雨宮さんインタビューその2

3月1日に更新された『マガジン9条』に、雨宮処凛さんのインタビューの2回目が載ってました(「もくじ」とあるところから入ってください。)。やはり今回も考えさせられる内容だったので、簡単に感想を書きます。


10年前は右翼であることがパンクだったが、今ではポップになってしまったという表現は、すごく的を得てるように思います。この言葉には、思わずうなってしまった。


このインタビューの最初と最後の部分は、雨宮さん自身の体験から、右翼としての活動がカウンセリングの効果をもっていた、ということが語られています。
とくに、最後の部分というのは、ものすごく重い言葉で、これは体験した本人でなければ言ってはいけないような言葉だと思う。
こういうインタビューや手記を読んだときにいつも感じるのは、たとえば「若気の至りで右翼活動をしてたけど、改心して正しい思想に目覚めました。」みたいなストーリーを、読んでるほうが安易に作ってしまいがちであるということ。それでは、右翼に入ったり、それ以前にリストカットや自殺未遂をしたり、という語り手本人が経験してきた苦悩と行動の切実さを、それこそ殺してしまうことになる。
本人は、自分が生きてきた道を振り返って、今現在生きるために、その体験を事後的に「ストーリー」として語る資格が当然あるけれども、聞くほうは、それをただ受容してしまって、自分が彼女を苦しめたような「正しい」社会の側にいるということを正当化する道具のようにしてしまってはいけない。
この人が体験したリストカットや自殺未遂のなかにも、右翼活動のなかにも、たしかな「真実」があり、価値があるということを、認めることが一番大切だと思う。
すべて『生きるために必要なことだった』、『死んでしまうよりはずっといい』という言葉は、あまりにも重い。
多くの若い人たちをそういう気持ちにさせているのは誰か、誰が「逃げ道」を塞いでいるのか、ということを読む側が自問する以外ない。