意図されているのだということを、何人かの発言者の方が強調された。
ここからよく分かると思うのは、「戦争が出来る国」へという今の日本の変化が、具体的には日米同盟や日米韓同盟という枠組みのなかでこそ起きているのだというリアリティだ。
基地の問題(反基地闘争)というイシューは、その実相をあぶりだすものだと実感した。


それから、「京都・戦争をさせない左京1000人委員会」の秋山豊寛さんという方は、元TBS勤務のジャーナリストで宇宙飛行士の経験もある人だが、震災時に「原発難民」として福島から京都に来られて、今は造形芸術大で教えておられるとのこと。
怒りに満ちた、同時に説得力溢れるスピーチで、びっくりした。色々な集会に言っているが、あんな強烈なスピーチを聞くことはなかなかない。


そして、名前をちゃんと聞けなかったのだが、シールズ関西の女性メンバーが連帯のスピーチを行った。
この集会は、いわゆる運動色の濃いもので、きっとシールズの人たちの普段の活動からするとアウェー感が強かったと思うのだが、出席して発言したことには意義があると思うということと、スピーチの内容も、心を打たれるものだった。
戦争法案の審議の時に自民党の議員たちに電話した体験から、意見の違う人間と対話しようとしない、また、安倍の言葉を繰り返すばかりで自分の言葉で話すことを知らないような人たちが、なぜ政治家をやっているのかという怒り。「覚えとけよ」と思った気持ちを持ち続けてるという話。
僕は聞きながら、背筋の伸びる思いがした。
また、その後登壇した関西学生アルバイトユニオンの若い男性のスピーチは、しっかりした現状認識が語られていて、とても力強いものだった。


趙博さんのステージは、あの場に居た、長年権力と闘ってきた日本の運動圏の人たちへのエールという感じで、聞いていて胸が熱くなった。
それにしても、「これからは日本民主化闘争をしなくてはならない」という言葉は、本当にその通りだとしか言いようがない。